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「イエスのバプテスマ」イザヤ43:1〜7・詩篇29篇・使徒の働き8:14〜17・ルカ3:15〜17、21〜22

説教者:ベンゼデク・スミス牧師

イザヤ43:1〜7

だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよあなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あばたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

わたしはあなたの神、主。イスラエルの聖なる者。あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセパをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。

恐るな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。北に向かっては『引き渡せ』と言い、南に向かっては『引き止めるな』と言う。わたしの息子たちを遠くから来させ、娘たちを地の果てから来させよ。わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。



詩篇29

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いをして主にひれ伏せ。

主の声は水の上にあり 栄光の神は雷鳴をとどろかせる。主は大水の上におられる。

主の声は力強く 主の声は威厳がある。主の声は杉の木を引き裂き レバノンの杉を打ち砕く。

それらの木々を子牛のように レバノンとシルヨンを若い野牛のように、跳ねさせる。

主の声は、荒野を揺さぶり 主は カデシュの荒野を揺さぶる。

主の声は 雌鹿をもだえさせ 大森林を裸にする。主の宮では、すべてのものが「栄光」と言う。

主は 大洪水の前から 御座に着いておられる。

主は とこしえに 王座に着いておられる。

主は ご自分の民に力をお与えになる。

主は ご自身の民を 平安をもって祝福される。



使徒の働き8:14〜17

エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちにだれにも下っていなかったからである。そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。


ルカ3:15〜17、21〜22

人々はキリストを待ち望んでいたので、みなヨハネのことを、もしかするとこの方がキリストではないか、と心の中で考えていた。そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀上を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に収められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

…さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降ってこられた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」


今日は顕現節最初の日曜日です。先週の木曜日が顕現日で、イエスが現されることを記念します。クリスマスから12日目が顕現日で、顕現節は3月2日の灰の水曜日前日までずっと続きます。

灰の水曜日から40日間は四旬節(受難節)で、復活節(イースター)で終わります。

私たちが先週木曜日の顕現日に礼拝をするとすれば、東方の博士たちがイエスを訪ねる箇所を読みます。顕現節とはイエスが異邦人に表されることを記念する日なのです。


今日はイエスのバプテスマについて話します。なぜならイエスのバプテスマは顕現節の大切なテーマの一つだからです。

イエスは油注がれた王メシアで、神である神の子です。もちろん当時はイエスを見て神である神の子だとはだれも思いませんでした。だから今でもある人たちは、バプテスマを受けるまでイエスは自分が何者か分からなかったし、メシアであること、神であることも知らなかったと言います。そして、大工の子として生まれ育ったので、ここで急に混乱させられて、自分がメシアであることを考え始めたのだろうと言います。

しかし今日のこの箇所を見るとそれはあり得ません。イエスは小さい時から、ヨセフやマリアから、御使いガブリエルがどのように現れたのか、東方の博士たちや羊飼いたちがヨセフとマリヤに何を言ったのかなど、自分が生まれた時のストーリーを聞いていたはずです。私たちが知らないストーリーももっとたくさんあっただろうと思います。

そしてイエスは小さい時から聖書を読み、知恵のある人がいれば彼らのところに行って質問していました。十二才のときに、メシアとはだれか、そしてどのようにイスラエルと世界が救われるのかを、イスラエルの一番偉大な学者たちと対等に話せるくらいまで理解が深くなっていました。

イエスのバプテスマはそれから二十年近くたっています。イエスは三十歳になりました。

【ルカ3:23】イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。

イエスは三十年の成長の中で、ご自分が何をなすべきかわかっていました。大工をしながら準備していたのです。イエスが独身であることもその準備を表しています。当時の男性はだいたい二十歳で結婚していました。ペテロはイエスより若いはずですが、すでに結婚しています。しかしイエスはご自分の使命を理解していたので独身だったのです。

イエスは三十歳でバプテスマのヨハネのところに来てバプテスマを受けました。三十歳は祭司が働きを始める年齢でした。創世記のヨセフがエジプト王の右の座についたのも三十歳でした。ダビデがイスラエル全体の王になったのも三十歳でした。イエスもダビデの子としてイスラエルの王になる時が来たことがわかっていたはずです。バプテスマを受けて「これはわたしの愛する子」と言われたとき、その意味も分かっていました。この時点でもはやイエスは他の人間に誘導されてバプテスマに導かれたわけではありませんでした。バプテスマのヨハネのところに来たのもイエス自身でした。バプテスマのヨセフはイエスにバプテスマを与えるより自分がイエスからバプテスマを受けたいと思っていたほどでした。

【マタイ3:14】しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。

つまりイエスは理解をもってヨハネのところに来て、ヨハネを説得して、バプテスマを受けているのです。

イエスは「これはわたしの愛する子」という御父の天からの声を聞いたとき、その意味がわかっていました。御父がご自分の愛する子に何をさせるのかわかっていました。神様がアブラハムにイサクをささげさせたことも自分の道だとわかっていました。つまり、今イエスが受けた使命が最終的に十字架につながることをイエスは知ってたのです。

ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、イエスは聖霊と火でバプテスマを授けます。しかしイエスはここでは水のバプテスマしか受けていません。次に何が起きたでしょうか。イエスがヨハネの水のバプテスマを受けたら、イエスの上に鳩の形の聖霊がくだったのでしょうか。いいえ、そうではありません。バプテスマを受けた後、まずイエスが祈ったのです。

【ルカ3:21】さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降ってこられた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

イエスはただ立って水にぬれていたのではなく、能動的に動いていました。そして御霊と天からの声はイエスの祈りの答えとして与えられたのです。天から声がしたのはこのときだけではありません。ヨハネ書にも次のようにあります。

【ヨハネ12:28】父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」そばに立っていてそれを聞いた群衆は、「雷が鳴ったのだ」と言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話しかけたのだ」と言った。

御父の声がどのようなものか想像することができると思います。低くて、力強く、権威に満ちた雷のような声だったのではないかと思います。

【詩篇29:4〜5】主の声は力強く 主の声は威厳がある。主の声は杉の木を引き裂き、レバノンの杉を打ち砕く。

バプテスマを受けて、イエスは何のために祈ったのでしょうか。ここには書かれていませんが、想像するのは難しくありません。イエスの祈りに対する神の答えがイエスに御霊を送ることであるのなら、わたしはあなたの愛する子なので御霊をください、という祈りも含まれていたに違いありません。この祈りは御父が喜ぶ祈りでした。一番優れたもの、一番素晴らしいもの、御父が一番与えたいもののために祈ったからです。

じつはこれはルカ11章からはっきりわかります。

【ルカ11:1b】「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」

弟子たちがイエスにこのように頼んでいます。そこでイエスは主の祈りを教えます。それから次のように言います。

【ルカ11:9〜10】ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探すものは見出し、たたく者には開かれます。

そしてこの話の最終的な結論は次のみことばです。

【ルカ11:13】ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。

私たちはどう祈るべきでしょうか。正しいものを求めれば神はそれを与えてくださるのです。御父が私たちに一番与えたいと思っている良いものは御霊です。あまりに良いものなので、イエスが弟子たちとともにいるよりイエスが離れて天から御霊を送る方が彼らにとって良いと思うほどのものです。実際にそれはペンテコステの日に起こります。

御霊が与えられることは、古い契約と新しい契約の違いを作るものです。御霊の賜物に最も満たされたときに、肉のからだから復活のからだになります。復活のからだは霊のからだです。

考えてみれば世界の初めに水の上を動いて世界を形造ったのは御霊でした。

処女マリヤにイエスをみごもらせたのも御霊でした。

そしてイエス・キリストにあって新しい創造がありました。


ペンテコステのときから聖霊は教会を通して全世界を作り直しています。これが私たちが読んだ使徒の働きの箇所です。イエスが天に昇ったあとの話です。

【使徒の働き8:15〜17】二人(ペテロとヨハネ)は下って行って、彼ら(サマリヤの人々)が聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちにだれにも下っていなかったからである。そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

この聖霊を受けた者は神の器になります。器になるということは、その中に神の霊が宿っているということです。神の霊がその器を通して全世界で働いて、神の御心が行われるのです。


あなたは神の器になりたいですか。神に用いられる者になりたいですか。それなら御霊が与えられるように祈ってください。もちろんすでにありますが、もっと豊かに与えられるように祈ってください。

あなたは誘惑に打ち勝ちたいですか。それなら御霊が与えられるように祈ってください。

自分の歩むべき道や自分の使命を知りたいですか。それなら御霊が与えられるように祈ってください。

自分が何をすべきかはわかるけれど、それをどのようにすればいいかわからなければ、御霊が与えられるように祈ってください。

どうしなければいけないかわかるけれど、自分の中にそれを行う力がないなら、御霊が与えられるように祈ってください。

大水や燃える火を恐れてはいけません。この水も火も私たちの洗礼に過ぎません。

私たちは神の子ら、神の娘たちだからです。

【イザヤ43:1~2】だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよあなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あばたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

水の中や火の中を通ることは、私たちにとって気持ちのいいものではありません。場合によってはとても苦しい体験です。でもそれもバプテスマと思って恐れないでいてください。場合によっては私たちが祈っても、求めていても、聖霊を受けていないと感じる時があります。そんなときは、もしかしたらまちがって祈っているかもしれないと思うかもしれません。

【ヤコブ4:3】求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。

私たちの祈りが聞かれていないと思うとき、私は神の子だけど私は神に喜ばれていない、と思うかもしれません。それでもかまいません。なぜなら御父は常にイエスを喜んでいますから。そして私たちはイエスの名によっていつでも神に受け入れられていますから。あなたも神の愛する子です。バプテスマのときに御霊を受けました。バプテスマを通してイエスのいのちと使命にあずかっています。

しかしこの使命を果たすためには、キリストにあるいのちを生きるためには、聖霊が必要です。ですから能動的に「私はあなたの愛する子なので、私にあなたの御霊を与えて下さい」と祈ってください。


それでは今から、御霊を通して、パンとぶどう酒を通して、イエスにあずかることができるように祈りましょう。




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