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「御国の前進」ピリピ1:12〜18

説教者;ラルフ・スミス牧師


ピリピ1:12〜18

さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。

ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、

ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。

しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。


今日の段落を考えるたびに、不思議に思うことがある。

これまでも福音を伝えられないようにパウロを逮捕することはあった。逮捕されてローマ兵に鎖でつながれていることを、パウロはどういう意味で福音の役に立つと考えているのだろうか。

パウロは60年の春にローマに連れて来られた。ローマに着く前にローマの教会からも周りの町の教会からも人々が会いに来たことが使徒の働きに出て来る。ローマに着いたら、今度はユダヤ人リーダーたちになぜ逮捕されたのかを語る機会が与えられた。このようにローマのユダヤ人たちに福音を伝える機会がすぐに与えられた。

【使徒の働き13:45~46】しかし、この群衆を見たユダヤ人はねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。そこでパウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい。私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。」

証しの機会は、まずユダヤ人に、次に異邦人に与えられた。ローマでも神様は最初からユダヤ人に証しの機会を与えてくださっている。ユダヤ人のある者たちは受け入れたようだが、反対する者たちもいて、最終的には大変な問題になった。

その結果、パウロたちは異邦人のところに向かった。パウロたちがどこに行っても同じような結果になった。しかしパウロがローマに着いた最初の日から福音の前進の役に立っている。



ローマ16章は、パウロがローマの教会にいる知り合いにあいさつを送っている部分である。これは57年に書かれたが、パウロが逮捕される60年までにパウロの知り合いが増えている可能性はある。というのはローマはローマ帝国の中心的な町で、貿易の中心でもあったからである。そしてパウロの知り合いがローマに来たら、当然パウロに会いに来るだろうと思う。

【使徒28:30~31】パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて少しもはばかることなく、また妨げることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

この使徒の働きの箇所を見ると、パウロは自由に訪ねて来る友だちと会えたようだ。パウロは福音について、みことばについて、神の御国について教えていたと思う。

それから、パウロがローマに着いてそれほど時間がたっていないときに、エパフラスがコロサイから訪ねてきた。コロサイの教会の問題について相談するためである。オネシモもパウロに会って、イエス様を信じた。

パウロはオネシモ、エパフラス、マルコ、ルカ、ティキコたちと会って祈ったり歌ったり話している。そして60年の春か夏に、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙を書いて、ティキコとオネシモがそれをもってまずコロサイの教会に行く。

1カ月ほどかかる旅なので冬は無理だろうから、手紙はおそらく夏の終わりまでに書かれて持って行ったと思う。彼らはその手紙を持って、コロサイの教会、エペソの教会、そしてピレモンに会って渡すことができた。これも福音の前進のために役立っている。他にもローマに来る人は多かったので、その時にパウロを訪ねる人もいただろう。パウロはたくさんの人に会って教えていたと思う。



ピリピの教会からパウロへのプレゼントも61年の春頃届いた。パウロはピリピに手紙を書いてその感謝を表している。

パウロの裁判の結果がそろそろ出るので、ピリピの教会に手紙を送って、自分の投獄は福音の前進に役立っていると言っているのだが、使徒の働き、コロサイ人への手紙、エペソ人への手紙、ピレモンへの手紙を見ると、そのことがもっとよくわかるのである。



他にも福音のために役立っていることがある。

【ピリピ1:13】私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、

「親衛隊の全員」と書かれているが、親衛隊はパウロが鎖でつながれているローマ兵で、4時間ごとに交代する。1日に6回、1年間に1290回交替する。同じ人が何回も来ると思うので、数百人がパウロとともに過ごす。2年間で4千回代わる。親衛隊のメンバーになるには推薦が必要で、良い家庭で育ってしっかりした生活を送っている人でなければならなかったので、この兵士たちはパウロと会うことによってネロとどんなにちがうかを思うはずだ。ネロだけでなく、ローマのお金持ちたちも議会のリーダーたちもネロと同じように汚れた生活をしていたので、彼らを守る兵士たちにはそのちがいははっきり見えたはずだ。親衛隊は毎日そのような人を護衛していた。その中でたまたまユダヤ人のパウロと鎖でつながれて、マルコやルカ、テモテ、エパフラスなどがパウロと一緒に食事をするところを見る。そしてその話を聞いて驚く。このような話は聞いたことがなかった。鎖でつながれているパウロは、親衛隊に挨拶して、自分がだれなのか、イエス様がだれなのかを話したはずだ。親衛隊はパウロの話を聞いて、自分の宿舎に戻る。宿舎はベッドがあるだけで、ほかに何もない部屋なので、当然その日にパウロについて見聞きしたことを兵士同士で話すはずだ。パウロは十字架にかけられた人を主と呼んでいる。十字架の刑がどんなに残酷かをこの人たちは知っている。そしてイエス様は復活してパウロはその奴隷である。兵士たちは変わった人に会ったと思ってそのことを話す。「親衛隊の全員」とパウロが手紙で書くのは決して大げさではないと思う。

「ほかのすべての人たち」というのはカエサルの家の人たち、つまり家族ではなくカエサルのために働いている奴隷たちなどだと思う。

【ピリピ4:22】すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。

カエサルの家でも親衛隊の間でもパウロは有名になってかなり広まっている。

これも福音の前進につながって、パウロが逮捕されたことは用いられている。考えれば考えるほど不思議である。



【ピリピ1:14】兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。

パウロが逮捕されたことによって、兄弟たちが大胆になる。これも不思議である。

イエス様が逮捕されたときは、弟子たちは逃げてしまったのに、パウロのときは彼らが大胆に福音を伝えるようになっている。

その大きな理由の一つはイエス様が復活したことだと思う。イエス様が復活した後では、弟子たちはローマ帝国に殺される恐怖はなくなった。死に打ち勝ったイエス様を信じることで、神様ご自身を信じて愛して、たとえ殺されても信じて大胆に歩むことができるようになった。


そして兄弟が強くなったもう一つの理由は、イエス様のオリーブ山の説教を知っていたからである。

【マルコ13:9】あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督や王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。

イエス様の話は確かに成就されている。イエス様の言った通りになっている。イエス様は本当の預言者で神の子で救い主である。だから弟子たちは「イエス様の福音を伝えよう」という思いになるのである。

そしてパウロを訪ねて来る人たちに、パウロ自身で自分がなぜローマにいるのかを説明する。パウロに対してユダヤ人がエルサレムで暴動を起こしたので、千人隊長がパウロを助けて、ユダヤ人に殺されないように守るために逮捕したようなものだった。それからカイサリヤに行った。

【使徒の働き23:11】その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことばを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。

ピリピ人への手紙ではこれも成就されている段階である。神の右の座にすわっているイエス様はすべてを導いてくださっている。


【マルコ13:10】まず福音はすべての民族に宣べ伝えられなければなりません。

これが目の前に成就しつつあるのを見た人たちは、福音を大胆に伝えるように励まされる。イエス様のことばによって支えられて

、イエス様の約束によって励まされて、大胆に福音を伝えるようになっている。ローマ帝国で一番人口が多くて貿易が行われている町に大胆に福音を伝えている。



もう一つ不思議なところがある。

【ピリピ1:15~17】人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。

ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、

ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。

ローマの教会に2つのグループがある。純粋な心福音を伝えるグループと党派心をもって福音を伝えるグループである。

そしてローマ人への手紙14章から15章7節まで、弱い兄弟と強い兄弟のトラブルがローマの教会にあることが書かれている。他にも問題はあるが、この2つのグループの間に摩擦があり、自分のグループは弱い兄弟だと定義されるのは楽しくない。パウロは明らかに強い兄弟の側に立っている。でも弱い兄弟を見下してはいけないし、強い兄弟は弱い兄弟をさばいてはいけない。弱い兄弟はユダヤ人で、強い兄弟は異邦人ということも簡単に言えない。この二つの兄弟の摩擦は57年にあった。60年にパウロはローマに来た。ローマの教会の人はパウロを訪ねて教えを求めている。強い兄弟も弱い兄弟も来るかもしれない。ピリピ人への手紙の中で党派心からキリストを宣べ伝えている人がいると書かれているので、パウロが書いたローマ人への手紙では解決にならなかったのかもしれない。これが弱い兄弟と強い兄弟の対立とは書かれていないが、この箇所を読むとパウロを苦しめるためにこのようにしていることになっている。

【コリント1:12】あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。

コリントの教会の中に争いがあり、教会は分派されている。ローマの教会にも同じようなことがあった。自分たちのグループは1番素晴らしいのだと証明するために熱心に福音を伝える。彼らは実際にパウロを苦しめるつもりでやっているが、逆にパウロは喜んでいる。


【ピリピ1:18】しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。

喜びすぎのようにも感じるが、パウロが喜んでいるのは、本当の福音を伝えているからである。間違った教えを伝えているのであれば喜ばない。ガラテヤ人への手紙ではガラテヤの教会に間違った福音が伝えられているので喜んでいない。悪い動機で福音を伝えていても、福音自体が純粋で正しいものならパウロはそれで良いのである。パウロはイエス様のことばが成就されることを喜んでいる。教会の中の摩擦があることは悲しい話なのだが、福音の前進のために自分の苦しみが用いられている。神の御国の話は自分より大切なのである。


オリーブ山の説教は成就されているが、それは大変なことである。

次は教会に激しい迫害が来る。パウロの十字架が近い。パウロは苦しんで、教会も反対され、たくさんのクリスチャンが迫害される。それをパウロは喜んでいる。これが神の御国の前進そのものだからである。

例えば今、私たちの中に預言者がいて、これからこの教会の人が殺されなければ日本で福音が広まらないと言ったら、死刑を受けるボランティアはいるだろうか。今、中国ではクリスチャンが迫害されて、牧師も投獄されている。ウイグル族はイスラム教なのでクリスチャン(1%)を迫害する。他のいろいろなところでもたくさんのクリスチャンが苦しめられている。しかし苦しめられているクリスチャンは怖がらず、色々な国で大胆に福音を伝えている。この人たちの姿はパウロの姿と同じ。自分たちがどんなに苦しめられてもどんなに大変になってもイエス様の福音を熱心に大胆に伝える。パウロはその模範を私たちに残してくれている。

私たちは迫害されていないが、毎週の礼拝の中で彼らのために祈っている。

パウロは、逮捕されて鎖でつながれているのは機会だと思っている。一人ひとりに福音のために何かの機会が与えられている。その機会を祈り求めて、私たちも御国の前進のために生きる。

誤解しないでほしいが、福音を伝える以外は御国のための働きにならないというわけではない。

子どもたちを御国のために育てることは御国の働きである。兄弟を励まし合って祝福し合うことも御国の働きである。会社で良い働きをして家族のために実を結ぶことも御国の働きである。御国の前進は広い意味があるが、その中で福音を伝えることが含まれていなければ、途中で成長しなくなると思う。


パウロが逮捕されたことが福音の前進の役に立っている。親衛隊の全体に福音が伝わって、摩擦があったり党派心があってもローマの教会が大胆に福音を伝えている。それを見てパウロは喜んでいる。これから厳しい時代が来る。その時間が短くされなければ選ばれた人でさえも残らないとイエス様が言った時代である。そのような時代に向かっている。その中でパウロは自分が殺されることも知っている。それでもパウロは賛美して、御国の前進を喜んでいる。御国の前進はパウロ自身よりも大切だった。そして御国の前進は私たちの生きる目的でもある。御国の前進を見るとき、喜んで神様に賛美をささげる。




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