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「ユダヤ人と異邦人からのあいさつ」コロサイ4:10〜16

説教者:ラルフ・スミス牧師


コロサイ4:10〜16

私とともに囚人になっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコがあなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼のある人では、この三人だけが神の国のために働く私の同労者です。彼らは私にとって慰めになりました。

あなたがたの仲間の一人、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。

私はエパフラスのために証言します。彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスにいる人々のため、大変苦労しています。愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。どうか、ラオディキアの兄弟たちに、また二ンパと彼女の家にある教会に、よろしく伝えてください。この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキア人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたも、ラオディキアから回ってくる手紙を読んでください。アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」と言ってください。

私パウロが自分の手で挨あいさつを記します。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。


今日の箇所は4章の終わりの部分で、パウロとパウロと一緒にいる人たちからコロサイの教会にあいさつを送るところである。パウロのこのようなあいさつは教会に送る手紙の中では珍しい。第一、第二コリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、第一、第二テサロニケにもない。ピレモンへの手紙にはあるがピレモン個人に送っている手紙なので(厳密にはエペソやコロサイの教会に送っているとも言えるが)、あいさつがあっても不思議ではない。ピレモンはコロサイの教会員なのでピレモンへの手紙の最後の5人は、コロサイ人への手紙の最後の6人と同じである。コロサイ人への手紙の終わりのあいさつは珍しくて特別な意味がある。ローマ人への手紙にもあいさつの部分がある。ローマ人への手紙であいさつを送っている人は26人で、5つのちがう家で集まっているローマの教会に送っている。何人かの人から何人かの人にあいさつを送っている。ローマ人への手紙とコロサイ人への手紙の共通点はどちらの教会にもパウロは訪ねたことがない。パウロは、訪ねたことのない教会に、個人的なつながりをもって、個人的なあいさつをする。

逆にコリントやエペソやピリピの教会の何人かの人から何人かの人にあいさつすることはきできない。ローマはローマ帝国の中心地なので、人の出入りが多い。そのためパウロの知り合いもローマの教会に多くいた。だから、パウロはローマの教会に訪ねたことがなくても、知り合いにあいさつを送ることができる。

コロサイの教会にあいさつを送っているのは、パウロと一緒にローマにいる人たちである。このリストを見ると、アリスタルコ、マルコ、ユストはユダヤ人である。ユダヤ人からのあいさつから始まっている。そして、エパフラス、ルカ、デマスはパウロと一緒にいる異邦人である。


・ユダヤ人の三人

コロサイの教会の人はアリスタルコを知っているはずである。パウロがエペソで教えていたときに暴動になったことがあった。そのときにパウロといっしょに働いていたアリスタルコが逮捕された(使徒の働き19章)。エペソの町とコロサイの町は近くて、徒歩で4~5日の旅で行けるところにあった。エペソの教会で福音を聞いたエパフラスがコロサイの教会、ヒエラポリスの教会、ラオディキアの教会を設立したので、パウロのエペソに対する伝道の働きをコロサイの教会の人たちはよく知っていた。その中でアリスタルコもよく知られている。彼はもともとテサロニケの町から来た人である。パウロはアリスタルコについて、一緒に牢に入っていると言う。厳密に言えば、アリスタルコはパウロのような軟禁状態ではなく、パウロの友としてパウロの世話をしている若いクリスチャンで、同時にパウロから訓練を受けていると思う。パウロと一緒に旅をしたら、それは神学校にいるようなもので、実際の訓練も受けるし、みことばの教えも受けられる。

アリスタルコは、自分の訓練のためにもパウロのためにも一緒にいてくれるユダヤ人の友である。

バルナバのいとこマルコは福音書を書いたマルコだし、使徒の働きの中にもよく出てくるマルコである。使徒の働きの中でパウロの最初の働きはガラテヤだった。使徒の働き13章、14章でパウロはバルナバと一緒にガラテヤの教会に行って伝道した。そしてバルナバは元々エルサレムの教会の中で有名だった人で、アンティオケが福音を受け入れたと聞いたので、パウロはバルナバをアンティオケに送った。バルナバはパウロにもアンティオケに来てもらおうと思ってタルソまでパウロを迎えに行ってアンティオケの教会で一緒に働いた。そのときからアンティオケの教会は伝道の働きのベースになって、パウロはアンティオケからガラテヤやコリント、エペソの町に伝道した。パウロはアンティオケの教会から遣わされた伝道者だった。しかし1回目の伝道旅行の時にマルコは途中で帰ってしまった。それでパウロとバルナバは2回目の伝道旅行にマルコを連れて行くかどうかで見解が分かれて、二人が激論をかわして、バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて、それぞれ別々に旅をした。その時から使徒の働きの中でバルナバの名前は一度も出てこなかった。旅について報告もないし、バルナバとパウロがその後どうなったのかも書かれていない。しかし、ここでバルナバのいとこのマルコがパウロと一緒にいると書いてあるので、パウロとバルナバは福音において一致していることがわかるし、パウロはマルコも受け入れて、マルコはパウロのために働いている。第二テモテにも同じような話がある。マルコがパウロと一緒に働いて、パウロの役に立っていた(第二テモテ4章)。バルナバとパウロが別れて働いてから10年経つか経たないかというタイミングで和解して一緒に働くことになった。神学的な深い意味での問題ではなく、どのように働くかという考え方のちがいだけだったので、パウロとバルナバは敵になったのでもない。コロサイの教会はマルコを受け入れるようにとの指示をすでに受けていた。推測するしかないのだが、ティキコはエペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙をもってのみんなのところに行って、まずピレモンの手紙を先に読むのではないかと思う。オネシモがどうなっているのかみんな知りたい。ピレモンの手紙を先に読むとオネシモについて心配しないでよいとわかって、安心して彼を受け入れられる。ティキコはピレモンに直接会ってパウロの手紙を渡し、ピレモンはその手紙を読んでオネシモと和解した。そしてピレモンとティキコとオネシモは一緒にコロサイの教会に行く。パウロはピレモンやコロサイの手紙を読む前に、マルコを受け入れるように指示を出していたと思われる。だからコロサイの手紙の中に、マルコについてすでに指示を受けていると言ったのではないかと思う。

ユストと呼ばれるイエスのことは何も分からないが、イエスはヘブル語、ユストはギリシャ語である。この人もユダヤ人である。

この三人はパウロと一緒にいて、パウロの慰めになっていた。


・異邦人の三人

エパフラスはコロサイの教会で立ち上げた伝道者であるが、ビリーグラハムのようではなくパウロのイメージである。パウロは伝道者、そして使徒である。エパフラスは使徒ではないが伝道者なので、コロサイの教会、ヒエラポリスの教会、ラオディキアの教会の立ち上げのために働いた。黙示録2章には、ラオディキアの教会とエペソの教会は出てくるがコロサイの教会は出て来ない。なぜかというと、AD61年頃に大きな地震があって町全体が崩れてしまったからだ。それでコロサイの教会員たちはそこから逃げてラオディキアの教会やヒエラポリスの教会に行ったかもしれない。多くの人が亡くなったかもしれない。

3つの教会のために働いていたエパフラスが、なぜ今パウロと一緒にいるのかというと、コロサイの教会の問題をエパフラスが解決できなかったからである。問題が大きすぎてどうしようもなかったので、パウロのところに行って直接教会の問題について話したので、パウロがコロサイの教会に手紙を送ったのである。

【コロサイ4:12b~13】彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。私はエパフラスのために証言します。彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスにいる人々のため、大変苦労しています。

コロサイ1~2章で、パウロも、コロサイの教会が確信をもって十分に成長できるようにこの手紙を書いていると言う。パウロはこのために働いている。つまりエパフラスとパウロの働きは一致していて、同じ心を持っている。いずれエパフラスはコロサイの教会に戻る。そのときにコロサイの教会の人々は、パウロに遣わされてパウロと同じ心をもっているエパフラスを受け入れることができるようになる。

ルカは異邦人で医者である。このことは新約聖書ではここだけに書かれている。ルカはカイサリヤからローマへ行くときもずっとパウロと一緒にいる。パウロが軟禁状態の時も一緒にいる。医者であるということは、その面においてもパウロを助けてくれる。そしてパウロといつも一緒にいることがわかる。

デマスについてはほとんど知られていないが、第二テモテの中で「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。(第二テモテ4:10a)」と書かれているので、残念ながらこのあとパウロから離れて行ってしまった。


この6人とティキコとオネシモがパウロと一緒だった。パウロが軟禁状態のとき、全部で9人が一緒にいた。同じアパートなのかはわからないが、パウロがこんなに大勢の若い男性とともにいるのは、イエス様と同じように弟子を訓練しているからである。パウロの一生はイエス様の一生と同じような流れである。福音を伝えて、人が救われて、そのために憎まれて迫害されて、死んだようになって、ローマに行って神の御国のことを教えている。


16節に、この手紙をラオディキアで読んでください、そしてラオディキアに送った手紙も読んでほしい、と書かれているが、ラオディキアの手紙はすでに失われている。パウロが書いた手紙がすべて聖書になるとは限らない。コリントに送った手紙も失われている。そしてここで昔の教会の習慣を見ることができる。自分たちのところに手紙がきたらコピーを作って他の教会とわかちあって、パウロの手紙は多くの教会で読むことができる。マタイ、マルコ、ルカの福音書も他の教会にコピーが届いている。マタイの福音書は古い写本の中で一番多い。みことばを中心にしている教会をここで見ることができる。


・ラオディキアのニンパ

ローマでもそうだったが、教会は人の家に集まっている。教会として正式に土地を買って建物を持つことができない時代だった。お金持ちの人は自分のたちの家を空けて教会にする。人を受け入れて、人を自分の家に受け入れる。これはホスピタリティである。家を空ける人にとっては大変な仕事である。


・アルキポ

どんな働きか、この人はだれなのか分からない。この箇所以外は聖書の中に出て来ないが、パウロのようにみことばを教える働きが与えられた人なのではないかと思う。


・パウロが自分の手であいさつを記す

この時代は口述筆記であった。そして最後にパウロが自分の名前をサインする。なぜそのやり方をするのかというと、小さい字できれいにわかりやすく書くことを訓練された人がいたからだ。その人が手紙を書いてパウロがサインすれば本当にパウロからの手紙だとわかる。人が文字にするときには、かなり自由にできる。同じパウロの手紙なのにスタイルが違うのは、他の人が書いているからである。



・恵みがあなたがたとともにありますように

パウロは教会を祝福している。


なぜ3人のユダヤ人と3人の異邦人からのあいさつなのか。パウロの働きを最初から思い出してみると、パウロは最初はユダヤ人を迫害し、クリスチャンになってからはユダヤ人に迫害されている。そして福音を伝えるときにクリスチャンになったユダヤ人がパウロの働き方に批判的であった。ユダヤ人は割礼を受けていない異邦人といっしょに食べないという習慣があったりして、問題を起こしているのはユダヤ人である。しかしパウロのところに一致して働いているユダヤ人と異邦人がいて、同じように祝福を与えることができる。キリストにあって本当に一致が与えられることをコロサイの教会に見せている。そのように、パウロは、自分の経験、自分の歩み、自分の人生において福音を表してるのである。パウロの手紙は二千年前に書かれた手紙である。二千年前の文章を読むと、ローマ帝国の歴史学者が言うには、一般の人はその論文の中には出て来ない。取るに足りない人の話は出て来ない。皇帝の話は出るが大工や漁師たちの話は出ない。しかし本当は、歴史を変えるのは偉大な人物ではない。実際に二千年前に軟禁されているユダヤ人の教師が書いたものが私たちに影響を与えている。これは不思議である。私たちの働きは小さくて、日本の中にでは取るに足りない。新聞にも出ないが、神様は私たち一人一人をみこころにとめてくださる。私たちの祈りを聞いてくださる。小さすぎるクリスチャンはいない。取るに足りないクリスチャンはいない。キリストにあって神様は私たちを愛してくださって、祈りも聞いてくださる。私たちはパウロの模範から学んで、福音を熱心に伝えて、人を自宅に招いて一緒に食べたり、教会の伝道の働きに参加したりして、99%の人たちに福音が届くように祈って、お互いを励まして、御国のために働く。

そろそろ神殿が破壊されて全く新しい時代になる。新しい時代になることを知っているパウロは特に熱心に働いている。

ロシアとウクライナの戦争、中国と台湾の戦争、北朝鮮はどうなるか、大きな変化の時代である。緊張感が周りの社会にあると思う。この時まだイエス・キリストを知らない人たちに福音を熱心に伝えて、私たちも成長を求めてクリスチャンとして正しく歩むことを求めたいと思う。




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