説教者:ベン・ゼデク牧師
クリスマス当日に教会に集まることができて幸せです。素晴らしいことです。これまでの4週間は待降節で、私たちは闇のうちに光を待っていました。闇は一人一人の心の中にあります。また、教会の中にもありますし、社会の中にもあります。世界全体が闇のうちに神の救いを待っています。そのことを覚える4週間でしたが、今日は良い知らせの宣言がありました。その闇は滅びて引いています。なぜかというと、二千年前にベツレヘムである赤ちゃんが生まれたからです。
闇はまだ自分の中にも外にもありますが、この闇は引いていきます。そして今、光が輝いています。なぜならこの赤ちゃんは偉大なる王、力ある神、平和の君だからです。
【ルカ2:1〜2】そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
皇帝アウグストゥスの言う全世界とは彼らが知っている範囲の世界のことです。アウグストゥスはユリウスカエサルの養子の子です。アウグストゥスがローマの皇帝になった時、自分の父親を神であると宣言して、自分のことを神の子と呼んでいました。神の子アウグストゥスは四百年続いていたローマ共和国をローマ帝国に変えて、それを支配する絶対的な権力者を自分にしたのです。
歴史の中で一番偉大な王様で、全世界に住民登録を命じるほど力がありました。住民登録は、税金、徴兵、強制労働など、何人いるか数えることによって支配することができます。だから神様は民を数える王が嫌いです。
この勅令が出ると、たとえ旅をすることができない貧しい人であっても、臨月の妊婦でも、旅をしなければなりません。
ここで大きなコントラストが見えます。
一方では全世界を支配している絶対的な権力者カエサルがいます。彼の軍隊を用いて「パックス・ロマーナ」(ローマによる平和)をもたらしました。ある意味で、カエサルは平和の君です。
もう一方では、新しい王が登場しました。イエスが王として登場しているのは間違いありません。ダビデの子と書かれているし、預言通りベツレヘムで生まれました。そして天使の軍勢に囲まれています。 しかしイエスは飼い葉おけで寝ているところを見つけられました。飼い葉おけを除けば、イエスがキリストだとわかります。つまりまったく栄光が見えない状態です。軍隊もいますが肉眼では見えません。
そしてイエスを礼拝したのは羊飼いたちでした。エジプト人は羊飼いを忌み嫌いますが、当時のローマ人も羊飼いを嫌っていました。羊飼いは身分が低くて、貧しくて、危険なイメージのある職業でした。新しい王の周りには、ただの名もない羊飼いしかいませんでした。何の力もなさそうです。
世界を闇から救うのは、この2人の王のどちらでしょうか。人々が期待しているのはどちらですか。当時のローマの時代に生きていたルカたちにとって「世界を救うのはこのイエスです」と宣言するのはとても信仰が必要でした。
私たちも大きな問題に直面しています。どの世界にもその問題があります。今の人は、温暖化、差別、不公平、SDGs、貧困、戦争、麻薬、自殺、共産主義など多くの問題があります。そして社会主義に導いてくれる人、プーチンを倒してくれる人、私たちの憲法を守ってくれる人、あるいは変えてくれる人を求めています。私たちが救いを求めるのは、救う力のありそうな人たちです。政府、金持ちなどの現代のカエサルたち、イーロンマスク、ゼレンスキー、EU、 NATO、オバマ、トランプなど。
しかし私たちは1世紀のユダヤ人と同じ間違いをしてはいけません。神様はその赤ちゃんを通して世を救い、その赤ちゃんは大人になって天に上って支配しています。では地上にはだれが残っているのでしょうか。その軍はどこにあるのでしょうか。軍は未だに目に見えない天使と身分の低い羊飼いたちです。
世界や日本のメディアは、教会の活動についてどれぐらい報道しているでしょうか。
三鷹福音教会のクリスマス祝会は夜のニュースで報じられていませんでした。レポーターもいなかったと思います。このクリスマス礼拝も今夜のニュースでは取り上げられないと思います。その代わりに、銀行、株式市場、首相や大統領の様子が報じられています。これらが現代のカエサル、現代のキリニウスで、注目されているものです。
神様はだれを通して働いているのでしょうか。
【第一コリント1:25】神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高いものも多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
私たちはカエサルやキリニウスのようなものから救いを求めるべきではありません。自分たちもカエサルのようになって自分を救おうと言ってもいけません、最後に勝ったのはカエサルだったのでしょうか、キリストだったのでしょうか。ルカの福音書はカエサルとキリニウスから始まって、ルカの福音書の最後にイエスはカエサルの敵として十字架にかけられます。
【ルカ23:1〜3】集まっていた彼ら全員は立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そしてイエスを訴え始めて、こう言った。「この者はわが民を惑わし、カエサルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」そこでピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」
イエスが十字架にかけられたとき、頭の上には「ナザレ人のイエス。ユダヤ人の王」と書かれていました。つまり、カエサルに負けたユダヤの王として処刑されました。そして1日と2晩墓の中にいて、カエサルが勝ったように見えました。
しかし3日目に神様がイエスを死者の中からよみがえらせて、永遠の栄光を与えてくださいました。
今日の世界で、皇帝アウグストゥスの誕生日を祝う人はいるでしょうか。彼を覚えてたたえる人はいるでしょうか。彼を世の救い主だと言う人はいますか。
しかし飼い葉おけにいた赤ちゃんは、今でも毎年どころか毎日たたえられています。イエスは勝ちました。
今、義尋くんがイタリアを旅しているようです。昨晩はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に行ったようです。ここはローマの町の大聖堂で、ローマの主教の座がある大聖堂です。じつは昔カエサルの騎馬隊の要塞だったところでした。それが今では美しい教会になっています。
パンテオンにも行ったようです。パンテオンは大きな丸いビルで、昔はローマの神々のための神殿でしたが、1400年間ずっと教会として使われています。カエサルはその影しか残っていません。ローマの町自体も、イエスの名がたたえられる教会ばかりが残っています。
そのことを知ったら、私たちはどうすれば良いのでしょうか。その答えはテトスにあります。
【テトス2:11〜13】実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
イエスが本当に復活したなら、私たちは希望を持ってきよい生き方をしましょう。
【テトス2:14】キリストは、私たちをすべての不法から贖いだし、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
イエスが生まれたので、私たちは死と苦しみから解放されました。私たちは敬虔に生きることが可能です。そしてそれ以上に正しく生きる義務があります。イエスは私たちのうちにある闇を滅ぼしてくださったので、私たちのうちから外まで光が出ていくようにしなければなりません。私たちは世の光として生きていかなければなりません。そうすれば、神様は私たちを用いてくださいます。なぜなら私たちは赤ちゃんです。弱くて愚かです。私たちがきよければ、私たちのようなものを通して、神様はこの世を救ってくださいます。だから私たちは恐れる必要はありません。私たちの王は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれるからです。メリークリスマス!
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