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「神の御国の福音にふさわしく生活しなさい」ピリピ1:27

説教者:ラルフ・スミス牧師


ピリピ1:27

ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っている。

●ただ一つ

2003年版新解約聖書では、「ただ一つ。」で始まっている。そしてここからは意訳なのだが、「神の御国の国民として福音にふさわしく生活しなさい。…あなたがたは御霊の一致によって堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦ってください。」



「ただ一つ。」という翻訳はとても良い翻訳だと思う。パウロはピリピの教会にただ一つのことを強調して伝えたいと思っている。ピリピ1:27から2:18までで、ただ一つの教えだけを与えている。その一つのこととは「福音にふさわしく生活しなさい。」ということである。それがクリスチャンの歩み方の基本である、パウロはそれを非常に強調する。



●生活しなさい

パウロはよく「歩みなさい」と言うが、「生活しなさい」とはあまり言わない。これは非常に特別で、パウロの手紙の中で普通に使われることばではない。

「生活しなさい」はギリシャ語で「polis(ポリス)」で大都市を指すことばである。メトロポリスやポリティカルということばはこの「polis」が元になっている。先ほどそれを「神の御国の国民として生活しなさい。」と意訳した。

ピリピの人たちはこのことばのニュアンスを特別に感じるはずである。

パウロはピリピ3:20でまた似たことばを使う。同じことばではなく関係していることばであるが、それは「国籍」である。パウロの手紙の中ではこのピリピ人への手紙の1:27と3:20にしか使われていない。

なぜかというと、ピリピの町が特別な町だったからである。



●ローマの国籍

アレキサンダー大王の父親がピリピを征服したときに、自分の名前をその町につけたので、ピリピと呼ばれている。そしてその後の歴史はいろいろ複雑である。

BC44年3月15日にジュリアスシーザーがカシウスとブルータスの陰謀によって暗殺されたことと関係する。ジュリアスシーザーの葬儀でマークアントニー(シェイクスピアの劇『アントニーとクレオパトラ』のアントニー)の演説を聞いた人々が、シーザーの復讐を求めてカシウスとブルータスに戦いを挑んだので、二人はローマから自分たちの軍隊と共に逃げた。オクタウィウス(後のアウグストゥス)とマークアントニーの軍隊はカシウスとブルータスを見つけてマケドニアのピリピの近くで衝突した。これがピリピの戦いと呼ばれ、この町がローマ帝国の時代に有名になった。BC42年にカシウスとブルータスは殺された。その後オクタウィウスたちは兵をローマに連れ帰らず、ピリピに残して土地を与えて住ませて、ピリピをローマ帝国の国籍を持つ特別な町とした。それでピリピで生まれた自由人もみんなローマの国籍を持つことになった。

イタリアの中でローマの国籍を持つ人は5割ほどいたと思われるが、イタリア以外でローマの国籍を持つ人は1~3%しかいなかった。だからマケドニアのピリピの自由人がローマの国籍を持っているのは非常に特別なことであった。

ピリピにはローマ帝国の模範的な生活が表れていた。ピリピの町で20%は奴隷、80%は自由人。だからピリピの町の80%の人がローマの国籍を持っていたと思われる。



パウロはピリピで逮捕されて、裁判など何もなくむちで打たれて牢に入れられたが、パウロがローマの国籍を持っていることがわかるとリーダーたちはこわくなって、パウロに町から立ち去ってくれるように頼みに来た(使徒16:37~39)。ローマの国籍を持つ者に裁判なしでむちを打って牢に入れるのは許されなかったからである。

それでパウロはピリピを出てテサロニケに行った。



●ルカ

パウロと一緒にピリピの町に行ったのはだれだったか。

使徒の働き15章のエルサレムでの教会会議で、異邦人は割礼を受けなくても御霊によって救われる、という結論に至り、その会議が終わってからバルナバはマルコを連れて伝道の旅に出た。パウロはシラスを連れて出発し、キリキア、デルべ、リステラに行き、リステラでテモテが合流した。それからガラテヤ地方を通ってトロアスに行き、トロアスでルカが合流した。そこから船でピリピに行った。つまりパウロと一緒にピリピに行ったのは、テモテ、ルカ、シラスである。この四人でピリピに行ったのだが、パウロがピリピの町から追い出されたとき、ルカ一人だけがピリピに残った。

使徒の働き16~17章を見ると、ルカはパウロと一緒にピリピを出て行かなかった。パウロはAD49年頃にピリピからテサロニケ、べレア、アテネ、コリントへ旅を続けて、最終的にエルサレムに戻ってからアンテオケに行った。アンテオケからまた次の伝道の旅に出たのだが、その旅でエペソで三年間働いた後で少しだけピリピに戻った。それがAD55年頃であるが、そのときルカはまだピリピにいた。ルカがAD49年からAD55年までずっとピリピにいたのか、それとも途中でどこかに旅をしてピリピに戻っていたのかは定かではないが、パウロがピリピの教会と特に親しいのはこのルカがピリピの教会に長くいたからだと思う。ピリピのことを考えるとき大切なことの一つである。



●神の御国の国民として福音にふさわしく生活しなさい

パウロがピリピの教会に、天の国籍を持つ者として御国の国民としてふさわしく生活しなさい、と言うとき、ピリピの教会の人々はローマ帝国の国籍のことを考えると思う。しかしそれだけではない。じつは七十人訳のマカバイ記という外典の中にこのことばが何回も出て来るのである。ピリピの人たちはマカバイ記のことも考えると思う。

マカバイ記は全部で8章まであるが、外典には4章までしか含まれていない。1611年に翻訳された英語の聖書KingJames版にはこの外典が含まれていた。もちろん聖書としてではなくて、旧約聖書と新約聖書の間の歴史を知るために読んでいた。

マカバイ記の中で、このことばは「ユダヤ人がユダヤ人らしくモーセの律法に従って生活する」というところに使われている。ユダヤ人がユダヤ人らしく生活すると迫害される。それでもユダヤ人は、異邦人に憎まれても迫害されても、割礼を行い、食べ物などの律法に従って歩んでいた。ユダヤ人は自分たちが神の民であるという認識を持っていた。

パウロはここで、神の御国の民としての認識を持って福音にふさわしく歩みなさい、という。皮肉なことだがユダヤ人はモーセの律法を守っているので異邦人に迫害されたが、ピリピの教会(異邦人)は福音に従って生活しているのでユダヤ人に迫害された。逆になっている。福音がモーセの律法の代わりに迫害される原因となっている。パウロもユダヤ人に迫害されていた。



●福音

福音を狭く考えてはいけない。私たちはいわゆる福音派である。主イエス様を信じることよってのみ永遠のいのちが与えられることを信じている。しかし福音は狭く考えるべきものではないし、ただ単に信仰によって義と認められるという信仰だけで十分だとは思わない。

【マタイ9:35】それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒された。

パウロの言い方も御国の福音を前提としている。福音は良い知らせ。短く言えば「イエスは主である。」ということである。その意味は、イエス様は十字架上で死んで復活して昇天して神の右の座にすわってすべてを支配しておられる主です、ということである。



ペテロはユダヤ人たちにこのように言う。

【使徒の働き2:36】ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。

主とは支配者で、キリスト(メシア)とは世界を治める王である。これが良い知らせなのである。

この良い知らせは創世記1:1から始まる。

【第一コリント15:3~4】私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、

イエス様が私たちの罪のために死なれたことも、三日目によみがえられたことも、創世記からずっと書かれていることの成就である。聖書のメッセージをすべて含むのが福音である。ある教会では聖書を福音と律法に分けていたが、私たちはそのようなことはしない。律法の教えも良い知らせ、聖書に書かれている他のすべてのことも良い知らせである。良い知らせとして読んで、良い知らせとして感謝して、良い知らせとして受け入れる。

パウロが御国の福音にふさわしく生活しなさいと言うとき、創世記1:1から黙示録の最後まで(当時はまだ旧約聖書といくつかの福音書だけだったが)に書かれているすべてのことが御国の福音であるという認識を持ち、聖書全体に従って歩むように教えられている。

聖書に従うのはかなり広く深くなるが、じつは私たちは御国の国民であるという認識をもって毎週の礼拝を行っている。モーセの十戒を唱える時には「このように生活ができますように」と神様に話しているし、主の祈りを祈るときには「神様の御心がこの世で完全に行われますように」と祈っているのだ。

毎週の日曜礼拝は一週間の出発である。今週も神のみことばを守って歩み、神の御国を求めることができるように祝福して助けてください、と祈っている。



●天の国籍

ピリピの教会は天の国籍を持っているが、国籍についての考え方は私たちの考え方と少し違うかもしれない。ピリピの教会がローマの国籍を持っているのは、いつかローマに戻るということをローマ帝国が期待していたからではない。大勢の軍人がローマに戻って来ても困るのである。むしろピリピの町にローマの文化を持って来て、ローマへの忠誠心によってそこに小さなローマを作ることが目的である。ローマ帝国はピリピの町にローマの影響を与えるために国籍を与えているのだ。

同じように私たちに天の国籍が与えられているのは、私たちがこの地に天の御国の影響を与えるためなのである。

パウロは福音にふさわしく生活して迫害された。それでも福音は広がる。

【ピリピ1:14】兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。

ピリピの教会が福音にふさわしく生活するなら、毎日の生活においてみことばに従い、熱心に福音を伝えるように働き、国籍が天にある者として生きるはずである。「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること(ピリピ1:20)」、これがパウロの願いであった。

創世記1:1から最後まで、聖書のすべてが神の愛の手紙である。その尊い素晴らしいみことばが与えられている私たちは、みことばを喜び、みことばに従って歩み、主イエス・キリストを知らない人たちにイエス様のことを話す機会を祈り求めるべきである。

神の御国がこの日本にも来るように祈る。神の御心が私たちにおいて行われて、人々が救われてだんだん神の栄光が現れるように祈る。それがパウロの教えである。



毎週の礼拝は福音にふさわしく生活することができるように私たちを励ます礼拝である。

礼拝の最後に福音のメッセージを象徴するパンとぶどう酒をいただく。パウロの時代の礼拝では聖餐式を行わないことは考えられなかった。礼拝の頂は主の食事をいただくことである。

イエス様のからだであるパンをいただいて、イエス様の血であるぶどう酒をいただいて、イエス様が私たちの罪のために死んでくださって、よみがえって、神の右の座にすわって、私たちをご自分の兄弟、ご自分の民として喜んで愛してくださることを一番最初に思い出して、神の御国の福音のために生きる心をあらたにして、聖餐をいただく。





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