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「イエスの誘惑」申命記26:1〜11・ルカ4:1〜13・詩篇91篇

更新日:2023年2月18日

説教者;ベンゼデク・スミス牧師


申命記26:1〜11

あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に入って行き、それを占領し、そこに住むようになったときは、あなたの神、主が与えようとしておられる地から収穫する、大地のすべての実の初物の一部をとって、かごに入れ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ばれる場所へ行かなければならない。そして、そのとき任務についている祭司のもとに行って、「今日、あなたの神、主に報告いたします。私は主が私たちに与えると父祖たちに誓われた地に入りました」と言いなさい。祭司があなたの手からそのかごを受け取り、あなたの神、主の祭壇の前に置いたら、あなたは、あなたの神、主の前で次のように告白しなさい。

「私の父はさすらいのアラブ人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。しかし、エジプト人は私たちを虐待し、苦しめ、私たちに激しい労働を課しました。私たちが私たちの父祖の神、主に叫ぶと、主は私たちの声を聞き、私たちの苦しみと労苦と虐げられている有様をご覧になりました。そこで、主は力強い御手と伸ばされた御腕によって、恐ろしい力と、しるしと不思議をもって私たちをエジプトから導き出し、この場所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに与えてくださいました。今、ここに私は、主よ、あなたが私に与えてくださった大地の実の初物を持って参りました。」

あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前で礼拝しなければならない。あなたの神、主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵みを、あなたはレビ人および、あなたがたのうちの寄留者とともに喜びなさい。



ルカ4:1〜13

さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。

そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」

すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。『神は、あなたのために御使いたちに命じて、あなたは守られる。彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」

悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。



詩篇91篇

いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。

私は主に申し上げよう。「私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神」と。

主こそ 狩人の罠から 破滅をもたらす疫病から あなたを救い出される。

主は ご自分の羽であなたをおおい あなたは その翼の下に身を避ける。

主の真実は大盾 また砦。

あなたは恐れない。夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも。

千人が あなたの傍に 万人があなたの右に倒れても それはあなたには 近づかない。

あなたはただ それを目にし 悪者への報いを見るだけである。

それはわが避け所 主を いと高き方を あなたが自分の住まいとしたからである。

わざわいは あなたに降りかからず 疫病も あなたの天幕に近づかない。

主が あなたのために御使いたちに命じて あなたのすべての道で あなたを守られるからだ。

彼らはその両手にあなたを乗せ あなたの足が石に打ち当たらないようにする。

あなたは獅子とコブラを踏みつけ 若獅子と蛇を踏みにじる。

「彼がわたしを愛しているから 私は彼を助け出す。

彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる。

彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。

わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。

わたしは 彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる。」



先週の水曜日(灰の水曜日)から四旬節が始まりました。今日は四旬節の最初の水曜日です。クリスチャンはこれから四十日かけて、復活祭に向けて準備します。この季節は伝統的に三つのことに集中します。祈り、断食、施しです。

特に四旬節の前半では、私たち一人一人は死ななければならない者として生きていることを覚えます。私たちは塵から出て塵に帰ることを覚え、罪を告白して悔い改め、忠実に正しく生きるように自分を訓練します。

今日はキリストの誘惑の話から始めます。キリストの模範を見て、そこから学び、心の中の戦いに勝利することができるように願っています。


さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。(ルカ4:1~2a)

前後関係を見てみますと、イエスはヨルダン川でバプテスマを受けて、御父から私の愛する子と宣言されたばかりでした。それはイエスがメシアであるという宣言でもありました。御霊に満たされて、今から世を救う王としての働きを始めるところでした。そしてそのあとすぐに御霊がイエスを荒野に導きました。イエスは四十日間悪魔に試されることになります。これを見て、過去にあった二つの出来事を連想します。

一つ目の連想はエデンの園にいたアダムです。アダムは神の似姿に造られました。つまり、神の子として愛を受けています。アダムが神の似姿として造られたことは、その愛の一番の表れです。そして妻としてエバが与えられていることと、すべての生き物を支配する王とされていることも神の愛のしるしなのです。その愛を受けてすぐに、アダムは悪魔の試みを受けました。

イエスも、新しいアダム、新しい人類の初子(ういご)、長男です。そして新しい天と新しい地の支配者として任命されています。これは大事なつながりです。


二つ目の連想はイエスとイスラエルです。じつは今日見ていきたいつながりは、このイエスとイスラエルのつながりです。

エジプトから呼び出された神の子のつながりです。

【ホセア11:1】イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。

これはイエスのことでもあります。

そして神様はイスラエルをご自分の愛する初子と呼んでいます。

【出エジプト4:22~23a】そのとき、あなたはファラオに言わなければならない。主はこう言われる。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、彼らがわたしに仕えるようにせよ。…』

イスラエルも新しい民としてある意味で生まれたばかりだったのです。イスラエルが渡った海はバプテスマでした。新しい民としての使命を受けてすぐに試練が与えられます。本当は四十日の旅だったのですが、彼らは何度も試練に失敗したので四十年の旅になってしまいました。私たちの今日の旧約聖書からの朗読は、エジプトから出た荒野のイスラエルの話を短くまとめたものでした。私たちはこのイスラエルとキリストのつながりを見ながら、キリストの誘惑を考えたいと思います。


そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」(ルカ4:3~4)

石をパンに変える誘惑です。イエスは荒野で一人でした。他に人がだれもいないところで四十日間も断食しました。おなかがすいて孤独で、からだも霊的にも弱い状態でした。私たちもからだに必要なものがないとおかしくなります。眠れないとき、食べることができないとき、あるいは長い間孤独だったとき。

眠い子どもやおなかがすいている子どもを見て下さい。ぐずっている子たちに食べ物を与えると、子どもたちはその人を信頼します。

動物も食べ物を与える人を主人と認めて言うことをききます。つまり食べ物を与えるのは根本的な愛の行動なのです。ではなぜこれが誘惑になり得るのでしょうか。石をパンに変えるのはなぜ悪いことなのでしょうか。

悪魔の挑戦は「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」というものでした。イエスは四十日前にバプテスマを受けたときに、御父から「わたしの愛する子」と宣言されました。神があなたを愛しているなら、なぜあなたに食べさせないで苦しませるのですか、という悪魔の誘惑です。

イエスは生まれてからまだ一度も奇跡を行ったことがありませんでした。「わたしの愛する子」という宣言があってから、神との関係を試したことも一度もありません。悪魔は、今が子であることを試す素晴らしい機会ではないか、神様があなたを愛して養って下さることを見てみたいですよね、と言うのです。

悪魔は悪賢くアダムにエデンの園の善悪の知識の実を見せました。その実はアダムにはまったく無害に見えました。

同じように石をパンに変えることは無害に見えます。

しかし、イエスが最初に行う奇跡が、自分を食べさせるために石をパンに変えることだったらどうでしょうか。神の宣言を試すために、疑いからその奇跡をおこなったらどうなるのでしょう。悪魔は御子と御父の間に壁を作ろうとしているのです。愛と信頼を邪魔しようとしているのです。愛の代わりに疑いを、信頼の代わりに試させようとしていました。しかしイエスはご自分が荒野のイスラエルと同じ立場にいて、同じように試されていることに気づいたので、申命記8章を引用して悪魔に答えました。

【申命記8:2~3】あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。

イエスは、ご自分が神の子であることを一度も疑いませんでした。イエスはこの四十日間パンを食べていませんでしたが、御言葉で満たされていました。その御言葉がイエスの口から湧き出たのです。

クリスチャンが断食するのは良いことですし、場合によっては食べ物や贅沢などの肉の欲を抑えることは大事なことです。そうすれば私たちは旅行、ファッション、ご馳走に対する飢えに耳を傾けず、神ご自身に対する飢えに耳を傾けられます。


すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(ルカ4:5~8)

悪魔を礼拝する誘惑です。

悪魔は一瞬のうちにイエスに世界のすべての国々を見ました。何が見えたのでしょうか。イエスがこの誘惑にあったAD30年頃は、全世界は悪魔に支配されていました。イエスは、偶像礼拝、人間をいけにえにすること、奴隷、人間の無知と残酷、多くの苦しみを見ました。悪に支配されている人類を見たのです。それを見るのはイエスにとって苦しいことでした。イエスが感じるのは、ご自分が悪魔の代わりにこの世を支配する者にならなければならないということでした。イエスが正義と恵み、あわれみをもって支配する者にならなければいけないのです。それを深く感じていました。

その支配を得るために、今ここで悪魔に頭を下げれば、一瞬で与えられるのです。悪魔は一瞬で降参して、人を誘惑して苦しみを与えることをやめます。イエスの十字架の道を避けることもできるし、世界も簡単にすぐに苦しみを避けることができます。

反対に、イエスがこれを受け入れなければ世が苦しみます。十字架の道を全人類に歩ませると、人類も神を憎むのではないかと思いますが、イエスは拒否します。それがどんなに近道であっても、正しいことを間違った方法では行いません。イエスはサウロを殺さないダビデのようです。そして荒野のイスラエルと対比的です。

【申命記6:10a、11b~14】あなたの神、主は、あなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ…食べて満ち足りるとき、気を付けてエジプトの地、奴隷の家からあなたを導き出された主を忘れないようにしなさい。あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。他の神々に、すなわち、あなたがたの周りにいる諸国の民の神々に従って行ってはならない。

悪魔が与えようとしているのは近道です。例えば、職場でライバルに勝つために彼らの悪口を言ったり、早く出世するために上司にへつらったり、人を従わせるためにいじめたりすることです。それによってこの世の富を求めたり、人からの名誉を求めたりすること、これが私たちの周りにある神々なのです。

「これは自分の家庭を養うためだ」間違った方法だけど出世すれば神様のためにもっと良い正しいことができる。」「仕事で良い成績がほしい。良い評価がほしい。だから教会へは行かないし、祈りもしないで、御言葉を読まないで、世の中で成功して神様のために良いことをしよう。」

これは間違っています。結局はこのようにはなりません。最終的に自分の心も神から離れ、自分の足も神様が与えた道から外ることになるでしょう。イエスは近道を選ばず、ご自分のためにも世界のためにも十字架の道を選びます。


また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。『神は、あなたのために御使いたちに命じて、あなたは守られる。彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」(ルカ4:9~12)

神殿の高いところから飛び降りる誘惑です。

神殿はとても大きな建物なので、そこから飛び降りたら死にます。

悪魔はイエスがすべてのことに御言葉をもって答えていることに気づきました。イエスの武器、イエスの盾がみことばであるなら、それを使って誘惑しようと考えました。

悪魔は神のことばを曲げてイエスを誘惑します。これは悪魔がよくやることです。その人を見て、その人の弱さを使って攻撃します。御言葉を信じるなら、悪魔は私たちにも聖書の引用を使った攻撃をするのです。

悪魔は気を付けてロケーションを選んでいます。神殿にいるなら、神様はあなたの近くにいるではないか。ここならあなたは守られるのではないか。だから、さあ、あなたが神の子なら、ここから身を投げなさい。神はあなたのために御使いに命じて守られるでしょう。あなたの足が石に打ち当たらないようにすると書いてあるから。

イスラエルも、荒野の中で水がないところにいたので、恐怖と怒りのゆえにモーセを殺そうとしました。そこで神様はモーセが石を打つようにさせ、そこから水が出て、民は水を飲むことができました。

【出エジプト17:7】それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。

人が信仰を捨てるときに、よくある理由の一つはこれなのです。苦しみをみて恐怖を感じたとき、主がともにいて下さっているかどうかを疑ってしるしを求めます。

「神様、すぐにそれを証明してください。」

「私がここから飛び降りたら、私を救ってください。」

「雷で私の敵を倒してください。」

それが来ない時に信仰を失う、あるいは捨てます。


でもイエスは神様を試しませんでした。御言葉がイエスの内にあって、イエスを守ってくださいました。そして申命記6章から引用します。

【申命記6:16】あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。

悪魔は御言葉をもってイエスを攻撃するとき、詩篇91篇を使いました。今日私たちも読みましたが、これは皮肉です。

【詩篇91:12】彼らはその両手にあなたを乗せ あなたの足が石に打ち当たらないようにする。

これはサタンが引用した箇所です。しかし次の13節でこのように言います。

【詩篇91:13】あなたは獅子とコブラを踏みつけ 若獅子と蛇を踏みにじる。

神は確かに両手でイエスを支えてくださいました。そしてイエスは蛇を踏みにじったこの世を救う救い主なのです。


最後に試練について二つのことを言います。

一つは、試練にあっても、神様は私たちを見捨てていないということです。

神様が私たちに役割を与える時、新しいミッションを与える時、神様は私たちを試します。

ここでも御霊がイエスを荒野に連れて行きます。新しい働きをするために、まずイエスに力が必要だったのです。神様があなたに試練を与えるとき、あなたを器として用いたいからです。あなたを火を通してきよくするためです。あなたが成功すれば、神の御手のうちに力強い武器となり、御霊に満ちた器となります。しかし失敗すれば割れた器となって御霊がもれて、時と場合によって神に仕えたり悪魔に仕えたりする人間になります。

神に用いられるために、まず自分の心の中のたたかいに勝利しなければなりません。そうしなければ外のたたかいでも間違った側につくことになります。自分の中にある誘惑に負けている限り、神の器としてふさわしくないのです。


二つ目は、人生が大きな戦いであることです。驚かないでください。

【詩篇91:7】千人が あなたの傍に 万人があなたの右に倒れても それはあなたには 近づかない。

驚くのは、なんでこんなにも敵が多いのか、ということです。合わせると一万千人です。これは信者にとってかなりの数です。つまり、神様が私たちを守っていることは、敵がいないということではないのです。私たちは苦しんでたたかわなければいけないのです。

91篇を読むとき、まさかこの詩篇の成就がキリストの十字架とは思わないでしょう。でもじつはそうなのです。たたかうことを恐れず、苦しむことを負けと思わないでください。イエス・キリストは平和の君ですが、平和主義の君ではありません。万軍の主です。私たちはクリスチャンとして対立から逃げるのが役割ではありません。私たちは悪を恐れてはなりません。私たちが神の子なら、恐れてはいけません。

【詩篇91:5~6】あなたは恐れない。夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも。


今日、この箇所を教えるとき、ウクライナの兄弟姉妹たちを思い出します。特にムィコラーイウという町では何日も激しいたたかいが続いています。シェルターの中に隠れて避難しても、徐々に食べ物や飲み物が減っていき、大変な状態です。毎日爆撃を受けています。町から逃げようとしても、道で敵のスナイパーに撃たれています。

悪魔がどんなに攻撃しても、彼らは神の愛する子であることを信じられるように祈りましょう。


私たちの場合はどうでしょう。悪魔はそれぞれの人にあった誘惑で攻撃します。

全体的に、日本の文化を考えると、人の目や自分の評判を気にすることは一つの特徴だと思います。クリスチャンとしての特徴を考えると、証を失わないことを気にします。

証を大切にするのは良いことです。しかし悪魔はいつも良いことを通して誘惑を与えるのです。つまり、良い証を定義するのがいつの間にか自分や人の目になってしまいます。人の目に何がふさわしいのか、私たちがそれに合わせて生きようとするのは良いことだと思い始める危険があります。そのようにすれば気まずい対立から逃げることができるからです。


イエスが周りの人が良いと思う証をしていたら、十字架で殺されることになならなかったでしょう。私たちも神のために良い証し人として生きるなら、周りの人に違う道を示さなければなりません。その道は周りの人が見た時、必ずしも知恵深いと思われる道ではありません。私たちの証が神の道を見せていないなら、何の変化ももたらさず、だれを変えることもできません。

世の中が恐怖で動くとき、私たちは神を恐れて神のみを信頼しなければなりません。パンで誘惑されないように、御言葉で満たされなければいけません。私たちは悪魔に頭を下げないために、神の御名を呼び求めて、神を礼拝しなければなりません。なぜなら、主の御名を呼び求める者はみな救われるからです。




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