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「長老とすべての信徒への基準」テトス1:5~9

8月15日
読了時間: 11分

説経者:ベンゼデク・スミス牧師


テトス1:5~9

私があなたをクレタに残したのは、残っている仕事の整理をし、私が命じたとおりに町ごとに長老たちを任命するためでした。

長老は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、子どもたちも信者で、放蕩を責められたり、反抗的であったりしないことが条件です。

監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。


今日も、教会を導く長老や監督たちの資格がどういうものかを見ていきます。彼らが群れの模範でなければならないということは、この基準は私たちにも適用される、私たちも満たさなければならない基準です。

まずパウロが使う用語に関してです。5節ではパウロはテトスに長老を任命するように命じていますが、7節では監督と呼んでいます。細かい説明はしませんが、長老も監督もどちらも同じ意味で、パウロは教会で教える教師として表現しています。9節にあるように、健全な教えをもって励ます人のことです。この箇所のすべては牧師に直接適用され、この箇所のほとんどは教会の治会長老に適用され、そしてこの箇所すべてが私たち全員に間接的に適用されます。


パウロはまず「長老はこうであってはならない」もののリストを五つ挙げてから、次に「長老はこうあるべき」もののリストを七つ挙げます。このリストを見てみると、ほとんどの項目は倫理的なものです。

しかし例外が二つあります。一つ目は神の家の管理者ということばです。パウロは監督のことを「神の家を管理する者(1:7)」と言います。これはギリシャ語では「家の管理者」という意味のことばで、その人には家を管理し、経営するためのスキルが必要です。

そして二つ目は、「健全な教えをもって励ましたり戒めたりすること(1:9)」です。健全な教えを与えるためには、専門知識と教えるスキルが必要です。

このようにいくつかの専門スキルは必要ですが、リストの中のそれ以外のものは、要求されていることがすべて倫理的です。


それではまず、五つの「あってはならないもの」を見ていきましょう。 

⚫️わがままでなく

何でも自分の思い通りにしようとしてはなりません。言い換えると、神に反対するほどに頑固であってはならないということです。神のみこころよりも自分の意志を大切にするような人は、他の人の下で働いたり、だれかと協力して働いたりすることもできません。

聖書の中のサウル王はその一例です。彼は神のみこころに逆らってでもダビデに王位を譲るつもりはなく、自分の子どもを王にしようと固く決めていました。ダビデが神に選ばれた王だと知りながら彼を殺そうとしました。結局サウロは神と戦って、その戦いの中で祭司たちを85人殺しました(第一サムエル22:18)。彼は自分の部族だけではなく、自分の家族とも協力できなかったのです。後継ぎであるはずの息子ヨナタンさえも殺そうとしましたし、娘ミカルも父サウルに殺されることを恐れていました。

⚫️短気でなく

サウル王は短気でもありました。いつでも槍を手にして、頭にきたらその槍を投げるような人でした。過敏で、いつでも自分を被害者だと思い込んでしまいます。周りの人は常に緊張し、疲れるほどに気を遣います。そういう人は衝突した時に自分の力を強く感じるため、衝突を好みます。自分より弱い人、例えば自分の後輩や自分の子ども、対立が苦手な人を見つけていじめたりするのです。ぶつかり合うことは疲れることなので、周りは、譲ったほうが楽だと思ってしまいがちです。その結果、教会の中で頑固な人が地位を手にしてしまい、教会の中に不義や不公平がたくさん生まれてしまいます。ヤコブが手紙で言っているとおりです。

【ヤコブ1:20】人の怒りは神の義を実現しないのです。

⚫️酒飲みでなく

大酒飲みは自制心がありません。秘密を守ることもできないし、自分の言動をコントロールすることもできません。自分の欲望を自分の神としているので信頼に値しないのです。

⚫️乱暴でなく

これは先ほどの短気な人と似ていて、争い好きな人です。身体的な暴力はないとしても、言葉の暴力を使います。人を攻撃してその人の評判を破壊しようとします。たとえば、イエスを憎んでいた祭司たちやパリサイ人たちです。彼らはイエスを常に言葉で攻撃し、面と向かって話すこともありましたが、イエスのいないところでよく陰口を言っていました。そして機会が訪れた時にイエスを殺したのです。この人たちは神の民を導く霊的なリーダーだったのです。

⚫️不正な利を求めず

教会には不正な利というものはないと思うかもしれませんし、教会にはお金はないと思うかもしれませんが、じつは教会には献金というものがあります。真面目に働いて自分の手でお金を得たくない人はよく教会に集まります。そして人が聞きたいことを言って、その代わりに影響力や富を手にしようとします。これは預言者バラムの精神です。彼はお金をもらって神の民を呪いました。 このような描写を聞いた時、「そんな人間が周りにいたらすぐに認識できるし、影響力を持たないように止めることができる」と思うかもしれません。しかし、じつはこのような人たちを見極めるためには知恵が必要ですし、影響力を止めるためには勇気も必要です。短気で争い好きで欲に満ちた人が教会の中で地位を欲した時、戦いたくないという誘惑が出てきます。そういうものを見極める知恵がなく、対立に耐える勇気もなければ、結局そのような人たちが教会を牛耳ることになってしまいます。だから私たちは教会を守るために、覚悟が必要なのです。

【テトス1:10〜11】実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。

そのような者たちの口は封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。

実際に、クレタには危険な人たちがいました。テトスはこれからこのような人を見極めて戦って鎮める責任があったのです。


次に、パウロは「良い特徴」を七つ挙げています。 「人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。」と書いてあります。この七つ目には二つの要素があります。健全な教えをもって教えるという肯定的な面と、反対する人たちを戒めるという否定的な面です。

このすべての特徴を完璧に表しているのはイエス・キリストです。イエスはその人生全体で、特に受難と十字架においてそれを示してくださいました。 


まずイエスはわがままではなく、自分の意志を神に逆らって通すお方ではありませんでした。むしろみこころに従い、十字架の死に至るまで従われました。

【マタイ26:39】それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままになさってください。」


 また、短気でも乱暴でもありませんでした。むしろ慎み深いお方でした。祭司たちがイエスを偽証し、言葉で攻撃したりからだを攻撃した時も、イエスは怒りを持たず暴力で返しませんでした。イスカリオテ・ユダに対しても穏やかだったし、ペテロが剣を抜いて戦ってイエスを守ろうとし、相手の耳を切り落とした時も、イエスはその剣を戻すように命じて相手の耳を癒されました。

【マタイ26:52~54】そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」

イエスは攻撃されて苦しい時でも、天使の軍団を呼んで復讐することができたのに、そうしないように自制し、静かに屠られる小羊のように十字架に上っていかれました。


イエスは大酒飲みだと中傷されました。

【マタイ11:19】人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。しかし、知恵が正しいことはその行いが証明します。

しかし実際にはイエスはだれよりも自制心が強いお方でした。四十日四十夜断食し、十字架の痛みの中で痛みを和らげるためのぶどう酒を出された時も、それを飲みませんでした。


また、イエスは不正な利を求めないお方でした。悪魔に四十日四十夜試され、パンや安心感、権力の誘惑を受けた時も、すべて退けられました。良いものを良くない形で手にいれる誘惑を拒みました。

別の時にイエスについてユダヤ人が偽証しようとしましたが、イエスが受け入れる祝福は神から来るもののみでした。

【マタイ4:4】イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

イエスはあまりにも正しく敬虔で非難されるところのないお方だったので、裁判にかけられて敵に囲まれ、偽証されても、ピラトもヘロデも「訴えているような罪は何も見つからなかった」、「この人は死に値することを何もしていない」と宣言しました。

【ルカ23:13~16】ピラトは、祭司長たちと議員たち、そして民衆を呼び集め、こう言った。「おまえたちはこの人を、民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私がおまえたちの前で取り調べたところ、おまえたちが訴えているような罪は何も見つからなかった。

ヘロデも同様だった。私たちにこの人を送り返して来たのだから。見なさい。この人は死に値することを何もしていない。

だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」

それほどまでに、非難されるところがないという条件を満たしていました。


そしてイエスがこれだけ苦しまれたのは、父から与えられたみことばに沿って忠実に語ったからです。忠実に教え、勇気をもって戒めました。戒めた結果、自分が十字架にかけられると知りながらもそうされました。

イエスはすべてのことにおいて私たちの模範であり、基準です。


では、私たちはこれを見てどう生きるべきでしょうか。 

まずこの条件のリストは、だれが長老、牧師になるべきかを見極めるためのものです。これをよく理解してそのために用いる必要があります。資格のない人が教会を治めることがないようにしなければなりません。


ここで偽善についてひとこと話したいと思います。長老、牧師の資格について話す時、どの牧師も苦しいと思います。というのは自分はふさわしくないと皆に教えていることになるからです。このような箇所を読んで話す時、とても自分の偽善を感じます。しかし、自分はその基準を満たしていないからといって、真実の基準を下げたり、責任を果たさないという選択肢はありません。教えを薄めたり、基準を下げたりしてはいけないのです。 偽善者として見下されることはキリストの光を隠すことよりも良いと思います。神の基準と自分の現状に差があるのが偽善ですが、偽善をなくすために基準を下げることは許されません。自分のきよさを求め、成長を求めて自分を引き上げるしかありません。

また、「自分は教会で長老や牧師になることはない」と考えている人が、教会を導く人や、その職を目指している人々を見下してよいかといえば、決してそうではありません。自分は導き手の条件を満たしていないからと言って、条件を満たしているかもしれない人を見下して、自分は牧師でも長老でもないからと言って優越感に浸ったりしてはならないのです。だからこの基準を、人を非難したり、傲慢になるきっかけにしてはいけません。長老や牧師の資格として挙げられている条件は、一部のある特定の人だけに適用されるものではなく、信徒である私たちひとりひとりにも等しく適用されるものなのです。

この基準を見た時に、私たちはへりくだり、自分の罪を悔い改めるという反応でなければなりません。 悔い改めるように促されないのなら、その人は深く傲慢な人です。そしてこの基準を見たときに、私たちの正しさは自分から来るものではないことに気づくべきです。正しくなるためにはキリストに目を留める必要があります。キリストだけがこの条件を完全に満たしており、私たちはキリストの義をまとう必要があります。私たちは弱く罪深い者ですが、イエスは私たちの牧者です。イエスはご自身の教会を、弱い者、罪深い者を通して導き、強められます。そのために神に感謝し、賛美します。私たちのような者を神のご計画のために用いてくださることを感謝します。


最後に、七つの良い特徴の中に含まれている「もてなす」ことについて少し話します。もてなすというのは、ただ自分の家に人を集めることではありません。原語のギリシャ語の「もてなし」という言葉は、「よそ者」「のけ者」「つながりのない者」に対する愛という言葉からきています。もてなしを考える時、特に外にいる人を中に入れることだと覚えてほしいです。 なぜなら、私たちは外にいたのに、神様が私たちを中に入れてくださったからです。イエスの十字架はイエスのもてなしです。エペソの2章にこう書いてあります。

【エペソ2:12〜13】そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。

つまり、私たちは十字架にかけられたイエスの血によって神と和解し、近い者とされました。今イエスは私たちをご自分の家に招き入れ、食卓に座らせてくださっています。

聖餐式によって、イエスはご自分の一番良いもの、ご自分のからだと血をもってもてなしてくださるのです。 

父と子と聖霊の御名によって。

アーメン。



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