説教者:ラルフ・スミス牧師
ピレモン1〜3
キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、兄弟アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
ピレモンへの手紙、コロサイ人への手紙、エペソへの手紙はみんなティキコが持っていった手紙である。先週コロサイ人への手紙の学びが終わったので、ピレモンを短くいっしょに学ぼうと思う。
今日は三つのことを一緒に考えたいと思う。
・ピレモンはだれなのか。
・オネシモはだれなのか。
・パウロはなぜこの手紙を書いたのか。
ピレモンへの手紙の概略は次のようになっている。
1〜3 あいさつ
4〜7 ピレモンについて感謝の祈り
8〜22 オネシモについて頼む
22〜25 あいさつ
⚫️ピレモンはだれなのか
【ピレモン7】私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。
これはパウロからピレモンへのことばである。ピレモンについてはっきり言えることは、ピレモンは熱心な素晴らしいクリスチャンだということだ。そしてコロサイの教会はピレモンの家に集まっている。つまりピレモンは何かの意味でリーダーであることが明白である。パウロはピレモンのことを考えるたびに神に感謝する。ピレモンはじつに素晴らしい立派なクリスチャンである。
しかしピレモンについては謎が多いので推測しなければならない。
パウロが「愛する同労者ピレモン」と言っているので、ピレモンを直接よく知っていて、親しみを感じていることがわかる。
ピレモンはコロサイの教会の教会員だが、パウロはコロサイの教会には行ったことがない。では二人はどのように知り合ったのだろうか。
エペソの町とコロサイの町は互いに近く、パウロはエペソに三年間滞在した。エペソでパウロの福音を聞いたエパフラスがコロサイの町に行って福音を伝えてコロサイの教会を立ち上げた。ピレモンも同じようにエペソでパウロから福音を聞いたか、エパフラスから聞いた後で、実際にパウロに会いに行ったのかもしれない。
パウロはピレモンを愛する同労者と呼んでいる。ピレモンは御国のために働く兄弟である。
パウロのあいさつは、ピレモン、アッピア、アルキポ、あなた(ピレモン)の家にある教会へ、となっているので、このような書き方を見ると、アッピアはピレモンの妻、アルキポはピレモンの息子である可能性がある。ピレモン夫妻がキリストのために一緒に働き、教会がピレモンの家に集まっている。教会として家を解放するなら、十分な広さの家でなければならない。一般の人がすべて家を持っているわけではない。小さな家で集まるのは30人から50人、お金持ちの家なら100人位入るかもしれない。これは学者が研究中である。ある程度の広さの家を持っていて、奴隷がいるので、ピレモンはお金持ちだと推測できる。ピレモンは神に祝福されて、経済的にも祝福されて、人を自分の家に招いて祝福を分け合って、寛大で人々の心を励まして強めていたのではないかと思う。パウロはこのピレモンを尊敬して兄弟として喜んでいる。これはピレモンへの手紙を読むとわかる。
⚫️オネシモはだれなのか
ティキコとオネシモはパウロに遣わされて、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙を持って行く。ローマからエペソの町まで2週間かかる。そしてエペソで船を下りてコロサイまで歩く。
二人はエペソの教会でエペソ人への手紙とそのほかの手紙を読む。コロサイの教会でもエペソ人への手紙やピレモンの手紙を読む。それぞれの手紙は個別の教会に書いた手紙というより教会全体に書かれた手紙である。オネシモはピレモンのところから逃げた奴隷だということが知られているかもしれないので、ピレモンへの手紙を読めばエペソの人もコロサイの人も事情がわかるのである。
パウロがエペソで伝道していた時に、奇跡をたくさん行って、多くの人が救われて、彼らは自分たちの持っていた大量の高価な魔術の本を燃やした。エペソにはお金持ちが沢山いるということだ。この人たちすべてが一箇所に集まることはできないので何箇所かに分かれて集まっていたと思う。だからティキコが次から次に集まる所へ訪ねて行ってパウロの手紙を読んで質問に答えたりしていた。そのためにエペソに1〜2週間滞在しなければならなかった。
そして二人は歩いてコロサイに行く。エペソの町からコロサイの町までは徒歩で3〜5日。逃げた奴隷のオネシモが急に現れたらみんなびっくりするから、これは推測だが、二人がコロサイに到着してすぐにコロサイの教会に行ったのではなく、まずティキコだけがコロサイの教会に行ってパウロの手紙を見せたと思う。パウロの手紙を見せてからオネシモを連れてきて、ピレモンとオネシモは和解した。ピレモンもコロサイの教会もオネシモを兄弟として喜んで受け入れる。
パウロはオネシモが救われた経緯を明白にして、気をつけて思いやりをもって手紙を書いている。オネシモはピレモンの奴隷だったが逃げた。もしかしたらお金も盗んでいたかもしれない。パウロが彼の負債を負うと言っているので、何かの意味でピレモンに負債をもっている。そして役に立たない奴隷だった。つまり良い奴隷ではなかった。
しかしそのオネシモがパウロのところに行って、本格的に明白に素晴らしく救われた。パウロはオネシモを「わが子」と言って紹介する。
オネシモは16歳から18歳くらいの若者だと推測できる。役に立たず、軽率で主人のお金を盗んでローマに逃げた。イグナティオスによれば、という人が、エペソ教会の司教オネシモはこのオネシモだったのではないかと言っている。それは間違いだと言う人もいるが、もし同じオネシモだったらこの時点では若いはずだ。軽率でお金を盗って逃げているのはティーンエィージャーにありがちなことである。
オネシモは救われて非常に熱心にパウロに仕える。コロサイ人への手紙の中で奴隷に対する教えがあるが、奴隷はただ表面的に主人に仕えるのではなく、心から神に仕えるように働くべきである。オネシモは確かにそのような奴隷になったのではないかと思う。オネシモは以前は役に立たなかったが今は役に立つ奴隷になって、ピレモンの代わりにパウロに仕えている。若いオネシモは福音を聞いて救われて、パウロは彼をわが子のように思っている。そしてオネシモは私の心であると言う。すごい言い方だと思う。オネシモは本当にイエス様を信じて、その信仰を行動において表して、パウロを愛して尊敬してパウロに熱心に仕えている。オネシモとパウロの関係がこれでよくわかる。
⚫️パウロはなぜこの手紙を書いたのか
パウロがピレモンに手紙を書いたのは、ピレモンにお願いがあるからだ。
パウロは自分を囚人で年寄りであると言う。パウロの書いた手紙のあいさつで、自分を囚人だと言うのはここだけである。しかも二回も言う。鎖につながれていることも繰り返し言って、獄中にいることを強調する。
【ピレモン8】ですから、あなたがたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの主人となっているパウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
パウロはこの手紙では自分のことを使徒であるとは言わず、囚人、獄中、年寄りであると言う。そしてピレモンに命令せずお願いしている。そのお願いとは、オネシモをパウロであるかのように受け入れてほしいということである。そしてオネシモが損害を与えたり負債を負っていたらパウロが償う。オネシモを単なる奴隷としてではなく、愛する兄弟として受け入れてほしい。
ある意味ですべて救われた主人と奴隷の関係はそうでなければならないことがコロサイの手紙やガラテヤ人への手紙で教えられている。バプテスマを受けた者は、ユダヤ人も異邦人もなく、奴隷も自由人もなく、キリストにある兄弟としてお互いを受け入れるべきである。でもだからといって、パウロはすぐにオネシモを自由にしなさいとは言わない。自由にされた奴隷は幸せになる保証はない。自由になっても住まいや食べ物や仕事があるとは限らない。逆に生活するのが大変になってしまうこともある。兄弟として受け入れて愛する兄弟として見なさいというパウロの教えは、いつか奴隷制度そのものを取り消すことができるように、種を蒔いているのである。クリスチャンの主人が奴隷を愛する兄弟として見るなら、いわゆる主人と奴隷の関係は消える。オネシモについてのお願いの仕方は思いやりがあって、深い神学的な意味がある。ローマ帝国は階級社会である。生まれながらにローマの国籍を持っているパウロを逮捕してしまったので、あとで軍人たちは怖くなった。パウロの地位はローマ帝国の軍人よりも高い。ローマの国籍は売買できる。そしてその階級社会で一番下にいるのが囚人である。パウロはこの手紙で自分をキリスト・イエスの囚人であると言う。そして獄中にいて自分を社会の一番低いレベルに置いてピレモンにお願いしている。言いかえれば、ピレモンはローマ帝国の中でお金持ちの主人である。オネシモは奴隷で、パウロは囚人で一番下。キリスト・イエスにあるパウロの地位であればピレモンに命令することもできたのだが、パウロは自分を低くしてピレモンにお願いする。
パウロはイエス様の模範にしたがっている。イエス様はご自分を低くして私たちが払うべき負債を支払ってくださった。パウロはここでキリストのようになっている。キリストが神と私たちを和解させてくださったように、パウロも必要以上に自分を低くしてオネシモとピレモンが和解するような働きをしている。
【ルカ18:9〜14】自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
パウロが自分を低くする時、イエス様の真似をしている。
ピリピ人への手紙もピレモンやコロサイ人への手紙と同じ時期に書かれたのだが、パウロはピレモンとオネシモのことを考えて次のピリピ2章の箇所を書いたのかもしれない。
【ピリピ2:6〜8】キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
ピリピの町の人たちはローマの国籍を持っている。この町は特別な町だった。たとえ死刑にされても十字架には行かない。パウロもローマ国籍をもっているので斬首されて殉教した。しかしイエス様はピリピの教会の人たちよりも自分を低くした。パウロは自分をオネシモよりも低くした。オネシモの負債も負った。
このようにイエス様が私たちのために死んでくださったことを毎週の聖餐式で告白する。
パウロは私たちに模範を示している。イエス様を信じて永遠のいのちを与えられることは素晴らしい。イエス様を信じて毎週聖餐式を受けてイエス様の十字架と復活を記念することも素晴らしい。
パウロがピレモンに何かを頼むとピレモンは必ず成し遂げる。つまり、ピレモンは自分を低くしてオネシモを受ける。
パウロはイエス様の模範に従って歩んでいる。本当の意味でイエス様を信じて従っている。自分を低くする者は高くされる。自分を高くするものは低くされる。
毎週の聖餐式において、私たちもイエス様のように十字架の道を歩まなければならない。御霊の力が与えられてその道を歩めるように祈りながら聖餐をいただきたいと思う。
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