top of page

「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい」コロサイ3:16

説教者:ラルフ・スミス牧師


コロサイ3:16

キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。


⚫️キリストのことば

以前も学んだが、「キリストのことば」は聖書全体の中でこのコロサイ3:15にしかない。

「キリストのことば」というのは基本的に聖書全体を指している。聖書は旧約も新約もキリストを中心にした神のみことばだからである。イエス様が復活したときに、エマオに行く弟子たちにイエス様が現れたときのことを思い出していただきたい。

【ルカ24:27】モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた


キリストを名前として考えずに、メシアとして覚えるべきであることも以前話した。だから「キリストのことば」を「メシアのことば」と置き換えると、三位一体の神の話であると認識できる。メシアは御父に遣わされたお方である。そしてバプテスマのヨハネがイエス様について「その方は御霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます(マタイ3:11c)」と言ったように、教会に御霊を与えてくださるお方でもある。だから「キリストのことば」を「メシアのことば」に置き換えると、キリストが中心ではあるが、御父と御霊が含まれることがわかる。


「メシアのことば」に置き換えると御国の話にもなる。メシアは王として御国を治めるからだ。メシアは国民(くにたみ)が神を信じ神を礼拝するように導き、神の王国を建て上げるお方である。


このように「メシアのことば」は三位一体の神と、神の御国がすべて含まれているので、非常に広くて深い。パウロはこのように多くのことを私たちに考えさせる。


⚫️あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい

キリストのことばが住むというのは、神殿の話である。私たち一人一人が御霊の神殿である。神殿の契約の箱の中にモーセの十戒の板が入っているのと同じように、あなたがたの心の中にも神のみことばを豊かに住まわせなさいとパウロは言う。あなたがたというのは、個人一人一人を指していることばでもあるし、同時に地域教会を指していることばでもあると思う。三位一体の神のみことば、御国を建て上げる神のみことばが個人一人一人にも地域教会にも豊かに住んで、地域教会での礼拝が祝福されるように。


⚫️知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。

・礼拝

お互いに励まし合い、忠告し合って、心から神様に賛美するのは礼拝の話である。

当時のパウロたちは、聖日礼拝という言い方はしない。なぜならコロサイの教会はギリシャ人もユダヤ人も集う教会だったからだ。ユダヤ人は安息日を引き続き守っているので土曜日に集まっている。ユダヤ人もギリシャ人もクリスチャンは日曜日にも自分たちで集まって礼拝していた。だから週に1回しか集まらないということではなかった。使徒2:46には「毎日、心を一つにして宮に集まり」と書いてあるので、ペンテコステで多くの人が救われた時には毎日集まっていた。コロサイの教会でも聖日礼拝以外も集まっていたと思う。そして一日の仕事が終わってからの礼拝だったのではないかと思う。というのはクリスチャンの中には奴隷もいたりして、主人がみんなクリスチャンとは限らないからだ。


当時は土曜日も日曜日も集まって、聖書を朗読することがすごく大事だった。1世紀にはまだ書物はなかった。印刷機は1450年頃に発明されたので、この時代には本という形はまだない。1世紀から2世紀には、紙のようなものの表と裏にみことばを書いて、書物のようにした古写本(Codex)が作られ始めた。

AD150年頃にJustin Martyrという教父が書いた書物の中で、聖日礼拝について、時間が許す限り朗読する、と書かれている。つまり、何時間も朗読する。みんなが聖書を持っているわけではないし、文字を読める人ばかりでもなかった。最近の考古学者によると50%の人は文字が読めたようだが、註解書によっては15%だと書いてあるものもある。いずれにしても、当時の人にとって、一緒に集まって聖書を朗読してくれる人がたくさん読んでくれて、みんなで一生懸命喜んでその声を聞くのが聖書の学びだった。

シェイクスピアの時代に聖書は英語に翻訳された。一般の人が買えるほどその聖書は安くなかったが、その時代の1番人気のある書物は聖書だった。聖書を買って自分で読めるのはどんなに大きな祝福かを思う。シェイクスピアの時代の1番人気のエンターテイメントは説教を聞きに行くことだった。毎日、色々な場所で、有名な牧師たちが説教をしているので、そこに人々が集まる。シェイクスピアの劇よりも人気だった。人々は神のみことばに飢え渇いていた時代だった。

パウロの時代は、朗読を聞くときだけが、みことばを心に蓄えることができる機会だった。朗読は何時間も続き、キリストのことばを豊かに心に住むようにするために、人々はそれを喜んで聞く。

今、私たちが自分の聖書を持つことは当然のようになっている。しかも聖書を一人で何冊も持つ時代である。日本語も英語も複数の訳を持っていたりする。朗読も必要としていない。持っているのが当然なので、喜んで読まずに置いてあるだけになる危険もある。キリストのことばを豊かに住まわすのは、ただ単に目を通すのではなく、読んでいることについて考えて、心に留めるように、パウロは話している。

コロサイの人たちは、集まるときに朗読の時間を非常に大切にし、キリストのことばを心に留めていた。


・交わり

知恵を尽くして互いに教え、忠告し合うのは交わりの話である。

コリントの手紙の中で、昔の礼拝の姿を少し見ることができる。パウロがコリント人への手紙を書いたのがAD55年ごろで、コロサイ人への手紙を書いたのがAD60年ごろなので、そんなに時間が離れていないと思う。

【第一コリント14:26】それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それをそれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。

パウロは、賛美したり教えたりするときは、互いの徳を高めるようにしなさいと言っている。礼拝も、色々な人がみことばを教え、賛美していたようだ。コリントの手紙には長老や執事の話は出てこないので、集まるときにはそれぞれが言葉を語ったり賛美を導いていたのだろう。みことばを読むことや賛美は必ず含まれていた。

パウロ自身も知恵を尽くして教えていた。

【コロサイ1:28】私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。

すべてのクリスチャンが、みことばを心に住まわせて、パウロのように交わりの中で教えたり忠告し合うことができるようになるのだ。

私たちは礼拝の中で色々な人が話したりするような形にはなっていないが、もう1度、礼拝の後にお昼を一緒に食べることができるようになるなら、交わりの中で自然に教え合い、忠告し合い、励まし合うようになるだろうと思う。私たちの交わりはイエス様中心であるように、パウロは私たちを励ます。


・賛美

詩、賛美、歌、という表現は、詩篇の中で使われている。だが詩篇にしか使われていないわけではない。イスラエルがエジプトを脱出したときに、出エジプト15章で神を賛美して歌っている。他の旧約聖書の中にも歌があるし、黙示録の中にも歌がある。コロサイ1:15〜20は詩であるが、歌だったかもしれない。ピリピ2:5〜11も歌だったかもしれない。つまり詩篇のみではない。私たちも新しく歌を書いたりすべきである。詩篇しか歌ってはいけないとは言っていない。他の歌も良いのだが、パウロは詩篇を歌いなさいとはっきり言っている。他の教会に行くと詩篇だけは歌わない。

スミス師が50年前に海軍に入っていて、サンディエゴにいた。そこに教会から迎えの車が来てくれて、ウェスレーの教会に行った。その礼拝の中で歌ったのが “Oh how I love Jesus”だった。現代の歌の中では、主観的で感情的で、神中心ではないものが多いと思う。しかし私たちは神を中心にしている詩篇を歌うことが大事である。詩篇を歌うことで、私たちは現代の生活や考え方と違うものを歌っている。詩篇は三千年前に御霊の霊感によって書かれたものである。詩篇の中には、霊的な戦いがよく出てくる。私たちには仇(あだ)がいるという認識はないかもしれないが、実際にはいるのである。詩篇は霊的な戦いの歌である。詩篇はイエス様が子どものときに同じように歌っていた。だから私たちはイエス様とともに歌っている。そして詩篇の中心はイエス様に他ならない。神を賛美して礼拝するために、御霊によって与えられた素晴らしいものを歌うようにしたいと思う。

ルターは修道院で毎朝詩篇を歌っていた。3ヶ月で詩篇全部を歌う。何度も何度も歌うので、ルターは詩篇を全て暗記している。

パウロの時代のクリスチャンは、詩篇を歌うことによって暗記して、みことばを心に刻んでいる。詩篇だけでよくて、他には歌わなくていいのではないが、詩篇を歌うことは非常に大切である。N.T.ライトは、教会で讃美歌を歌うとき、歌詞に神学的な間違いがあると、自分で直しているそうだ。


パウロたちは日曜日だけ集まっていたわけではないが、集まったときに朗読して、交わりをして、歌うことを大切にしていた。私たちも聖日礼拝を大切にしたいと思っているので、聖日礼拝のやり方は対話的である。みんなが参加できるようにしている。パウロが言うように、私たちも教会を大切にしている。総会で教会員へのお願いを配っているが、10時15分までに来ましょう。なぜなら、前奏が始まる前に、みんなに挨拶できるからである。10時20分から前奏が始まるので、祈って礼拝のための心の準備をする。その日の聖書の言葉を読んだりすることができる。歌うとき自分が歌っている言葉を教えながら、心から神に向かって歌いなさい。

説教も朗読も真剣に聞いて、聖餐式を受けるときに、御父が御霊の力によって私たちに御子を与えてくださることを覚える。一週間の始まりに、自分自身を神様にささげて、礼拝を行う。パウロはコロサイの教会に心から喜んで礼拝を捧げるように励ます。私たちも心から神に礼拝をささげるように励まされる。そのことを覚えて聖餐式を受ける。




閲覧数:6回
bottom of page