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「空(くう)の現実と希望」伝道者の書

  • 2月8日
  • 読了時間: 8分

更新日:6月9日

説教者:ラルフ・スミス牧師


今日は伝道者の書の三回目の説教である。新しいスケジュールになったので、伝道者の書は今日と2月22日と3月22日の三回の説教で学ぶことにする。


⚫️空の空(くうのくう)

【伝道者1:2】空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

このように、伝道者の書は非常に力強く、深いところから始まる。 

伝道者の書はソロモンによって書かれた。ソロモンは三千年前のイスラエルの王でダビデの息子である。ソロモンが伝道者(英語では説教者)の書を書いたのは、イスラエルの民に知恵の言葉を語って教えるためである。

 空の空と言うが、何がむなしいのか。人生はどんなにつかみどころのないものなのか。「空(くう)」はヘブル語の原語で「かすみ」ということばであるが、人生がかすみのようで捉えることができないものとはどういう意味なのか。


ソロモンが空の空という言い方をするのは、すべてが死で終わるからである。どんなに成功しても、どんなに豊かな人生を送っても、最後には死ななければならない。悲惨な人生で、苦労して、すべて失敗して、何も良いことがなかった人生であっても、死ぬことが最後の地点である。

それがすべての人の未来である。 

ソロモンはそれを見て「空の空」という言い方をしている。

学生がいくら勉強しても、あるいは全然勉強しなくても、最後に0点ということになるなら虚しく感じると思う。

母親が子どもを産んで一生懸命育てても、その子はいつか死ななければならないと考えると「空の空」と感じるかもしれない。


⚫️ソロモンは何を考えて人々に教えようとしていたのだろうか。

【伝道者1:13】私は、天の下で行われる一切のことについて、知恵を用いて尋ね、探り出そうと心に決めた。

彼は知恵の深い、非常に特別な王様であった。この人は知恵を尽くしてあらゆることについて考え、どのような学問でも深いところまで理解して学べる人であった。そのような人のことを英語で polymath というが、ソロモンは昔の polymath だったと言えると思う。


【伝道者2:3】私は心の中で考えた。私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけよう。

ソロモンは心は知恵によって導かれているので、その心ですべてのことについて考えて、試した。 彼は、今の私たちにも三千年前のイスラエルの時代にもできないような広い範囲で知恵を求めることができた。ソロモン自身が経験し、尋ね、知恵を用いて調べたことを、イスラエルの人たちに教えようとしたのである。


【伝道者2:9】こうして私は偉大な者となった。私より前にエルサレムにいただれよりも。

 彼はエルサレムで王として働き、神から与えられた知恵に従って、その知恵を保ちながら、すべてのことについて一生懸命考えた。

エルサレムで王として働いたのはソロモンとダビデだけではない。メルキゼデク(創世記14:18)、アドニ・ツェデク(ヨシュア10:1)、アラウナ(2サムエル24:16)もエルサレムで王として働いた。メルキゼデクはソロモンの千年前の王だったのでそれ以降代々の王がいたが、神様はソロモンにそれらの王に勝る知恵を与えてくださったので、彼はその知恵を用いてすべてのことについて考えた。

ここで使われている「知恵」ということばはヘブル語で一番広い意味での「知恵」ということばである。箴言で39回使われているが、箴言よりずっと短い伝道者の書でこの言葉は28回も使われている。つまりソロモンは知恵を用いて全てのことを考えて、もっと知恵を求めていた。

本当の意味で知恵のある者は、自分の知恵で満足するのではなく、続けて知恵を求め続ける。 ソロモンはまさにそういう人であった。 彼は、私たちが到底及ばないようなやり方で知恵を求めていた。


⚫️ソロモンはどのように知恵を求めたのだろうか。

【伝道者2:1~2】私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんと空しいことか。

笑いか。私は言う。それは狂気だ。快楽か。それがいったい何だろう。

私たちは快楽ということばを見て誤解してしまうかもしれないが、それについてソロモンは自分で説明してくれている。彼はハリウッドのような麻薬や狂った生活を楽しんでいたのではなく、建設や事業など、様々な形で人生の意義を求めた。 

私は自分の事業を拡張し、自分のために邸宅を建て、いくつものぶどう畑を設け、いくつもの庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すためにいくつもの池も造った。

私は男女の奴隷を得、家で生まれた奴隷も何人もいた。私は、私より前にエルサレムにいただれよりも、多くの牛や羊を所有していた。

私はまた、自分のために銀や金、それに王たちの宝や諸州の宝も集めた。男女の歌い手を得、人の子らの快楽である、多くの側女を手に入れた。(伝道者2:4~8)

昔の尊敬される偉大な王は戦争と建設に優れていたが、ソロモンは平和の王なので戦争はしなかった。ソロモンが行ったのは決して不健全な楽しみではなく、王として尊敬されるための建設という仕事であった。 家を建て、庭や池を作り、それらを楽しみ、一つ一つについて語り教えた。 王として自ら直接仕事に参加した可能性もなくはないが、監督してすべてがうまくいくように細かく目を配っていたのだろう。

その賢明さはシェバの女王を驚かせた。ソロモンがどのように自分の王国を導いているかを見て、彼女は感動したし、彼女が持ってきた数々の難しい質問に対して、ソロモンは何を聞かれても知恵のある答えを出すことができた。 


ソロモンの宮殿は神殿よりも大きかった。宮殿が大きかったのは、神殿が外国人が訪ねて食事をする場所ではなかったからだ。第一列王記4章にソロモンの毎日の食事について記されているが、そこには毎日牛が三十頭(肥えた牛十頭と放牧の牛二十頭)、羊が百匹、その他に雄鹿、かもしか、のろ鹿、肥えた鳥といった膨大なリストが並んでいる。 これは彼一人が食べていたわけではなく、何百人もの人々と共に食事を分かち合う、王としての大きな仕事の一部だったからである。ソロモンが快楽という時、自分一人で楽しむのでなく、他の人たちとその楽しみを分かち合っていた。


⚫️ソロモンは何を悟ったのだろうか。

「なにごとも死に至る」ということである。

ソロモンは何を語ったのだろうか。

この伝道者の書を私たちに語ってくれた。

それによって私たちはソロモンが得た知恵を少しでも考えることができる。


【伝道者2:24】人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かった。

すべて死に至ると悟っても、すべては空だと言っても、それだけで終わっているわけではない。

自分が一生懸命働いて得たものを楽しんで、感謝することは、神様からの祝福なのである。


【伝道者2:26】なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。

神様は愛する者に祝福を与えてくださる。神様に逆らっている者が働いたらその祝福を神の良しとする人に与えてくださるのである。


【伝道者3:1】すべてのことには定まった時期があり、天の下のすベての営みに時がある。

神様は私たちに祝福と喜びを与える時を備えてくださっている。(伝道者3:1~8)


【伝道者3:11】神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることはができない。

神様は私たちをご自分の似姿として創造してくださったが、それによって私たちの心に永遠を望む思いと、神様ご自身を求める心を与えてくださった。 そして私たちが神様を真剣に求め、神様ご自身を楽しむことができるように、祝福を注いでくださった。


【伝道者5:18】見よ、私が良いと見たこと、好ましいことは、こうだ。神がその人たちに与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。

 日の下で骨折って働き、その成果を楽しむことは神の賜物で、人の受ける分とは私たちが与えられた相続の分なのである。


【伝道者8:11〜12】悪い行いに対する宣告がすぐに下されないので、人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。

悪者が神を恐れて神の命令を守る者のように祝福されることはない。

ソロモンは繰り返し、「私たちは死ななければならない」という前提を話すが、だからこそ創造主である善なる神様が与えてくださる食べ物や飲み物、友人たちに感謝して、喜んで生活を送るのが良いと教えている。これがソロモンが与えてくれる知恵である。

しかし、「死んだ後で神のさばきがあることも忘れるな」ということも、この書物は私たちに伝えている。 すべてについてさばきを受けなければならないことを覚えて、神を恐れて、神の御前で恵みと祝福を楽しむことが大切なのである。


私たちがこのソロモンの書物を読むとき、死が終わりではないということを心に留めよう。 毎週の礼拝で聖餐をいただくとき、主イエス・キリストが十字架上で私たちの罪のために死んでくださり、よみがえられたことを覚えよう。 この主の復活こそが、私たちにとって死よりも大きく、強く、素晴らしい祝福なのである。私たちはこれを毎週の礼拝の中心として受ける。



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