<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[改革福音教会団 三鷹福音教会]]></title><description><![CDATA[三鷹福音教会 Mitaka Evangelical Church]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/blog</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Thu, 24 Sep 2026 09:04:17 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.mitakachurch.com/en/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[「教えと模範に支えられたきよい生活」テトス２：１～１４]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日の説教箇所は少し長めですが、色々な登場人物について話していますので、ぜひどのような人たちが出てくるか考えながら聞いてください。 テトス２：１～１４ しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。 年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。 同じように、年配の女の人には、神に仕えている者にふさわしくふるまい、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。 そうすれば、彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。 同じように、若い人には、あらゆる点で思慮深くあるように勧めなさい。 また、あなた自身、良いわざの模範となりなさい。人を教えることにおいて偽りがなく、品位を保ち、非難する余地がない健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて何も悪いことが言えずに、恥じ入ることになるでしょう。...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260913</link><guid isPermaLink="false">6ab2d9016b7f5be70be66f3d</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 12 Sep 2026 19:38:19 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/7x7aRBlXFoU?si=8GjThU88IwBRlLPy" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「健全な教えと叱責」テトス１：９～１６、２：１ ]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 テトスへの手紙１：９～１６、２：１  (監督は)教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。 実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。そのような者たちの口は封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。 クレタ人のうちの一人、彼ら自身の預言者が言いました。「クレタ人はいつも噓つき、悪い獣、怠け者の大食漢。」この証言は本当です。ですから、彼らを厳しく戒めて、その信仰を健全にし、ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている人たちの戒めに、心を奪われないようにさせなさい。 きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。 彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260906</link><guid isPermaLink="false">6ab2d880d546ccce7d8052ad</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 05 Sep 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/1WSqLgMtuRI?si=A_jORN2d7n3-lmUT" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「イエスのために日々十字架を負って歩む」マタイ１６：２１～２８]]></title><description><![CDATA[説教者：ベレク・スミス牧師（聖オーガスティン宣教会ACNA、司祭） マタイによる福音書１６：２１～２８ その時からイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。 すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」 しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260830</link><guid isPermaLink="false">6ab2d72109ec856a564d0d9a</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 29 Aug 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/pxoesvmea1E?si=3Jez9rPIwFokpYMZ" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「生きたささげ物として生きる」ローマ１２：１～８]]></title><description><![CDATA[説経者：ギャレット・クロウ牧師（Garret Craw, アメリカ テキサス州 キングスクロス改革派教会 主任牧師） ローマ１２：１～８ ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。 一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260823</link><guid isPermaLink="false">6ab2d621817ca0bac4e9d7bc</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 22 Aug 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/WQvcPlXi5Ps?si=t6cBNqCk0uOEYv4z" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「長老とすべての信徒への基準」テトス１：５～９]]></title><description><![CDATA[説経者：ベンゼデク・スミス牧師 テトス１：５～９ 私があなたをクレタに残したのは、残っている仕事の整理をし、私が命じたとおりに町ごとに長老たちを任命するためでした。 長老は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、子どもたちも信者で、放蕩を責められたり、反抗的であったりしないことが条件です。 監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。 今日も、教会を導く長老や監督たちの資格がどういうものかを見ていきます。彼らが群れの模範でなければならないということは、この基準は私たちにも適用される、私たちも満たさなければならない基準です。 まずパウロが使う用語に関してです。5節ではパウロはテトスに長老を任命するように命じていますが、7節では監督と呼んでいま...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260816</link><guid isPermaLink="false">6ab2d5dc9d1e8a5c4d3feee8</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 15 Aug 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/XnZpbKbUPQM?si=OgLPiB1TqG7c8yxj" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「長老の条件」テトス１：５～９]]></title><description><![CDATA[説経者：ベンゼデク・スミス牧師 テトス１：５～９ 私があなたをクレタに残したのは、残っている仕事の整理をし、私が命じたとおりに町ごとに長老たちを任命するためでした。 長老は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、子どもたちも信者で、放蕩を責められたり、反抗的であったりしないことが条件です。 監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。 先週は5節を一緒に学びました。パウロはテトスに長老の任命を託しています。 そこで今日はパウロの教えから、テトスがどのような長老を任命すべきなのかを見ていきたいと思います。 私たちには、教会としてだれが長老にふさわしいかを見抜く責任があります。そしてその基準は私たちみんなに適用されるので、私たちにとって、長老の...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260809</link><guid isPermaLink="false">6ab2d5996b7f5be70be6688b</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 08 Aug 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/szeaYpuXCTM?si=jegyPFPgmnVt7eKG" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「長老たちの任命」テトス１：５]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 テトス１：５ 私があなたをクレタに残したのは、残っている仕事の整理をし、私が命じたとおりに町ごとに長老たちを任命するためでした。 今日の箇所は短いのですが、非常に多くの内容が含まれている大切な1節です。 まず、この手紙の背景をみたいと思います。 クレタというのは町の名前ではなく、地中海にある島のことです。この島の中にはたくさんの町がありました。 パウロとテトスは二人でこの町を回りました。彼らが伝道の旅でこの島に着いた時には、既にいくつかの町に教会があったようです。それで彼らはそれぞれの教会を訪れてみことばを教えました。しかしパウロがクレタを去る頃になっても、まだ教会に秩序が足りない状態が続いていました。教会として十分に整理されておらず、はっきりとしたリーダーもいなくて、多くの問題を起こす人たちによって苦しめられていました。問題を起こす人たちの中には、間違った教えをする人たちもいれば、怠け者や争いを好む人たちも多くいました。 そのような中でパウロはこの島を離れなければならなかったので、テトスをクレタに残すことにしました。教会のリーダーの基準を満たす人...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260802</link><guid isPermaLink="false">6ab2d3e0d546ccce7d80491c</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 01 Aug 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/PBEyqcJNO1M?si=MHE5QQDS8Oaa9Zn9" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「平和の挨拶」テトス１：１～４]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 二月の教会員総会で、家庭についての説教シリーズが終わったら、次はテトスへの手紙を一緒に学びますとお伝えしていましたので、今日からテトスへの手紙を始めます。 まず、連続講解説教について説明します。 「連続」というのは、聖書の書を一つ選び、それを最初から最後まで順番に見ていく説教のスタイルです。 「講解」というのは、そのみことばの意味を説明することを指します。 そもそも新約聖書の手紙は、だれかが会衆の前で声を出して読み上げるために書かれています。読み上げられた時に、当然その意味も説明していたはずです。実際に新約聖書をあちこち見るとそのように行われていたことがわかります。 今回、私たちがこのようにテトスの手紙を選んで読み上げ、そのみことばにどのように聞き従うべきかを学ぶことによって、神様が私たちにこの聖書を与えた本来の目的を果たすことができます。 もちろん、主題説教や聖書日課に沿った説教でもそれは可能ですが、どのスタイルにも長所があります。連続講解説教の強みは、その文脈に深く入り込めることです。だれが話しているのか、だれに話しているのか、なぜ、どういう状...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260726</link><guid isPermaLink="false">6ab2d2aa817ca0bac4e9d0e1</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 25 Jul 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/IcSijFmKUZc?si=4l-lg7nQuTm42Mdb" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「既婚者と独身者の人生における優先順位」家庭に関する主題説教シリーズ07]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日も家庭シリーズの続きです。 既婚者と独身者の人生における優先順位について一緒に考えます。 クリスチャンは「愛の秩序 」と表現されます。元々はラテン語の“ordo amoris”からきていて、英語では“the order of love”です。この表現はアウグスティヌスが最初に作って、その後も特にトマス・アクィナスやC.S.ルイスたちが使い続けてきたものです。 アウグスティヌスが伝えたのは、私たちが正しく良い人生を生きるためには、正しいものを正しく愛することが必要だということです。 ただ単に愛するものを減らすとか、そこまで愛さないとか、そういうことではなくて、すべての良いものをそれに相応しい愛し方で愛するべきだという考え方です。 私たちはまず何を第一に愛するべきでしょうか。 これについて聖書はとてもはっきりと、神様ご自身であると教えています。 【マタイ２２：３７～３８】イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが、重要な第一の戒めです。...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260719</link><guid isPermaLink="false">6ab2c9b7950e6b40ebb6ad4c</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 18 Jul 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/bCYGn7ef0ow?si=69H5J4uzZcwz82SL&amp;t=1775" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「家庭における親子関係」家庭に関する主題説教シリーズ06]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日も家庭に関するシリーズの続きです。 今日は親子関係について一緒に考えます。 神様は、子どもは主からの恵み、祝福だ、と教えます。しかし現代は、おそらく歴史上初めて、ほとんどの人たちは子どもが祝福であると思わなくなっています。子どもが祝福であると信じていないのです。多くの人は子どもを負担だと思っています。そして子どもが欲しいかどうかを考える時に、自分にどれぐらい負担があるのか、損得で考え始めたりします。自分にとってどのくらい益になるのかを計算した結果、多くの人は、やっぱり子どもを産むのは割に合わない、という結論に至ります。 子どもが欲しいと思う人たちもいますが、それはどこかで自己達成のためであったり、あるいは自分の幸せのためであったりします。これは自己中心的な考え方です。親は子どもに関して決して自己中心的に考えてはならないのです。 クリスチャンが子どもを求めるのは、自分の得や益のためではありません。そうではなくて、私たちがより神のような存在になれるように、御父のような存在、私たちの創造主のような存在に近づくようになるためです。神様は人間を愛していま...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260712</link><guid isPermaLink="false">6ab2c9b7950e6b40ebb6ad4b</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 11 Jul 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/vQnL3r05ksc?si=Xggx_0IRzK4OMf-W" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「結婚における夫と妻の愛」家庭に関する主題説教シリーズ05]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日の説教は、結婚に関するシリーズの続きです。先週は「家庭において妻はどのようにからだとして歩み、教会を示すのか」という話でした。その前の週は、「家庭において夫は妻のかしらとしてどのように歩み、キリストを示すのか」という話をしました。 これはおそらく世界共通のことなのですが、牧師が夫に、夫がかしらであることを教えると、ある問題が出てきます。というのは、未熟な夫たちが自分の妻を支配しようとするのです。その間違った支配というのは、妻たちにすべてを自分の言いなりにさせようと押し付けることです。そして、その間違った権威の使い方を周りの人たちが見た時に、これを聖書のせいにしたり、パウロのせいにしたり、あるいはキリスト教の神のせいにしたりします。つまり身近な男性に「あなたは妻のかしらであり、彼女を導く責任がある」と言うと、子どもに魔法の杖を渡したような状態になってしまうのです。夫は、これを持てば何でも思い通りになり、要求すればやってくれると思い込んでしまいます。例えば「今晩は味噌汁じゃなくてビールだ」と言ったり、あるいは機能性よりも自分の好みを優先して「もう2...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260705</link><guid isPermaLink="false">6ab2c9b7950e6b40ebb6ad4a</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 04 Jul 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/24nsQibgnaA?si=UQR7EtU1ji0uRqXq" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[Introduction to Christianity Course 2026]]></title><description><![CDATA[Introduction to Christianity Course 2026 is about to begin! Schedule: Twice a month on Thursdays, 7:00–8:00 PM 8 Sessions: July 2, July 16, July 30, October 15, October 29, November 12, November 26, and December 10 Lecturer: Rev. Ben Zedek Smith Format: In-person sessions at Mitaka Evangelical Church + Online via Zoom What will we learn? Where did the Bible come from? What does it say? What was the life of Jesus like? What is the Lord’s Prayer? What are prayer and worship? What is the Fall of...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/en/post/introduction-to-christianity-course-2026</link><guid isPermaLink="false">6aacc68c78851e5785012944</guid><category><![CDATA[notice]]></category><pubDate>Mon, 29 Jun 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/77694e_73c526c3d61f45a7b979e678d4517356~mv2.png/v1/fit/w_788,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[キリスト教導入コース2026のお知らせ]]></title><description><![CDATA[キリスト教導入コース2026が開始となります。 毎月2回木曜日　19:00〜20:00 全8回　7/2・7/16・7/30・10/15・10/29・11/12・11/26・12/10 講師：ベン・ゼデク・スミス牧師 対面セッション＠当教会　＋　オンライン＠Zoom 「聖書の由来って？内容はどんなことが書いてある？」 「イエスの生涯ってどうだった？」 「主の祈りってなに？」「祈りや礼拝ってなに？」 「人類の堕落って？」「十字架の救いってなに？」 「キリスト教の歴史観ってどういうもの？」 など、キリスト教の基本を全8回に渡って学びます。 対面、オンラインのどちらでも参加可能です。 参加をご希望の場合は、以下までご連絡ください。 TEL：050-1809-3920 EMAIL：info@mitakachurch.com]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B92026%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B</link><guid isPermaLink="false">6aacc3a1fe8f8f80bf71e2bc</guid><category><![CDATA[お知らせ]]></category><pubDate>Mon, 29 Jun 2026 07:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/77694e_73c526c3d61f45a7b979e678d4517356~mv2.png/v1/fit/w_788,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「家庭における女性の役割」家庭に関する主題説教シリーズ04]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 先週はかしらとしての男性(夫)を考えましたが、今日はからだとしての女性について考えます。からだとしての女性とは、結婚している女性のことです。(未婚の男性はかしらではないし、未婚の女性もからだではありません。) まず聖書の中で妻に関して話されている、最も大切な箇所の一つから始めます。 【エペソ５：２２～２３、３３】妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。… それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。 ここで妻たちに言われているのは自分の夫に従うということです。つまり、女性全体が男性全体に従いなさいと言われているわけではありません。結婚の一体の関係の外には、かしらとからだという役割は存在しないということです。例えば、教育機関、ビジネス、会社、あるいは政府や行政を考えても、男性と女性の間に心理的な違いや身体的な違いはもちろんあ...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260628</link><guid isPermaLink="false">6ab2c9b7950e6b40ebb6ad49</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sun, 28 Jun 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/h16aFdon2ws?si=u5a_lGhpa5NmtCNs" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「家庭において男性は頭(かしら)としてどのように歩むべきか」家庭に関する主題説教シリーズ03]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日の説教は家庭シリーズの続きです。男性は頭(かしら)としてどのように歩むべきか、というトピックで話したいと思います。なるべく具体的に見ていきたいと思います。 私たちの時代は、あらゆる領域で権威というものを否定する時代です。私たちは王様をなくして、その代わりに公職者を選挙で選びます。彼らは理論上は民意に従う人たちで、彼らには権威はありません。 私たちは親の権威も信じなくなっています。子どもたちはどんどん生意気になっています。 宗教もただ個人の選択と思われています。まことの神がいないと思われているからです。自分がついて行きたい神がいれば、どの神にでもついていきますし、いなければどの神にもついて行く必要はありません。 結婚にも品位はありません。男性と女性は単なる平等で、どちらも相手に対して権威がないという結婚観になります。結局、私たちは「愛があるなら権威はないはずだ」と思ってしまいます。 しかし、クリスチャンは世界を創造した神を信じています。この創造主である神は私たちを造り、善と悪の区別を教え、人生における目的と存在意義を与えています。この創造主からす...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260621</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59a90</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 20 Jun 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/5BAORrXvOv0?si=zWkJINAceFbaonCA&amp;t=1840" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「家庭における権威」家庭に関する主題説教シリーズ02]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日は、先週から始まった家庭シリーズの続きです。先週は、神様は家庭をデザインしていることについて話しました。創造の時から、神様は家庭というものをデザインしていました。 今日のトピックは、私たちが常に間違えて捉えがちなこと、「家庭における権威」について話します。 まず、家庭における三つのパターンを説明します。 一つ目のパターンは、男性が「自分は妻の頭(かしら)だ」と主張して、自分が気になるところは全部一方的に自分勝手に決めてしまうことです。彼は、自分が頭だからすべてを決断する権利があると考え、自分が決断したいところは自分で決断し、決断したくないところは妻に任せます。そして妻には「キリストに従うように黙って夫に静かに従いなさい」と言います。これは決してふさわしい状態だとだれも感じないと思います。しかし同時に、なぜこれが聖書的ではないのかを言語化して説明するのは、思っているよりも難しいかもしれません。 二つ目のパターンは、これがひっくり返った状態です。つまり、男性の方が柔和で受け身的です。女性の方にエネルギーがあって、家庭内の決断はすべて妻が思うようにし...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260615</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59b62</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sun, 14 Jun 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/3gk0m-Z_4ao?si=ZHwD63Xfu17_0OTa" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「神がデザインされた家庭」家庭に関する主題説教シリーズ01]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 三位一体節に入っています。私のストールが緑色になっていることからも、それがわかると思います。 緑というのは何を象徴する色だと思いますか。おそらく、皆さんは同じような答えを出すでしょう。つまり、いのちや成長など、生きていて育つもののことです。 実際、この三位一体節の間、私たちが読む聖書日課の焦点は、イエスの人生の中の出来事から、イエスの教えの方へと移っていきます。私たちはイエスがどのように生きたのかを学び、そこから私たちがどのように生きるべきかを学ぶことができます。この時期は、努めてイエスのように生き、イエスにあって成長することを求める時期、そこに集中する時期だと思ってください。 そうは言っても、今日は聖書日課からの説教ではありません。今日の朗読箇所は本当に大好きな箇所ばかりで、日課ではない箇所から説教するのは心苦しいのですが、私たちの成長を考えた時に、この時期に二つの説教シリーズを計画しました。 まずは家庭に関するシリーズです。なぜなら、家庭というものは神の似姿として生きるために欠かせないものであり、御国を築くためにも不可欠なものだからです。その後...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260607</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59a7b</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 06 Jun 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/RrOXZZ41ysc?si=_cYzh7Ws_XL8U64n&amp;t=1772" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「みことばと聖礼典を通して働く御霊」]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 今日は聖霊降臨後第一主日、三位一体主日です。 三位一体というのはものすごく大きなテーマです。これに関してラルフ牧師も複数の本を書いています。 今日はその範囲を狭めて、三位一体の中で今の時代に一番誤解されている「御霊」を取り上げたいと思います。 じつはこの1~2週間で何人かの人に「御霊とはだれですか」「何をするお方ですか」と聞かれました。今日も複数の教会学校が御霊の話をするようなので、御霊の導きを感じています。 ある意味で、御霊のことがピンとこないというのは当然です。御父や御子については、自分の周りには父も子もたくさんいて、なんとなくわかる気がします。「あ、そういうことか」と。でも御霊には、明らかに相当するものがありません。まるで掴みどころがない風のようです。 しかしじつは、私たちに一番近いのが御霊なのです。風が吹いて私たちの環境を作るように、御霊はいます。そして息のように私たちの中で動いて、私たちにいのちを与えているのも御霊なのです。神様が何をするにしても、御霊が働きます。これは三位一体のどの位格に関してもそうなのです。(位格とは御父、御子、御霊の...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260531</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59a86</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 30 May 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/S3HaX1bDoiA?si=nPJv6szH3CC0_kn8" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「聖霊と火によるバプテスマと聖餐式の感謝」使徒２：１～２１]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 使徒２：１～２１ 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260524</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59a8d</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/S9fkGHi9GrM?si=GxTwQHo5mvWqUjGd" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「昇天後主日」]]></title><description><![CDATA[説教者：ベンゼデク・スミス牧師 「昇天後主日」 今日は昇天後主日です。昇天日は先週の木曜日でした。しかし最近は平日に教会に集える人が少ないので、だいたいの教会はイエスの昇天を日曜日に祝っています。私たちもそうしています。 ⚫️私たちはなぜ毎年イエスの昇天を覚えて祝うのでしょうか。 昇天というのは悲劇ではないでしょうか。イエス·キリストがせっかく復活したのに、わずか四十日後に私たちを見捨てて、そして一人で天に昇ってしまったのです。どうしてイエスは忠実に信じている人たちを一気に天に引き上げてくれなかったのでしょうか。そうしたくれていたら、私たちは幸せにイエスと天国で暮らすことができたのに。 あるいは、なぜイエスはもっと長くこの地上に残ってくれなかったのでしょうか。イエスが弟子たちを訓練していた期間は三年しかありませんでした。三年では何の名人にもなれません。大学も四年間です。イエスがもっと長く地上に残ってくれれば私たちにとって良かったはずですし、教会ももっと安定するはずでした。イエスが地上に残っていれば、どれだけたくさんのことができたでしょうか。例えば、教会のために良いリーダーを選ぶこ...]]></description><link>https://www.mitakachurch.com/post/sermon20260517</link><guid isPermaLink="false">6aab7da5ad7fa525ceb59a82</guid><category><![CDATA[礼拝説教]]></category><pubDate>Sat, 16 May 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="http://youtu.be/E3L2mlaBrBM?si=iMVimzZrXHq9155a" length="0" type="video"/><dc:creator>churchmitaka</dc:creator></item></channel></rss>