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「いのちのことば」第一ヨハネ1:1~7

  • 4月19日
  • 読了時間: 12分

説教者:ラルフ・スミス牧師


第一ヨハネ1:1~7

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさおわったもの、すなわち、いのちのことばについて。このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。


第一ヨハネの歴史的文学的な背景を知るために、イエス様の教え、特にオリーブ山の説教が一番大切である。

弟子たちがイエス様に神殿がどんなに素晴らしいかを話していたところ、イエス様はこのように言われた。

【マタイ24:1】ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。

これは神殿がさばかれて崩されるという意味である。

【マタイ24:3】イエスがオリーブ山に座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」

この弟子たちの問いに答えてくださったのがオリーブ山の説教である。

マタイ24~25章で一番長く語っている。マルコ13章、ルカ21章にも同じ説教が書かれている。

イエス様は、いつ、どのようにこうしたことが起こるのかということを教えられた。大変な時代になり、戦争になったり地震になったりすることを話されたが、罪が多くなってしまうので、たくさんのクリスチャンが信仰を失ってしまうということも、イエス様は話された。愛が冷たくなり、愛から離れてしまうことを預言し、偽預言者がたくさん出てきて「私はキリストです」と言ったり、聖書の教えに反対して聖徒たちを惑わしたりすることも教えてくださった。

【マタイ24:34】まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。

この時代が過ぎるまでにそのことが起こる。この時代とは四十年間のことである。

なぜ四十年なのかというと、荒野のイスラエルの歴史からそれがわかる。

エジプトから出た最初の世代はカナンに入ることができなかった。エジプトを出てだいたい二年でシナイ山に着き、そこからカナンに入る直前までが三十八年で、その間に最初の世代がみんな死んだ。だから一つの世代は四十年であるということができる。

そしてイエス様がオリーブ山で語られたようにAD70年に神殿が破壊された。イエス様が復活してから神殿のさばきまでは約四十年であった。その神殿が破壊されるまで、その間がどのような時代になるかをイエス様は預言された。

イエス様のその預言は、もちろん弟子たちの心に残っているし、すべての新約聖書の手紙の背景にもなっている。イエス様が預言されたように、教会は迫害され、憎まれて、イエス様を信じる者たちが大勢殺される。その歴史が使徒の働きに書いてあるし、パウロの手紙やペテロの手紙にも書かれている。

それが第一ヨハネの預言的な背景である。第一ヨハネだけでなく、新約聖書全体の背景である。


第一、第二、第三ヨハネによる手紙を書いたのは使徒ヨハネである。この手紙をいつ書いたかは明記されていないが、おそらくAD60年頃ではないかと思う。新約聖書のすべてがAD70年までに書かれていると思う。

皇帝ネロがクリスチャンを迫害する大患難の時代はAD64年から始まった。ネロはローマを火で破壊してその罪をクリスチャンになすりつけた。その時からキリスト教が激しく迫害されるようになった。ユダヤ人にもローマ人にも迫害されるようになってしまった。それで、ヘブル書、第一、第二、第三ヨハネの手紙は、その迫害の中にいるクリスチャンに宛てたものであることを覚えて読まなければならない。そうすると、この手紙の強調や大切にしていることがわかる。特にヘブル書では、教会が信仰から離れてユダヤ教に戻ってしまう誘惑を受けている。そのような時代にヨハネはこの手紙を書いている。


第一ヨハネの中に、「黒か白か」「いのちか死か」という強い対比がある。神様を信じて従うかサタンに従うかという絶対的な違いを語っているような感じになる。

どうしてここまで強い言い方、絶対的な対比にしているのかと言うと、妥協する誘惑にぶつかっている人たちに曖昧なことを言うと、もっともっと誘惑を受け、立つことができず、戦うことができないからである。しかし私たちには、「私は絶対に暗闇には行かない。私は光に従って歩む」という選択肢しかないのである。暗闇か、光なる神様かということを認識して、自分たちがどのように歩むべきかをはっきり決めるようにヨハネは話している。


この手紙を書いたヨハネは使徒ヤコブの兄弟である。ヤコブはAD44年に殺害された。

【使徒の働き12:1~2】そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。

使徒たちの中で一番最初に殺害されたのがヤコブである。

ステパノは最初の殉教者であるが、彼は使徒ではなかった。


この手紙は「ヨハネから誰々へ」ということばから始まらない。普通の手紙は、例えば「パウロからローマの教会へ」という言い方から始まり、「恵みと平安があなたがたにありますように」という感じになっているが、この手紙は「初めからあったもの…」で始まっている。誰から、ということも書かれていないが、それは読めばわかるようになっている。

この手紙をヨハネが書いて使徒に渡し、使徒が色々な教会を尋ねて届けることによって、多くの人がこの手紙を読むことができた。だから誰に宛てた手紙かを書かなくてもよい。


⚫️初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。(第一ヨハネ1:1)

・初めからあったもの

ヨハネの福音書1章1節の「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」というところと似ていることに気づく。「初めからあったもの」は、永遠なる主イエス・キリストのことである。

・私たちが聞いたもの

この言い方は、ヨハネだけが聞いたわけではないということである。ヨハネが使徒たちの代表として手紙を送っているような感じである。「私たち」というのはすなわちイエス様の十二弟子たちや、エルサレムでペンテコステを待っていた百二十人のクリスチャンたちなどのことで、当時は主イエス・キリストの説教を直接聞いた者たちがたくさんいた。

・自分の目で見たもの、じっと見つめ、

この人たちはただイエス様の話を他の人から聞いたわけではなく、自分の目で見た目撃者であることを強調している。

・自分の手でさわったもの

少し驚く表現かもしれないが、復活した後、イエス様が本当に生きておられることが弟子たちに分かるように「私に触ってください」とみんなに言われた。

・いのちのことば

これはイエス様のことを話している。神とともに永遠にあったことばはいのちのことばである。なぜいのちのことばなのかというと、主イエス・キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられるからである。イエス様はいのちを与えてくださるお方である。そしてイエス様ご自身がいのちであるということである。

【ヨハネの福音書11:25】わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。

ラザロのお墓の前でイエス様がマルタに話されたことである。イエス様がラザロを呼ぶと、ラザロは墓から出てきていのちを与えられた。私たちが主イエス・キリストを信じるときに、永遠のいのちが与えられる。イエス様はいのちのみことばそのものだからである。

ヨハネはその方のことを聞いたり、見たり、さわったりしたので、だからこそ、ヨハネは確かな証しができるのである。


⚫️このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。(第一ヨハネ1:2)

・このいのちが現れました

これはイエス様の受肉のことである。永遠のいのちであるみことばなるイエス様がこの世に現れて、人間となってくださった。イエス様が復活して昇天し、聖霊が与えられるまで、弟子たちはイエス様が神の永遠の御子、永遠のみことばであるということは分からなかったが、復活して聖霊が与えられた後で、自分たちが聞いて、見て、触ったイエス様が神の永遠の御子であるということが分かるようになった。

・私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。

「証し」という言葉は、法的な意味を持っている。自分が経験していないものについて証しすることはできない。裁判に呼ばれて証言する時のように、ヨハネは自分たちが見たもの、聞いたもの、触ったものについて証ししている。そして、権威を持って真理を語る形で、あなたがたに伝えるとヨハネは言う。


⚫️私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。(第一ヨハネ1:3)

ヨハネは交わりということばを使う。私たちは、交わりを軽い意味で使うこともあると思うが、ヨハネがここで言っているのは、御父と御子が持っているような交わりのことである。この交わりはいのちをともに持つ交わりで、愛の交わりを意味する。永遠のみことばの交わりを持っているし、お互いを愛し合って、お互いを祝福し合っている。私たちがイエス様を信じると御霊が与えられ、御霊が私たちの中に住んでくださることによって私たちも御父、御子、御霊の交わりに入ることになっている。

そして、私たちがお互いに交わりを持つことができるのは、同じ聖霊が私たちの中に住んでいてくださるからです。イエス様を本当に信じている者ならすべて、互いに交わりを持つことができる。毎日顔を合わせていなくても、例えば旅をして全く知らない教会に行っても、そこでクリスチャンたちに会って話したら、その場ですぐに昔からの友人のように交わりを持つことができるのである。

その交わりの一番大切なところは、一緒に礼拝をすることである。礼拝は交わりである。一緒に立って同じ神様への信仰を告白し、同じ神様を賛美し、私たちの教会の特徴として、子どもたちも一緒に交わりを持っている。子どもたちを大人と別にして礼拝するのは良くないと思う。子どもたちも一緒に礼拝し、みことばを聞くことは非常に大切である。かつて弟子たちが子どもたちをイエス様から遠ざけようとしたとき、イエス様は弟子たちを叱られた。

【マタイ19:14】子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。

一緒に礼拝をし、聖餐をいただくのは、御父、御子キリスト、御霊との特別な交わりである。私たちの交わりは、この教会の教会員だけではなく、バプテスマを受けてイエス様を信じるすべてのクリスチャンとともにもつ交わりなのである。

ヨハネはここで、自分たちの交わりが御父と御子との交わりであると言っているが、それは三位一体の本当の神様との交わりに私たちが加わっているということである。


⚫️これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。(第一ヨハネ1:4)

註解書の中には、この箇所はおかしいと言っているものがある。使徒が手紙を書くとき、普通は自分ではなくて相手の喜びがあふれるためなのではないか、と言うのである。しかしヨハネが自分たちの喜びのためにこの手紙を書いたのは、ヨハネたちが教えた自分の子どものような兄弟たちが、主イエス・キリストを信じてしっかりと立ち、光の中を歩んでいるからである。天の父が、ご自身を信じる者たちが増えるのを喜ばれるのと同じように、ヨハネもクリスチャンたちがしっかりと立って誘惑に負けないことを喜んでいる。


⚫️私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。(第一ヨハネ1:5~6)

光なる神様は完全であり、闇は全くない。その神様と交わりを持っているなら、光の中を歩まなければならないということを、ヨハネはこの手紙で強調している。

だからもし神と交わりがあると言いながら闇の中を歩んでいるなら、私たちは真理を行なっていない。このことがヨハネの手紙の中に出てくる問題であった。当時の教会の中で、自分たちはリーダーだと自認していながら、主イエス・キリストから離れるように教会に影響を与えていた人たちに対して、ヨハネが反対しなければならなかったからである。問題のリーダーたちは光の中を歩んでいないとヨハネは指摘している。


⚫️もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:7)

主イエス・キリストに従って光の中を歩むならば、キリストの血が私たちをきよめてくださる。光の中を歩むとは、罪を一切犯さないという意味ではない。光の中を歩むとは、イエス様を信じ、従い、告白し、礼拝して歩むということである。そうであるなら、イエス様の血が私たちをきよめてくださるのである。

毎週の聖餐式で私たちは主イエス・キリストが私たちの罪のために十字架上で死んでくださり、よみがえったことを記念して、覚えて、喜んで、感謝する。それが交わりであって、それが光の中を歩んでいるということである。御子によって私たちが洗いきよめられることを覚えて、一緒に聖餐を受ける。



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