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「からし種の信仰」ハバクク1:1〜4、2:1〜4・第二テモテ1:1〜14・詩篇37:1〜9・ルカ17:5〜10

更新日:2023年2月18日

説教者:ベンゼデク・スミス牧師


ハバクク1:1〜4、2:1〜4

宣告。これは預言者ハバククが見たものである。

いつまでですか。主よ。私が叫び求めているのに、あなたが聞いてくださらないのは。

「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、救ってくださらないのは。

なぜあなたは私に不法を見させ、苦悩を眺めておられるのですか。暴行と暴虐が私のそばにあり、争い事があり、いさかいが起こっています。

そのため、みおしえは麻痺し、さばきが全く行われていません。悪しき者が正しい者を取り囲んでいるからです。そのため、曲がったさばきが行われているのです。

私は、自分の物見のやぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。

主は私に答えられた。「幻を板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」



第二テモテ1:1〜14

神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、

愛する子テモテへ。父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。

私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。

私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。

私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。

そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。

神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。

ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、

今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。

この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。

そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。

あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛のうちに、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。

自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。




詩篇37:1〜9

悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。

彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。

主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。

主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。

主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。

怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。



ルカ17:5〜10

使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰ってきたら、『さあ、こちらに来て食事をしなさい』と言うでしょうか。むしろ『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。お前はその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも自分命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」



今日の4つの箇所に共通するテーマは何でしたか。

ハバクク2:4 正しい人はその信仰によって生きる。

詩篇37:3 主に信頼し善を行え。

第二テモテ1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。

ルカ17:6 もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば…

この四つの箇所に共通するテーマは「信仰」です。皆さんの信仰はどうでしょうか。からし種ほどありますか。偽りのない信仰ですか。その信仰は善を行うように導いてくれていますか。その信仰によって生きていますか。信仰をもち続けることは容易なことではありません。



●ハバクク

ハバククの時代から考えてみます。

ハバククはユダがバビロン帝国に侵略される少し前にこの書を書いています。時期を特定するのは困難ですが、ヨシヤ王の時代の最後の方かもしれません。

その時代のユダは暴力と腐敗に満ちていました。力あるものたちが、正義のためではなく人を支配するために法律を用いていました。ヨシヤは良い王だったのに、彼でさえその国を救うことができないほど腐敗は深刻でした。それでハバククは、なぜ何もしないのかと神に訴えているのです。現代人が神を信じない理由の一つがこれです。人々になぜ神を信じないのかと聞くと、次のように答えることが多いのです。「善で力のある神がいるなら、なぜこのような苦しみがあるのですか。」「世の中は悪で満ちているのに、なぜ神はこれを止めないのですか。」「神が私たちを愛しているなら、このように苦しませることはないはずです。」

しかし神はハバククに答えます。「信仰をもって待ちなさい。」と。神様は確かに働いておられるのです。神様はバビロン帝国を準備していました。彼らによってユダにある悪を追い払うのです。

【ハバクク2:3】もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。

実際にこの数年後にネブカドネツァルの軍隊がユダを占領しました。その時にダニエルのような正しい人たちは預言者の言うことを聞いてネブカドネツァルに従いました。しかし神に逆らう悪者たち、例えばゼデキヤ王のような人たちは預言者やネブカドネツァルに逆らって、エルサレムの町や神殿とともに滅ぼされました。



⚫️詩篇37

悪意を遂げる者が栄えるからといって腹を立てるな、と教えてくれます。

【詩篇37:7】主の前に静まり耐え忍んで主を待て。

私たちはハバククのような状況にはいませんが、もしかしたら上司にいじめられているかもしれないし、そういう過去があるかもしれないし、場合によってはそれが親だったり、夫、兄弟、クラスメイト、先生だったかもしれません。私たちの場合は国のレベルで考えると比較的腐敗が少ないのは神に感謝すべきですが、ロシアの人たちはどうでしょう。プーチンは23年間権力を持っていて、彼こそ法律を自分のためになるように用いています。彼は法律上はあと14年間大統領を続けられることになっています。この数週間、ロシアに住んでいる人たちの中で、ロシアから逃げ出そうとしている人がたくさんいます。あるいは軍人にならなくてもいいように、自分の手や足の骨を折ったり怪我をしようとしている人がたくさんいます。私たちがこのような腐敗や不正に怒りをもって反応するとどうなるでしょうか。

【詩篇37:8】怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

人の憤りは悪への道です。マルクス主義や共産主義は、不正に対する怒りからくるものです。アメリカの大学のデモも、まず怒りを感じてその怒りに大いに反応しています。しかしじつはこの怒りは絶望を示しています。正しい人の道を歩んでも意味がないという絶望、待っていても神は動いてくれないという絶望なのです。

うちの娘アイラはおなかがすくと目が覚めるのですが、授乳までの少しの時間が待てずに泣き出します。あと30秒待てばいいのにすぐ泣きます。でも昨夜は泣き出す前にちょっと様子を見ていて、「あー、準備してくれているんだな」と思ったのか5秒くらい泣かなかったのです。この2カ月半でそこまで耐える力を身につけました。私たちは30秒なら待てます。おそらく数か月くらいなら待てるようになっていると思いますが、それでも神様に信頼して神様のタイミングを学ぶのは一生かかることでしょう。信仰をもって待つとは何もしないということではありません。神を信頼して善を行って待つのです。絶望せずに、怒りをもたずに、義人が地を受け継ぐことを信じて待ち続けるのです。



⚫️ルカ

なぜ使徒たちはイエスに「信仰を増し加えてください」と頼んだのでしょうか。残念ながら今日の朗読はここから始まっていて、この直前にイエスが何を話したかは読んでいないのですが、この前の節でイエスはこのように言っていました。

【ルカ17:3b~4】兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら赦しなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。

自分の兄弟が一日に何回も自分を傷つけたとします。それでも私たちは怒りをもって答えるのではなく、信仰をもって赦さなければならないのです。どんな信仰かというと、自分は罪人であり、神に赦された者である、という信仰です。赦しとは信仰がある者の行いなのです。なぜなら、今すぐに悪がさばかれて正義が行われるように望んでいないからです。神はすべてを良しとします。その信頼をもって赦すのです。神様は完全なる正義と和解をもたらします。だから何度でも兄弟を赦すことができるのです。



⚫️第二テモテ

ここでも信仰の話が出てきますが、今度は信仰の継承に関する話です。パウロは歳をとっていて、しかも牢にいます。だから自由に動き回って新しく教会を始めたり、始めた教会を励まして教えることはできない状態なのです。それでパウロに代わってパウロの信仰を継承する、霊的な息子であるテモテに、遺言のような最後のことばを書きました。

ここにも信仰を妨げるものが見えます。それはパウロが牢に入っていることです。パウロが牢に入っている理由は、犯罪者として十字架にかけられたイエスについて行ったからです。ではそのパウロについて行っているテモテも危険ではないのでしょうか。もちろんパウロと同じように大変危険です。ではこんな危険な道を歩むテモテを、パウロはどのように励ますのでしょうか。

じつはこの問題は、私たちの教会にとって、とても大切なことです。私たちの教会は迫害にあっているわけではありませんが、キリストが再臨するまで、何世代も続いてほしいと思っています。そしてこの教会を始めた人たち、信仰の土台を築いた人たちはまだ生きています。彼らがいなくなっても次の世代は信仰を継承できるのか、というのが今問われて、これからも問われることです。

実際にテモテとテモテの世代は使徒たちの信仰を受け継いだ世代でした。そしてその世代からまた次の世代に、さらにその次の世代に信仰が受け継がれて、二千年続いたから私たちはここにいるのです。つまり私たちの信仰は実際にパウロとテモテから来ているのです。パウロはおもにギリシャやローマで働いていて、その信仰がヨーロッパに広がり、そこからアメリカに広がって宣教師たちが出たので、そのようにしてパウロの信仰が私たちに来ています。だから私たちは使徒の教会の一員です。パウロはどのようにこの信仰を受け継がせたのでしょうか。とても大きなテーマなのですが、今日の一つの箇所からいくつかのことが考えられます。

【第二テモテ1:3】私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。

まずパウロは神に仕えています。パウロが信仰をもっていなければだれもそれを継承することはできません。そしてパウロは昼も夜もテモテのために祈っています。なぜなら信仰は神からの賜物だからです。そして愛を通して受け継がれるものです。その愛は次の4節に書かれています。

【第二テモテ1:4】私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。

パウロはテモテのことを本当に愛して、いつも覚えて、夜も昼も毎日祈っていました。そして愛する子と呼びます。つまりテモテはパウロの働きのために使う道具ではないのです。働きだけが大事で、テモテをその働きのために利用して働かせている、というわけではないのです。パウロはテモテを息子として愛しています。そしてこのつながりに対して、パウロは照れくささを感じていません。テモテとパウロが離れ離れになったとき、テモテは涙を流していました。パウロはその涙を覚えていて、早くまた会いたいという思いがありました。これをパウロが恥ずかしげもなく話すのは文化的なことなのでしょうか。パウロがユダヤ人だからできたのでしょうか。いや、これは文化的なことではなく、イエスが弟子たちに対してもっている思いだったのです。イエスは御父によってこのように愛されていました。これから私たちの洗礼式で使おうと思っている器があるのですが、裏にラテン語で「これはわたしの愛する子。わたしが喜ぶわたしの愛する子」と書いてあります。このことばは、私たちの洗礼のときに神様が語ってくださることばです。私たちをイエス・キリストの名のゆえに受け入れて、御子に対する愛を私たちに与えてくださっています。これが御父の話し方であるなら、私たちもお互いにこのように接するべきです。この文化は御父から来ています。そして親から始まって子に対してそれを表現しなければならない愛です。自分の子どももそうですが、自分の霊における子に対しても同じです。いのちが御父から始まったように、愛も御父から始まります。アダムから人間のDNAを受け継いだたように、キリストから永遠のいのちを受け継いでいます。それが次の世代に、そしてまた次の世代に受け継がれていくので、私たちは赤ちゃんに洗礼を授けるのです。そのときに、親が子どもの代わりに信仰を告白します。それが子どもに与えられる一番偉大な賜物なのです。

【第二テモテ1:5】その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。

この賜物こそ、ロイスがユニケに与えたもの、ユニケがテモテに与えたものなのです。幼児洗礼だったとはいえませんが、テモテも同じようにパウロから何かを受け継いでいます。それは次の6節からのところを見てみます。

【第二テモテ1:6〜7】そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。

パウロはテモテに手を置いて、按手して、それによってテモテは御霊の炎の賜物を受けました。

これは臆病の霊ではないとパウロは言います。パウロは牢に入っているので、パウロのあとを継ぐのは危険なのですが、テモテが勇気をもたなければならない大変なことがもう一つあります。それはパウロのあとを継ぐことです。テモテはまだ若くて、自然とリーダーになるようなカリスマを持っていなかったかもしれません。教会のある人たちは彼を見下していました。

【第一コリント16:10~11】テモテがそちらに行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようにしてあげてください。彼も私と同じように、主のみわざに励んでいるのです。だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちと一緒に戻るのを待っています。

パウロがわざわざこのように言わなければならなかったのです。これは世代交代の時によくあることです。新しい役割、新しいリーダーは物足りなく見えます。何しろ相手は使徒パウロなのです。そのあとを継ぐのは恐ろしくなかったでしょうか。絶対にプレッシャーがあって、人々はがっかりするし、自己不信もあるだろうし、自分にがっかりすることもあったでしょう。パウロはテモテが臆病になる可能性があるか、もしかしたらもうなっているかもしれないし、テモテのこともよく知っているからこれを察しているのです。しかしパウロはローマの牢にいていつ死刑になるかわからない。だからテモテには絶対に行動してもらわなければならないのです。テモテが恐れている限り行動を起こすことはできません。テモテは、一方ではローマ帝国に対する勇気が必要です。迫害や抑圧に負けないで福音を伝え続けなければなりません。そしてもう一方では教会に対する勇気が必要です。足りない者であってもパウロのあとを継がなけばならないのです。みんな同じような状態にいます。勇気がないと、新しい長老になるのも、奏楽者になるのも大変です。日曜学校の先生や親やグリーターや、そのほかのどんな役割があっても、勇気をもってそれを果たす必要があります。その勇気は神からくる御霊の賜物です。神からくるから私たちは祈らなければなりません。

しかし、勇気だけでは足りません。行動するための力も必要です。これは力の霊です。

また、愛がなければモチベーション、動機が正しくありません。愛以外の動機は全部自分を迷わせます。あるいは自分が疲れ果てて行動することができなくなってしまいます。

勇気、行動するための力、動機、愛が必要です。そしてもう一つ必要なのが、どのように行動すべきかを知るための慎みの霊なのです。



最後に、私たちの教会にとって、今日の箇所からどのような知恵を得ることができるでしょうか。

上の世代の人たちへの知恵ですが、私たちは祝福されればみんな上の世代になるので、若い人たちも自分とは関係ないと思わないでください。上の世代には若い人たちも含まれます。まずは若い人たちのために祈ってください。自分の子どもだけではなく、教会のすべての若い人たちのために祈ってください。そして彼らの信仰を見て神に感謝してください。そして自分の愛を表現してください。言葉と模範をもって彼らを励まし、導いてください。

若い世代の人たちへの知恵は、上の世代の人たちの信仰の模範を見て覚えることです。この教会の最初の世代は、まだ私たちと一緒にいる人もいるし、すでに天国に行った人もいます。天国に行った人たちの多くは安孫子のシャロームということばの下に眠っています。皆さんは彼らを覚えているでしょう。彼らの名前を思い出して、彼らの信仰を思い出してください。彼らが種のように地面の下に埋められているのは、私たちがそこから伸びて成長するためです。

また、若い世代は信仰において成長を求めてください。求めれば与えられるものがあります。イエスを求めればイエスを得ることができます。イエスを求めてイエスの家、礼拝に来てください。毎日聖書を読んで祈ってください。成長を求めるときに、積極的に求めてください。たくさんの教師から求めてください。メンターになる人たちとの関係もあるし、本もあるし、YouTubeの動画などから積極的に成長を求めてください。そして最後に恐れないでください。恐れる必要はありません。なぜならからし種ほどの信仰で充分だからです。自分の信仰がどれだけ偉大かは問題ではありません。弟子たちが信仰を増してくださいと頼んだときに、イエスは信仰は大きくなくてよいと答えました。偉大なのはあなたの信仰ではなく、神様だからです。だからからし種の信仰で充分です。私たちは神に頼って、この世代交代が後退にならないように、夜も昼も祈りましょう。




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