「新しい世界の新しい支配者」詩篇24篇
- churchmitaka
- 5月25日
- 読了時間: 7分
説教者:ユリエソウ・ブリトー牧師(CREC 連盟会監督牧師)
詩篇24篇
地とそこに満ちているもの 世界とその中に住んでいるもの それは主のもの。
主が 海に地の基を据え 川の上に それを堅く立てられたからだ。
だれが 主の山に登り得るのか。だれが 聖なる御前に立てるのか。
手がきよく 心の澄んだ人 そのたましいをむなしいものに向けず 偽りの誓いをしない人。
その人は 主から祝福を受け自分の救いの神から義を受ける。
これこそヤコブの一族。神を求める者たち あなたの御顔を慕い求める人々である。
門よ おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは だれか。強く 力ある主。戦いに力ある主。
門よ おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる。
栄光の王 それはだれか。万軍の主 この方こそ栄光の王。
おはようございます。今日ここで皆さんとともに神を礼拝することができるのは大きな祝福です。 フロリダのペンサコラにあるプロビデンス教会から参りました、ユーリ・ブリトーと申します。六週間ほど前から三鷹福音教会の礼拝をYoutubeで見ていました。言葉の意味はわかりませんでしたが、皆さんの熱心さは伝わりました。Youtubeでは皆さんの顔を見ることはできなかったので、今日は皆さんの顔を見ながら熱心さを感じることができてうれしいです。
前回のベン・ゼデク牧師の説教は詩篇23篇でした。私たちが詩篇を学ぶ時によく犯す間違いは、詩篇をまるで単独なものとして扱ってしまうことです。しかし実際は、前にあった詩篇を元にして発展しています。そしてその全ては150篇のハレルヤに向かっているのです。
24篇を一緒に見る前に、その前に何が来るかを一緒に見てみましょう。
・詩篇21篇では良い王が来ることを期待しています。
・詩篇22篇でこの強い王は苦しむ王となります。
・詩篇23篇ではこの強い王は私たちを死の陰の谷を通って導いてくださいます。
このグループは詩篇24篇で完成されます。
⚫️まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。(詩篇23:6)
23篇はこのように終わります。
この約束にはある問題があります。神様がアダムをご自分の家から追い出して、門を閉ざしているのに、どうやっていつまでも主の家に住むことができるのでしょうか。門は閉ざされているのにそこに住めるのでしょうか。神様は門にエデンの園を守るケルビムを置いたのです。最初のアダムは神をほめたたえなかったので破門されました。主の家は汚れた心を持っている人の住まいではありません。神の家は閉ざされたので、人はもはや神の山に登ることができません。この家が閉ざされているのなら、私たちはどうすればいつまでも神の家に住むことができるのでしょうか。
エデンの園の門が閉ざされただけではなく、神殿の祭司たちも神に忠実ではありませんでした。 最初のアダムは追い出されたが、祭司となった者たちも追い出されました。山の上にある神の聖なる場所を汚したからです。はしごが壊れたのでもはや登ることはできません。彼らの行いが汚れた布のようなので、聖なる場所に住むことができないのです。彼らは自分の栄光を求めていて、人々を惑わしています。
古いアダムもアダムの子孫も汚れているなら、どうやって主の家に入ることができるのでしょうか。腐敗した祭司たちのせいで、神様が門を閉ざしているのならば、私たちはどうやって神の家に住むことができるのでしょうか。
だれかがその門を開いて中に入らなければ私たちが中に入ることはできません。そのだれかとは、この家を支配するのに相応しい人でなければならないし、新しいアダムでなければなりません。この偉大なる主、王について、24篇に答えがあります。
⚫️地とそこに満ちているもの 世界とその中に住んでいるもの それは主のもの。 主が 海に地の基を据え 川の上に それを堅く立てられたからだ。(詩篇24:1~2)
アダムは知恵と力によって被造界を支配すべきでした。
しかし今は新しいアダムがこの被造界を支配しています。24篇にはこの被造界の中で何が起きているか、そのまとめが書かれています。この新しい世界の新しい支配者は、堅く、そして安全を与えるように支配します。地形に関わらず、この支配者は水で遊びます。なぜならこの世界全てが神の遊び場だからです。私たちがこの新しいアダムと共に住むなら、この世界は私たちのものです。神がこの世界と遊ぶのは、私たちも同じようにこの世界と遊ぶことができるためです。だれかがこの世界に馴染みがなければ、門を開くことはできません。
⚫️だれが 主の山に登り得るのか。だれが 聖なる御前に立てるのか。(詩篇24:3)
最初のアダムの呪いを解くのはだれでしょうか。誘惑されても罪を犯さないのはだれでしょうか。それは義なる王です。この義なる王がいつまでも神の家に住むことができるのは、その家の戒めを全て守るからです。
⚫️手がきよく 心の澄んだ人 そのたましいをむなしいものに向けず 偽りの誓いをしない人。(詩篇23:4)
きよい、罪のない手でなければなりません。彼の行いに欠点があってはなりません。汚れたいけにえで手を汚してはなりません。手は病んでいる人を触って、盲目の人の目を癒す手でなければならなりません。らい病人を触って癒しても、自分に汚ればうつらず、世界を癒すものでなければなりません。権力も名誉もむさぼることがないためです。自分が導いている者にさらに重い重荷を乗せません。他の支配者たちは恐怖を感じさせて支配します。しかしこの支配者は自分の支配者を愛しています。彼のきよさは完全だからです。そしてこの王は自分のたましいをむなしいものにささげず、むなしい約束をしません。アダムのように偽りに自分のたましいをささげません。サタンが誘惑しても自分のたましいをむなしいものにささげません。彼が正しいので、正しい者に自分のたましいをささげます。この支配者は偽りの名を持ってこの山に登ることはできません。ウザのように許可なしに契約の箱に手を出すものではありません。ずる賢い手段で家を支配するものであってはならないのです。ホフニとピネハスのように腐敗した行いをするために神の家を利用する者であってはなりません。ナダブとアビフのように神が命じたものではない異なった火を神の家でささげる者であってはいけません。彼は汚れのない、燃え尽くす火です。正しくて、きよくて、善なる王なのです。彼こそヤコブのはしごを上る、まことの支配者で、ヤコブの夢に出てくるはしごそのものだからです。彼こそ契約の箱という救いの箱です。完全に正しい者です。
23篇では「いつまでも主の家に住まう」と書いてありましたが、この家は長い間閉ざされていました。だから欠点がなくて力強く、正しく自分の家を支配する王が必要です。24篇はこの王がだれであるかをドラマチックに伝えてくれます。それで私たちはなぜ23篇が与えられているかがわかります。なぞが解けました。オーケストラも曲の終わりに近づきました。23篇の問いが23篇で答えられています。23篇は家に入って支配する者を待ち望んでいます。
⚫️門よ おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる。栄光の王とは だれか。強く 力ある主。戦いに力ある主。(詩篇24:7~8)
神の家の門が閉ざされたのは正しくて強い支配者が与えられていなかっからです。彼らの手は汚されていて、行いが汚かったのです。その家の門は神のしもべの血で汚されていました。死の御使いがその門を閉じようとしていました。しかし王が現れて、その御使いに「控えよ」と言います。その家のまことの主人が戻ってきて、秩序と平和をもたらすからです。
エデンは閉ざされましたが、世界全体が新しいエデンとなっています。そして私たちは永遠に神の家に入って住むことができます。この詩篇は私たちの主イエス・キリストによって成就されます。ダビデのまことの主人で万軍の主です。彼はこの家に入って永遠に門を開いた状態にします。そして十字架の道に向かって自分の頭を上げました。死から復活した栄光の王です。主がきよい行進をして入ってくるときに、天使たちはみんな脇に控えます。そして栄光の王はご自分について来る人たちのために、その門を永遠に開きます。それで私たちはいつまでも主の家に住むことができるのです。パラダイスの門は二度と閉ざされることはありません。23篇の約束は主イエス・キリストにあって成就されました。栄光の王がただ一度だけその門を通って入りました。私たちもその家に住まいます。アーメン
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