説教者:ラルフ・スミス牧師
ピリピ1:27~30
ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。
ピリピ人への手紙の背景を少しだけ思い出していただきたい。
パウロがこの手紙を書いたのは62年頃だと思う。ローマですでに2年間軟禁され、ローマ兵と24時間鎖に繋がれて裁判の判決を待っている状態だった。パウロはその軟禁状態の中で、この手紙よりも先に、コロサイ人への手紙、エペソ人への手紙、ピレモンへの手紙を書いている。判決はそろそろ出る。それによってパウロが生きるか死ぬかはわからないが、自分は多分生きるだろうとピリピの人たちに話している。
ピリピの教会はパウロの背景と似ている。
パウロには3つの文明の背景があった。
・パウロはタルソで育った。タルソの町はギリシアの哲学者がたくさんいることで有名な町だった。教育のレベルが高くて、パウロも高い教育を受けていた。
・パウロはユダヤ人である。パリサイ人としてみことばの専門家の教育を受けて、教会を迫害するほど熱心でクリスチャンが殺されるように働きかけていたが、復活したイエス様に出会って信仰を持ち、熱心なクリスチャンになった。
・パウロはローマの国籍を持っていた。当時のイタリアでは人口の半分がローマ国籍を持っていたが、イタリア以外でローマ国籍を持っていた人は1~2%だった。だからパウロがローマ国籍を持っているのは非常に特別なことであった。
パウロは、ローマ、ギリシア、ユダヤ人の3つの文明の影響を受けていて、その文明の戦いがあった。
パウロはピリピの教会に、「かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。(ピリピ1:30)」と言っているように、ピリピの教会も、ローマ帝国との戦い、ユダヤ教との戦い、ギリシア哲学との戦いを経験している。
●ピリピの教会の戦い
ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。(1:27~28a)
・ギリシア文明、ギリシア文化との戦い
この「生活」ということばは非常に特別で、前回「神の御国の国民として福音にふさわしく生活しなさい」と意訳したように、政治的な意味をもつことばである。ピリピの教会の人は、このことばを聞いて、自分たちがローマの国籍を持っていることを思い出すだろうし、本当の国籍が天にあることも考えると思う。自分たちは神の御国の国民である。これがピリピの教会のアイデンティティであった。
自分たちは主イエス・キリストのものである。だからピリピの教会は自分たちと周りの文化に摩擦があることは認識している。ピリピは、アレキサンダー大王の父親の名前が付けられた、マケドニアの異邦人の町で、文化はギリシア的であった。
アレキサンダー大王は軍人だったが、ギリシア文明を広めた人物として有名である。ローマ帝国の文化もギリシア文化だったので、パウロたちが生まれたときにローマ帝国ではギリシア語が共通語だった。ピリピの町もこのような異邦人のギリシア文化の影響や批判を受けていたし、多神教だからいろいろな祭りなどに参加しなければその町に逆らっているように考えられてしまった。今の日本の田舎にも似たようなことはあると思う。日本でも地域の祭りに参加しなければ嫌われてしまうかもしれない。
2世紀のクリスチャンについて書かれている手紙を読んだことがあるが、クリスチャンは祭りに参加しないし、偶像礼拝などの行事にも参加しないので、すべての人間を憎んでいると思われていたようだ。そのように解釈されて誤解されて反対されていた。
私たちが「神の子」と聞くとイエス様のことを考えるが、ローマ帝国ではジュリアス・シーザーの時から「神の子」とはカエサルを指すことばであった。だからパウロがイエス様のことを「神の子」と呼ぶとき、ピリピの教会にとって、カエサルなのかイエス様なのかという選択が目の前にあるような感じだった。ローマ帝国ではカエサルを主であり、王であり、神の子と呼んでいた。クリスチャンにとってイエス・キリストが主であり、王であり、神の子なのである。だからピリピの教会の人々も自然に政治的なことを考える。一番上にいるのはだれなのか。自分たちはだれに従うのか。カエサルなのか、イエス様なのか。これがピリピの教会の人々が毎日直面する戦いであった。
・ユダヤ人との戦い
一番不思議なのはピリピの教会にユダヤ人たちとの戦いがあったことだ。ピリピ人への手紙3章に詳しく出て来るが、ピリピの教会もパウロと同じようにユダヤ人との戦いを経験していた。なぜユダヤ人に反対されていたのだろうか。
一つはクリスチャンではないユダヤ人との戦い。そしてもう一つはクリスチャンになってもパリサイ人のように考えるユダヤ人たちとの摩擦である。この両方がピリピ人への手紙の中に出て来る。
21世紀の私たちが聖書を読んで驚くことは、一番最初の教会会議が割礼についてであることだ(使徒の働き15章)。割礼については新約聖書にたくさん出て来るし、もちろんピリピ人への手紙にも出て来る。聖書の中で割礼がそこまで大切にされたのはアブラハム契約があるからである。神様はアブラハムに契約のしるしとして割礼を与えてくださったので(創世記17章)、アブラハムの子孫はみんな八日目に割礼を受けていた。イエス様の時代まで二千年間、契約のしるしとして割礼が行われてきた。だから異邦人が本当の意味で主イエス・キリストをメシアとして信じるなら、割礼を行わなければならないという考え方がユダヤ人の中にあったのである。しかし48~49年にエルサレムで大きな会議が開かれて、異邦人がイエス様を信じてバプテスマを受けたなら割礼は行わなくてもよいという結論に至った。バプテスマが新しい契約のしるしであるので、古い契約のしるしはなくてもよいのである。
それ以来、ユダヤ人がクリスチャンに反対したり、クリスチャンになったユダヤ人と摩擦が生じたりして、色々な戦いがあったことが使徒の働きの中に書かれている。
この49年の会議が終わってから、パウロとシラスはガラテヤの教会に少しだけ立ち寄ってからすぐにピリピに向かった。50年頃に、パウロ、シラス、途中でテモテとルカが加わって四人でピリピを訪ねて福音を伝えたが、パウロたちは逮捕されて町から追い出されて、ルカだけがピリピに残った。55年頃に再びパウロがピリピを訪ねた時、ルカはまだピリピにいた。ルカはずっとそこにいたのか、仕事で行ったり来たりしていたのかわからないが、長い間ルカはピリピの教会で働いていたことになると思う。
(コロサイ人への手紙にはルカからの挨拶があるが、ピリピ人への手紙にはルカからの挨拶がないので、パウロがローマでこの手紙を書いているときには、ルカはもうパウロと一緒にはいない。パウロとルカは60年頃までずっと一緒にいたが、この手紙を書いている62年頃には一緒にいなかった。)
イエス様を信じる信仰のみで永遠のいのちが与えられるかどうか、ユダヤ人とクリスチャンの間にはずっと摩擦や戦いがあった。
パウロはピリピの教会に、これらの反対者たちの影響を受けずに、堅く立って心を一つにしてともに戦いなさいと言う。ピリピの教会の戦いはギリシア文明との戦いもあるし、後になってローマ帝国との戦いも始まった。このときはまだローマ帝国からの政治的な圧力はなかったが、実際に64年からローマの皇帝ネロが非常に激しく迫害したので、大勢のクリスチャンが殺された。イエス様はこのような迫害の時代が来ることをオリーブ山の説教で弟子たちに話していた。ピリピの教会の人々はその説教のことを知っているので、迫害が来ることは理解している。迫害の時は来る。だから迫害の中で堅く立つことと、最後まで信仰をもって戦うことの大切さをこの教会はよくわかっている。
「あなたがたは霊を一つにして堅く立ち(1:27)」という翻訳になっているが、「御霊によって堅く立ち」の方が良い。
周りのギリシアの文化との戦いも、すでに始まっているユダヤ人との戦いも、これから始まるローマ帝国との戦いも、御霊によって堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにして(1:27)ともに戦いなさいとパウロは言う。パウロも同じ戦いを戦っていた。
私たちにはユダヤ人との戦いはないが、周りの文化との戦いはある。そこには宗教的な意味も、習慣的な意味も、文化的な意味も含まれる。御霊によって堅く立たなければ、私たちも立つことはできない。私たちは、周りの文化の習慣や信仰や価値観などとは違うように立たなければならないが、周りの社会の影響は気づかないうちに入ってしまう。だから御霊の力がなければ私たちは堅く立つことはできない。そうでなければ脅かされて影響を受けて、神様からもみことばからも離れてしまう。
堅く立つために何が大切なのか。
御霊によって堅く立つとは、みことばによって堅く立つことである。みことばを真剣に求め、心に刻んで、支えられて、堅く立つ地域教会として成長を求めなければならない。
周りの社会にとって善であっても私たちにとっては悪であるものもあるし、周りの社会が求めても私たちは求めるべきではないものもたくさんある。私たちは何が善で何が悪なのかを毎週の礼拝の中で考えている。モーセの十戒は一番簡単なレベルの善悪の定義である。礼拝でモーセの十戒を唱えることを通して、私たちはこの善を求める者であることを告白している。
みことばがなければ、心を一つにして戦うことはとてもできない。私たちはみことばを求める地域教会として成長を求め、みことばを中心とする礼拝を毎週行う。
私たちは毎週の礼拝の最後に聖餐を一緒にいただいている。聖餐は礼拝の中心で一番大切なところだと言えると思う。聖餐式で罪を告白して、赦しを求める。主イエス・キリストは十字架上で私たちの罪のために死んで下さって、三日目によみがえって、天に昇って神の右の座にすわった。御父、御子、御霊なる三位一体なる神様を信じる信仰を告白し、主イエス・キリストのからだを意味するパン、血を意味する杯をいただいて、主イエス・キリストを信じる信仰をあらたにする。一緒に同じ杯をいただくことは、心を一つにする。思いを一つにする。決心を一つにする。
私たちは聖餐をいただいたあとで、自分を神様にささげて、神様への誓いをあらたにする。聖餐を一緒にいただくことによって、この世に対して、罪に対して戦っていることを祝っている。
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