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「祈りの挨拶」ピリピ1:1〜2

説教者:ラルフ・スミス牧師です。


ピリピ1:1〜2

キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

ピリピ人への手紙は、パウロがローマで逮捕され、24時間ローマの兵に鎖で繋がれて軟禁状態にあった時に書かれた手紙である。同じ時に、コロサイ人への手紙、エペソ人への手紙、ピレモンへの手紙を書いている。その手紙をティキコがそれぞれの教会に届けた。このピリピの手紙は一番最後に書かれたと思われる。なぜなら死ぬか生きるかそろそろわかると書いてあるからだ。

【ピリピ2:23】ですから、私のことがどうなるのか分かり次第、すぐに彼を送りたいと望んでいます。

パウロが逮捕されていたのはAD60年から62年頃で、この手紙はAD62年の終わりに近い頃に書かれたのではないかと思う。



⚫️ピリピの町

ローマ帝国の中で、エペソやアンテオケの町は大きくて豊かな貿易の町だったが、それに比べてピリピの町は小さかったのに有名な町であった。

その理由の一つははアレクサンダー大王の父親の名前がつけられていたからである。BC356年頃のことだ。その意味でギリシャ帝国の時代に有名な町になった。

もう一つはBC44年3月15日ににジュリアスシーザーがカシウスとブルータスの陰謀によって暗殺されたことと関係する。シェイクスピアの劇によると、ジュリアスシーザーの葬儀でマークアントニーの演説を聞いた人々が、シーザーの復讐を求めてカシウスとブルータスに戦いを挑んだので、二人は自分たちの軍隊と共にローマから逃げた。オクタウィウス(後のアウグストゥス)とマークアントニーの軍隊はカシウスとブルータスを見つけてマケドニアのピリピの近くで衝突した。これがピリピの戦いと呼ばれ、この町がローマ帝国の時代に有名になった。この戦いでカシウスとブルータスは殺される。それがBC42年である。オクタウィウスたちは兵をローマに連れ帰らず、ピリピに残したので、ピリピはローマの国籍を持つ特別な町となった。さらに多くのローマの兵たちがピリピの町に行って住んだので、町はローマのようにデザインされ、ローマ帝国の中でピリピは有名でプライドの高い町になった。



⚫️ピリピ教会の設立

パウロがピリピに行ったストーリーは有名である。パウロは3回に渡る伝道旅行の2回目の旅でピリピに行った。1回目の旅はガラテヤで、使徒の働き13〜14章に詳しく書かれている。ガラテヤで福音を伝えた後で、エルサレムから来たユダヤ人クリスチャンたちが、異邦人も割礼を受けなければ救われないとガラテヤの教会に教えたので、パウロは非常に怒ってガラテヤの教会に手紙を書いた。

でもユダヤ人クリスチャンたちは続けてその問題を起こしていた。パウロとバルナバはこのユダヤ人クリスチャンたちに反対して教えたりするが、結局エルサレムで大きな会議を開くことにした。それが教会の歴史の中での最初の会議である。その様子が使徒の働き15章に詳しく書かれている。この会議には使徒たちと問題を起こしているユダヤ人たちが出席した。ペテロ、バルナバ、ヤコブは、異邦人は割礼を受ける必要はなく、イエス様を信じることによって救われると訴えて、これが本当の福音であるという結論になった。


会議が終わって、パウロとバルナバはガラテヤの教会に行ったり次の旅をしようと思った。ところが、バルナバはマルコも連れて行きたいと言う。1回目の伝道の旅で、マルコはある程度まで一緒に行ったのだが、途中でエルサレムに戻ってしまったので、パウロは二度とマルコを連れて行きたくなかった。それでパウロとバルナバは喧嘩して、バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて、それぞれ別々に旅をすることになった。その話は使徒の働き15章の終わりのところに書いてある。それ以降使徒の働きにバルナバの名前は出てこない。すべてパウロ中心となる。

パウロとシラスはガラテヤの教会に行って会議の結果を知らせる。それからそして小アジア(今のトルコ)に行って福音を伝えようとするが御霊が止めたので、北のベタニアに行こうとするがここでも御霊に止められて、途中でテモテも連れてパウロ、シラス、テモテの3人でトロアスに行く。その夜パウロが幻をみて、マケドニア人が「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するので、彼らはただちにマケドニアに渡った。ところでこの時初めて「私たちは」と著者であるルカが言うので(使徒の働き16:10)、私たちはこの旅にルカも一緒にいることがわかる。4人はトロアスから船出してネアポリスに行き、そこからマケドニアのピリピに行った。

彼らはピリピに着いて数日間滞在した。そして安息日になって、会堂ではなく川岸の祈りの場に行った。ピリピはそれほど大きな町ではないので、ユダヤ人があまり住んでいなくて会堂がなかったのかもしれない。でもイスラエルの神を信じている女性たちが安息日に川岸に集まって祈ったり礼拝したりしていた。その時にパウロとシラスたちがその女性たちに福音を伝えて、リディアという女性がイエス様を信じて救われた。リディアとその家族がバプテスマを受けた時、彼女が自分の家にパウロたちを招いた。それがピリピの教会のスタートである。

ところが、ある占いの霊につかれた若い女奴隷が、何日も「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています(使徒の働き16:16)」と叫び続けたので、困り果てたパウロが女性からその霊を追い出した。ところがその女奴隷を利用して占いでお金儲けをしていた人たちが、パウロたちを憎んで「この者たちはユダヤ人で、ローマ人に許されていない風習を宣伝している」という偽りの証言をしたので、役人がパウロとシラスをむちで打って牢に入れて、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は二人を牢の奥に入れて足に木の足かせをはめた。ところがその夜に大きな地震が起こり、牢の扉が全部開いて全ての囚人の鎖が外れてしまった。目を覚ました看守は牢の扉が開いているのを見て、囚人がみんな逃げてしまったと思って剣を抜いて死のうとした。ところがパウロがだれも脱走していないことを伝え、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」と言ってその看守とその家族に神のことばを語った。看守はその夜2人を自分の家に引き取り、傷を洗い、看守とその家の者全員が真夜中にその場ですぐにバプテスマを受けた。パウロが福音を伝え、それを信じた人たちによってピリピの教会は大きくなっていた。(使徒の働き16章)


夜が明けると、町の役人がパウロたちを釈放するように言ったのだが、パウロは「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです。」と言った。パウロがローマ市民であることを恐れた長官たちが自ら出向いて町から立ち去ってくれるようにパウロたちに頼んだ。パウロたちはそこから出て次の町テサロニケに行き、そこでまた暴動が起きたので去って、次の町べレアに行った。次から次へ反対されて、暴動が起きて次の町に行く。そして最終的にアテネに行ってそしてコリントの町に行った。パウロたちはコリントに1年半滞在したので、覚えやすいように2番目の旅はコリント中心と言っているが、ピリピの教会もべレアの教会もすべてこの旅で立ち寄った町なのである。

ピリピの教会が設立されたのはAD51年頃で、パウロがローマの牢の中でピリピ人への手紙をAD62年に書いたとすれば、ピリピの教会が手紙を受け取ったときは設立されてからまだ約10年しか経っていないということになる。

リディアや看守たちが熱心にパウロを受け入れて、パウロと親しくなり、この人たちが教会の中心人物となった。そして何回もパウロに献金を送り、パウロのことを心配してくれる教会だった。ピリピ人への手紙はガラテヤの教会に宛てた手紙とは全然雰囲気が違う。ガラテヤの教会には怒って叱ったりしているが、ピリピの教会はとても親しい教会で、この手紙の最初に普通ではないことを言う。



⚫️キリスト・イエスのしもべ

原語ではキリスト・イエスのしもべたちとなっている。パウロの手紙で自分をしもべと言うときはほとんどの場合は単数系なのだが、ここだけはパウロとテモテがキリストのしもべたちと言う。初めて複数形になっている。しもべは奴隷という言葉で、これを読む人はきつい言葉であると感じていたと思う。パウロとテモテは自分たちを奴隷であると思っている。イエス様ご自身が奴隷の姿になって十字架上で私たちの罪のために死んでくださった(ピリピ2:6~8)。パウロは、最初から自分たちを奴隷であると言って、自分たちが使徒であるとか偉いとかそのようなことではなく、自分を低くして、親しい教会にこの手紙を送っている。

【ピリピ2:3】何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。

一番最初のところから、ピリピの教会の人たちの方が大事で、パウロより上で、パウロとテモテは奴隷である、というところから手紙が始まる。キリスト・イエスの奴隷たちというのは、主イエス・キリストに100%従う者、キリストに仕える者である。そのような思いをもってこの手紙を書く。



⚫️キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち

「キリスト・イエスにある」というのは契約の立場である。私たちがバプテスマを受ける時、主イエス・キリストに入るようにバプテスマを受ける。ガラテヤ人への手紙では、「into」という言葉が使われている。英語では「in」と「into」という言い方があるが、ここでは「into」という言葉を使っている。バプテスマを受ける前は外にあったものがバプテスマによってキリストの中に入るというイメージである。これは契約の関係を表す言い方である。

この人たちはキリスト・イエスにあって聖徒たちで、きよい者たちである。これも立場の話である。つまりみんな完全に素晴らしいクリスチャンで、聖徒と呼ばれるのにふさわしい人だとは限らない。キリストの恵みとキリストの血によって洗いきよめられた。それで私たちはキリストにあってきよい者となった。自分にあってそれほどきよい者ではない。毎週礼拝で、言葉、思い、行いにおいて多くの罪を犯していると告白している。自分たちはきよいというより罪人だと認識する。弱くて罪深く、足りないことを認識して、教会に来て、赦されて、つまり洗いきよめられて、きよい者として受け入れられる。キリストにあってきよい者。自分にあっては弱くて罪深く、神の御前に立つことはできないが神の十字架の愛によってきよい者となった。パウロはピリピの教会を主にあって聖徒たちと呼び、私たちもイエス様を信じてバプテスマを受けて、キリストにあって聖徒と呼ばれる。



⚫️ならびに監督たちと執事たち

コリント人への手紙にもローマ人への手紙になどにもこのような言い方はない。ピリピだけに出てくる特別な言い方であるが、なぜこの言い方をしているのかわからない。小さな教会だからかもかもしれない。例えばエペソの教会で考えると、パウロが3年間滞在して非常に不思議な奇跡を行なって、多くのエペソ人が救われたので、エペソの教会には少なくとも千人以上いたのではないかと推測できる。しかしそれだけの人数が一つの場所に集まることはできないので、日曜日の礼拝はクリスチャンのだれかの家庭に集まる。一つの家に30人から50人位まで集まることができるだろうと言われる。大きな家だったら50人以上入るかもしれないが、千人が一度に入る場所はない。そのようなわけでエペソの教会は複数の場所で集まっていた。一つ一つの場所にそれぞれリーダーがいるので監督たちという言い方があっても不思議ではないが、ピリピは小さい教会なので一つのところに集まって礼拝している。もしかしたらその中に複数のリーダーがいたのかもしれない。そのためにパウロは「監督たちと執事たち」と言っているのかもしれない。



⚫️私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

「誰から誰へ」というのは当時の普通の手紙の書き方である。

使徒パウロから、キリスト・イエスのしもべパウロから、などの言い方にいつも深い意味があるように、ピリピにいる聖徒たちへ、などの言い方にも深い意味がある。ただ単にパウロから(例えば)ヨハネへ。シャローム。というようにはしないで、パウロはそれをもっと深く教えてくれる。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

この言い方は、御父と御子が一緒になって恵みと平安を与えてくださることを表している。三位一体なる唯一の神様から恵みと平安がありますようにと祈っている。ただ単に「恵みがあるように」と挨拶しているのではない。神様の契約の恵み、救いの恵みがあなたたちにありますようにと祈っている。この恵みによって私たちは救われたし、恵みによって続けて支えられている。恵みから始まって、恵みによって支えられ、最後に復活が与えられる。この恵みが続けてピリピの教会に与えられるようにパウロは祈っている。

日本語で平安と翻訳されているが、ヘブル語でシャローム、ギリシャ語でエイレーネ。これは永遠の平安を表すことばで、平安な心の話でもあり、すべての祝福を含む言い方でもある。神の恵みと契約の祝福すべてがあなたがたにありますように、という祈りの挨拶なのである。ただの「グッドモーニング」ではない。

私たちは礼拝の最後に「主よ たまえ 平和を」と賛美するが、平和と平安が両方含まれている祈りである。パウロは自分と親しいピリピの教会にこのような祈りの挨拶で手紙を始める。自分を低くして心からの祝福の挨拶を語って、ピリピ人への手紙が始まる。


私たちは聖餐式をいただく時に、私たちが主イエス・キリストによって洗いきよめられた聖徒であり、このお方が続けて恵みと平安を与えてくださる神様だと告白して一緒に聖餐をいただく。




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