説教者:ラルフ・スミス牧師
ピリピ1:12〜18
さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、
ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。
しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。
人が、2022年から2023年にかけてのこの時代の状態、状況を理解しようとするなら、少なくても次の4つの課題について考えるだろう。
1、イスラム教と西洋の対立の問題。201年9月11日から非常に目立っている。
2、コロナの問題。全世界で認識されていることである。
3、中国と周りの国との関係。
4、ロシアとウクライナの問題。
これらが今の時代の2022年から2023年の課題、問題である。
しかし一番本質的なことは何なのだろうか。つまり地勢学的に今の状態を見て分析しても、本質的なことを見ているとは限らない。2千年前のイスラエルで一番大切なことは、アウグストゥスのことでもローマ帝国のことでもなく、ベツレヘムで生まれたひとりの赤ちゃんのことだった。それが当時の世界で一番大切なことだった。しかし当時のほとんどの人はそのことを知らなかった。
同じように、私たちが今の世界を見て、イエス様がどこでどこでどのような働きをしているかを細かく言うことは多分できないと思う。どこかで、これからの教会の歴史の中で大切なアウグスティヌスやカルバンやルターのような人物が先月生まれたかもしれない。イエス様がどの教会で、どんな特別な御霊の働きをしているか、私たちは定義できない。イエス様はご自分の教会を建てると宣言したので、その働きをしている。契約的に教会を導き、懲らしめる働きをしている。しかしそれは原則的で大雑把な話である。
ピリピ人への手紙を受けた人たちは、自分たちの時代にイエス様が何をしたか、どのように導いてくださったのかを知っている。なぜならイエス様が預言者だからである。私たちの時代には預言者はいないので、これからこうなると預言できる人はいない。しかしイエス様はご自分の復活の後からエルサレムの神殿がさばかれるまで、このようなことが起きると預言してくださった。
ピリピ、コロサイ、コリントの教会などは、イエス様のオリーブ山の説教のことをみんな覚えている。
【マタイ24:9~13】そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。
しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
イエス様は、ご自分が昇天した後の時代がどのような時代かを預言している。人々は彼らを苦しみにあわせて殺す。ペテロとヨハネが神殿で福音を伝えたときに逮捕されて打たれたりした。ステパノも殺された。エルサレムの迫害が激しくなったので、ほとんどのクリスチャンはエルサレムから逃げていかなければならない。パウロも福音を伝えるたびにあちこちで迫害にあい逃げなければならなかった。ヨハネの兄弟ヤコブもヘロデに殺された。迫害は最初の年から始まっている。64年からそれがどんどん増えて、たくさんのクリスチャンが殺された。
イエス様は多くの人がつまずくと言う。ピリピの教会はパウロの伝道によって50年ごろに作られた教会で、マタイの福音書を持っている。マルコとルカの福音書も持っているだろう。イエス様が、つまずき、苦しみ、殺さると話すとき、みんなまずペテロのことを考えると思う。ペテロは苦しめられることを恐れて、逃げてしまった。あのペテロでさえ恐れてつまずくなら、自分たちも神様に支えられなければ苦しみにあってつまずいてしまうかもしれないと思ったのではないかと思う。
イエス様は多くの人がつまずいて憎しみあうと言う。ペテロはつまずいたが、主イエス・キリストを愛する愛から離れなかった。悔い改めてイエス様に戻った。
イエス様は多くの人の愛が冷えると言う。イエス様は、黙示録2章でエペソの教会に「あなたは最初の愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く(黙示録2:4~5)。」と言う。
ピリピの教会の人たちは、このような警告のことばを聞いて、これからの時代がどういう時代かを考える。迫害されて殺されることもあるし、人々が信仰から離れたり、偽預言者が多くなってつまずいたりすることがある。そのことを聞いているので、エルサレムのさばきが近いことも知っている。この世代が終わる前に全て成就されるとイエス様が預言した。ピリピ人への手紙は62年頃書かれているので、イエス様がこの預言をしてからすでに32年ぐらい経っている。
ピリピの教会の人々にとって、イエス様のことばはすべてを考える枠組みになっている。
私たちも新聞、インターネット、テレビ、そのすべてのことをイエス様の預言の枠組みの中で考える。どうなっているのかをイエス様のことばで解釈する。だからこの人たちは、本質的な動きは何なのかを知っている。それで、祈り、心配して、イエス様のさばきを待ち望んでいる。
ピリピの人たちは、もう一つ、イエス様の預言のことばの中で覚えていることがある。
【マタイ24:14】御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。
全世界というのはローマ帝国のことである。ローマ帝国のいろいろな民族に福音の宣言が広まり、福音が広まっていくことを表す。
【コロサイ1:6】この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び、成長しています。
パウロの身に起こったことは、福音の前進に役立っている(ピリピ1:2)。パウロが逮捕されて、裁判を待っていることによって、逆に福音がもっと広まっている。イエス様の預言通りである。パウロがキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員に明らかになっている。先々週話したが、パウロは鎖に繋がれて軟禁状態の中で、マルコもテモテもルカも一緒で全部で十人くらいになっている。パウロが繋がれているローマ兵は親衛隊である。ローマ帝国のエリートで、ローマ帝国に9千人ぐらいいる。彼らは政治的な動きがあるときやコロシアムでの試合のときに、皇帝や議員を守っている。
その人たちが4時間ごとにパウロを見張る。1年間で2190回の交替、2年間で4000人以上の親衛隊がパウロたちの会話を聞いている。全部違う人ではないと思うので、すくなくても千人以上の親衛隊がパウロにつながって、パウロとルカやテモテたちとの会話を聞いて、食事の場面を見ている。食事の祈りを聞いて、食事の会話を聞いて、どんなにネロと違うのかがわかる。ネロは54年に16歳で母親のお陰でローマの皇帝になり、59年に自分の母親を殺した。そのときから色々おかしくなっていった。いつも酔っていて、いつも不正を行っていて、食べ過ぎて吐いてまた食べての繰り返し。親衛隊はそれを毎日見ている。パウロたちは一緒に食事をし、イエス様について語って、福音について語って、教会のことについて語っていた。福音は兵士たちに、間接的に、そしてもちろん直接的にも広まっている。パウロに4時間つながっている人に、パウロはあいさつし、イエス様のことを話す。そのようにしてパウロが逮捕されて鎖に繋がれていることが福音の前進に役立っている。
他の意味もある。パウロは教会に手紙を書いた。使徒の働きに書かれているが、ローマの教会の人たちはパウロに会いに来た。イエス様を信じていないユダヤ人にもパウロは福音を伝えている。だから親衛隊全員と他のすべてのカエサルの家の人たちに、パウロは福音を伝えている。
【ピリピ4:22】すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。
福音が非常に広まっている。パウロが宣言している福音は、今の時代の福音と、場合によって強調するところがちがう。つまり、ただ単に、死んでから天国に行くということだけではない。イエス様がよみがえって、昇天して、神の右の座にすわっている。イエス様が本当の王である。
ローマの皇帝はイエス様のはるか下にいる。ローマ帝国の皇帝は自分のことを「クリオス」と呼ぶが、パウロが「イエス様は主である」と言うとき、「クリオス」ということばを使う。まるで皇帝に対して挑戦しているような感じである。
【マルコ1:1】神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。
アウグストゥスのときから、ローマ帝国の皇帝は、自分のことを神の子と呼ぶ。マルコもパウロも、神の子はネロではなくイエス様であると言う。
福音の宣言とは、神の御国の福音の宣言なのである。マタイ24章でのイエス様のこの宣言のことばは広まって、ローマ帝国に広まっていった。
マタイ24:14の「福音の証し」ということばは、私たちが使っているように自分が神様にどのように祝福されているかを話すという使い方もあるし、詩篇の中でもそのような使い方もあるが、申命記の中で、モーセが次のように言う。
【申命記31:26】このみおえしえの書を取り、あなたがたの神、主の契約の箱のそばに置きなさい。その場所で、あなたに対する証しとしなさい。
つまり、律法はイスラエルの罪を訴えて暴露する証言、証しとなるとモーセは話している。イエス様のオリーブ山の説教は、イスラエルの罪を表す証しである。
パウロたちが「イエス様はよみがえりました」と宣言するとき、ローマ帝国も加わって、イエス様を十字架にかけたユダヤ人の罪を暴露する。それで悔い改めるかどうか。
イエス様がよみがえったということは、イエス様は無罪で、正しいお方であるということを何よりも証明する。預言者なるイエス様の預言のことばが成就されなければ、イエス様は本当のメシアでも祭司でもない。イエス様のことばにすべてかかっている。それを知っているピリピの教会は、イエス様の預言のことばを毎日覚えて、福音を伝える。イエス様が預言した通りの時代になって、福音が広まることによってその終わりが近づいていることがわかる。すべてのローマ帝国に広まったら、その時に終わりが来る。
パウロは福音が広まっていることを喜んでいる。これからイエス様が預言した通りにエルサレムのさばきが来るからだ。正確に伝えているなら、だれがどのように福音を伝えていてもかまわない。偽預言者の福音は別として、動機が悪くても正しい福音が伝えられているなら、パウロは喜ぶことができる。福音が広まるなら終わりは近い。イエス様と教会の関係が明らかになり、イエ様が昇天して神の右の座についていることが公けに、明白に証明される。イエス様の預言通りに成就される。パウロはそのことを喜んで待っている。ピリピの教会の苦しみは、終わりに近づいていることを意味している。そしてピリピの教会も福音を伝える時に、イエス様の預言のことばに加わって、それを求めている。
私たちが福音を伝えるとき、それとは意味がちがう部分がある。私たちもイエス様のことばが成就されるように福音を伝えていることが変わらない。
すべての国民をイエス様の弟子にするために、御霊の力をもってイエス様とともに働いて福音を伝えている。
私たちが福音を伝えるときに、バプテスマを行って、イエス様の命令を守って、キリストにあって成長するように、福音のために働く者として、神様に任命されて、日本に置かれている。
御霊の力によって、御国のために働く喜びは私たちにも与えられている。
そのことを覚えて、福音を伝える機会を熱心に求めて、神の御国のために働く者として成長したいと思う。
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