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「昇天後主日」

  • 5月17日
  • 読了時間: 11分

説教者:ベンゼデク・スミス牧師


「昇天後主日」

今日は昇天後主日です。昇天日は先週の木曜日でした。しかし最近は平日に教会に集える人が少ないので、だいたいの教会はイエスの昇天を日曜日に祝っています。私たちもそうしています。


⚫️私たちはなぜ毎年イエスの昇天を覚えて祝うのでしょうか。

昇天というのは悲劇ではないでしょうか。イエス·キリストがせっかく復活したのに、わずか四十日後に私たちを見捨てて、そして一人で天に昇ってしまったのです。どうしてイエスは忠実に信じている人たちを一気に天に引き上げてくれなかったのでしょうか。そうしたくれていたら、私たちは幸せにイエスと天国で暮らすことができたのに。

あるいは、なぜイエスはもっと長くこの地上に残ってくれなかったのでしょうか。イエスが弟子たちを訓練していた期間は三年しかありませんでした。三年では何の名人にもなれません。大学も四年間です。イエスがもっと長く地上に残ってくれれば私たちにとって良かったはずですし、教会ももっと安定するはずでした。イエスが地上に残っていれば、どれだけたくさんのことができたでしょうか。例えば、教会のために良いリーダーを選ぶことができます。あるいは、良い生き方の模範として常に私たちの目の前にいて、私たちに正しい神学を教えたり、正しい礼拝を見せたり、正しい教会政治を教えたりすることができたはずなのです。


それなのに、私たちがまだまだ準備ができていない時に、イエスは昇ってしまいました。それは早すぎました。タイミングが悪く、置き去りにされてしまったような感じがします。それは子どもが急に親を亡くすような感じ、あるいは教会が牧師を失うような感じがします。でも、赤ちゃんの状態の教会がその父であるイエスを急に失うことは、ほかの何かを失うこととは比べものにならないほど大きなことでした。


それでもイエスはご自分の弟子たちにこう言われました。

【ヨハネ16:7】わたしは真実を言います。わたしが去っていくことは、あなたがたの益になるのです。

どうしてこれが益になるのでしょうか。どうして、イエスの昇天が私たちが祝うべき良い知らせなのでしょうか。

ペンテコステの話にすぐに入りたいところですが、それはまだ一週間我慢します。


⚫️色々な意味でイエスの昇天は私たちの益なのです。

·イエスが天に上げられた時に、すべてのものを支配するものとして神の右の座に着きました。

【エペソ1:20~23】この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものを、すべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

このみことばによると、すべてが変わりました。パウロは「世界、宇宙、すべてがもう変わった」と言うのです。なぜなら、イエスは天に上り、神の右に座したからです。ここですべての支配、権威、権力、主権の上にイエスが置かれたと書いてあります。

しかし、すべてのものがイエスに与えられたとは書いてありません。それは聖書、特にエペソ人への手紙やコロサイ人への手紙をよく読むと、これらの支配や権威は天使のいろいろな霊的な権威を指すものであって、神の会議にいる色々な位の天使を指しています。つまり、この世界を力を持って支配しているすべての偉大な天使の上に、イエスが置かれているという意味なのです。

受肉したイエス、まことの神でありまことの人でもあるイエスが、すべての被造界を支配しているということなのです。

これはダニエル書7章の成就です。

【ダニエル7:13】人の子のような方が、天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

·この主権は新しいアダムに与えられている主権です。

最初のアダムは主権を持つ者として創造されました。地のすべてのものを支配するように造られましたが、太陽や月や星のようなものが昼と夜を支配していました。つまり天にあるものは人間は支配していなかったのです。地上のある部分だけを支配していました。でも、アダムは最初からもっと高く上り、主権が増えていくように造られました。ライトハート氏からの引用を読みます。「アダムは本来、エデンの園からエデンの地のより高い場所へと上るように創造された。そして人の子は、その昇天において、アダムに与えられた使命を成就される。」

もともと、エデンの園の真ん中が一番高い場所だったのではなく、川はもっと上から流れて来ていたのです。

それでイエスは、全被造界に対する権威が与えられた時、天にある支配者も含めて与えられました。だから、イエスはマタイ28章でこう言います。

【マタイ28:18】わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。

そして、すべての敵がキリストの足台となるまで、この支配が広まります。最終的に新天新地を見ますと(黙示録21~22章)、イエスはもはや太陽、月、星の代わりに世の光となっているのです。

つまり、この昇天が宇宙にどういう意味があるのかというと、人間が創造された目的を、イエスがここで成就しているということなのです。それは、神の完全な似姿となること、そしてその被造物を完全に支配することなのです。


⚫️イエスの昇天は私たちにどういう影響があるのでしょうか。

なぜイエスの昇天が私たちにとって大切なのでしょうか。

その一つは、イエスは上られたからこそイエスは私たちに近いからです。イエスが今ガリラヤやユダヤにいるのではなく、常に天にいるからこそ、私たちにより近いのです。

イエスは天と地をつなぐ十字架というはしごです。イエスがその十字架にかかって、イエスのからだで天と地をつなぐ柱となりました。

旧約聖書は、どれだけ天が地上よりも高いのかが強調されます。私たちは天に昇ることはできません。それなのに、イエスは地上から天まで昇る柱、はしごとなってくださいました。それでイエスは天にいながらも私たちと共にいて、私たちの祈りを聞き入れてくださいます。

また、同時に私たちが天に昇ることができるようになります。礼拝をする時に、私たちは昇天します。

今日朗読した使徒の働き1章にはこのようにありました。

【使徒の働き1:9】こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。

使徒たちが地上から見上げているうちに、イエスがどんどん遠くなっていき、雲に包まれて見えなくなってしまう、というイメージで、「イエスが行っちゃった」と思うかもしれません。星よりも遠く、私たちがたどり着けないところまで行ってしまったと思うかもしれません。でも、天国はどこにありますか。じつは月や火星や天王星のように遠くにある場所ではありません。天というのは別の次元です。私たちの次元をカーテンのように巻くと、そこに常に天があるのです。

イエスが洗礼を受けた時にこのように書かれています。

【マタイ3:16】 イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。

「天が開け」というのは、カーテンが巻かれるようなイメージです。それで、イエスが神の右に座していると言った時に、これはある遠いどこかという意味ではありません。イエスの王座は、空を飛んで世界のすべてを回っているケルビムなのです。神の王座からは世界のすべてが見えています。

天は地上からは見えません。でも天からは常に地上が見えています。その王座の前に神の会議があり、支配している天使たちがいるのです。


⚫️イエスはどのようにしてより私たちに近くいてくださるのでしょうか。

それは御霊を通してです。私たちがイエスの名によって祈る時、イエスはそれを聞き入れます。だから、祈る時に目を閉じて頭を下ろすかもしれませんし、手を挙げて見上げるかもしれませんが、自分の祈りが銀河系の遥か彼方の無限に遠いところまで行かなければいけないというイメージではありません。

天は常に私たちの周りにあって、この垂れ幕を破れば、そこに神の王座があるのです。イエスの十字架によってその垂れ幕が裂かれたように、天は私たちに近いものとなりました。だから祈る時にイエスは私たちのそばにいます。それはイエスが天にいるからです。

そしてさらに、私たちが聖餐式を行う時に、地上のどこにいたとしても、神の右に座しているイエス·キリストの前に出てくるのです。

【ヘブル書12:22~24】あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全なものとされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス(です)。

私たちはイエスの御前に来て礼拝を行います。それはイエスが私たちより先に天に昇ってそこにいるから、私たちはイエスの後に続いて、このはしごを昇って天に行くことができるのです。

再びライトハート氏を引用します。「昇天は教会の働き、特に礼拝にとって根本的なものである。聖書全体を通して、昇天は礼拝の前提条件となっている。」

つまり昇天が礼拝そのものなのです。礼拝のすべては上ることなのです。なぜ上るのかというと、それは究極的に礼拝というのは、キリストと一つとなった自分を神にささげることだからです。聖書で礼拝になると、目を上に上げる、手を上に挙げて祈ることが出てきたり、あるいは香の煙が上って、私たちの祈りは天にまで届きます。

礼拝の中で「主に心をささげます(英語でlift up our hearts リフト·アップ·アウア·ハーツ)」というセリフがあります。日本語ではわかりにくいのですが、もともとのことばは「自分の心を神に差し上げる」という意味です。

また聖餐式の時に、私たちが救いの杯を上げるという動作もあります。礼拝全体を見るとき、上に昇る意味があるのです。

どうして昇ることができるかというと、ヨハネの14章にあるように、それはイエスが私たちより先に行って、私たちのために場所を備えてくださったからです。復活のからだを持った最初の人間が、天に昇って他の人の居場所を用意してくださいました。だから、毎週の礼拝において私たちも天に昇ることができるのです。


⚫️昇天はどういう益を私たちに与えるのでしょうか。

イエスが天で王座についておられるから、私たちは勝利します。イエスは私たちに近いのと同じように、この世に近く、より力強く、アクティブに働いています。

【ヨハネの福音書14:12】まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。私が父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです

イエスが天に昇るからこそ、私たちはイエスより偉大なわざを行うことができます。イエスが天にいるからこそ、私たちには神のわざを行う力があります。イエスが天にいるからこそ、私たちがイエスの名によって祈った時に、イエスは一番影響力のある、力のある場所、神の右におられて、常に執り成してくださるのです。

【ローマ8:34】だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト·イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

イエスが天に昇ったから天を仰いでいるのではありません。

【使徒の働き1:10】イエスが上っていかれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に昇っていくのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

いつまでも突っ立って見ていないで働きなさい、ということです。なぜならイエスは戻って来るからです。イエスが戻って来るまでに、この地上をその再臨のために準備させなければいけない。私たちはいつまでも天のことだけを思っているのではなく、イエスも地上に降りてくるわけですから、私たちは地上のことを思い、イエスの再臨のために地上を備える働きが必要です。

ですから、イエスがふっと天に上って消えてしまったからといって、「私たちも早く天に逃げて、一緒に幸せに楽に生きていきたい」と思ってはならないのです。イエスが上にいるのは、この地上にいる私たちを救うためです。だから、私たちが生きている限りは、この地上に生きて、この人生を一生懸命生きる必要があります。

そしていつか死んだ時に、私たちは天に昇って、神の会議に加わります。旧約の時代には神の会議には天使しかいませんでしたが、今はそこに聖徒たちや人間たちも加わっています。天使にいろいろな位があって役割があるように、人間にも位があり、役割があります。そこで祈りを通して、また様々な働きを通して、この世の救いのために働きます。

ですから、イエスの昇天は、私たちが地上で忠実に生きるための理由となります。なぜなら、昇天を通して、イエスは常に私たちと共にいてくださるという約束が成就されていることを確信できるからです。そして勝利を信じて、この地上で生きている限り、御国を建てる働きに努めることができます。

だから、私たちは喜んでこう歌います。 

主こそ王です。威光をまとっておられます。主はまとっておられます。力を帯とされます。まことに世界は堅く据えられ揺るぎません。詩篇93:1

父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン



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