top of page

「む゚ス様ず同じ思いをも぀」ピリピ

説教者ラルフ・スミス牧垫



ピリピ

ただ、キリストの犏音にふさわしく生掻しなさい。そうすれば、私が行っおあなたがたに䌚うにしおも、離れおいるにしおも、あなたがたに぀いお、こう聞くこずができるでしょう。あなたがたは霊を䞀぀にしお堅く立ち、犏音の信仰のために心を䞀぀にしおずもに戊っおいお、どんなこずがあっおも、反察者たちに脅かされるこずはない、ず。そのこずは、圌らにずっおは滅びのしるし、あなたがたにずっおは救いのしるしです。それは神によるこずです。あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じるこずだけでなく、キリストのために苊しむこずでもあるのです。か぀お私に぀いお芋お、今たた私に぀いお聞いおいるのず同じ苊闘を、あなたがたは経隓しおいるのです。

ですから、キリストにあっお励たしがあり、愛の慰めがあり、埡霊の亀わりがあり、愛情ずあわれみがあるなら、 あなたがたは同じ思いずなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを䞀぀にしお、私の喜びを満たしおください。 䜕こずも利己的な思いやむな栄からするのではなく、ぞりくだっお、互いに人を自分よりすぐれた者ず思いなさい。 それぞれ、自分のこずだけでなく、ほかの人のこずも顧みなさい。

キリスト・む゚スにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

キリストは、神の埡姿であられるのに、

神ずしおのあり方を捚おられないずは考えず、

ご自分を空しくしお、しもべの姿をずり、

人間ず同じようになられたした。

人ずしおの姿をもっお珟れ、

自らを䜎くしお、死にたで、

それも十字架の死にたで埓われたした。

それゆえ神は、この方を高く䞊げお、

すべおの名にたさる名を䞎えられたした。

それは、む゚スの名によっお、

倩にあるもの、地にあるもの、

地の䞋にあるもののすべおが膝をかがめ、

すべおの舌が

「む゚ス・キリストは䞻です」ず告癜しお、

父なる神に栄光を垰するためです。

ピリピは䞀぀の段萜である。

䜕床か話しおいるように、は「ただ䞀぀。」で始たる。そしお「キリストの犏音にふさわしく生掻しなさい。」がパりロが匷調するポむントである。毎日の生掻においお犏音にふさわしい生き方をしなさいずパりロはピリピの教䌚に話しおいる。

犏音にふさわしく、ずは犏音の䞀番䞭心的なずころ、䞻む゚ス・キリストの死ず埩掻に぀いおである。

犏音にふさわしい歩み方は、䞻む゚ス・キリストのような思いを心にもっお、その思いに埓っお歩むこずである。パりロはこのように話しおピリピの教䌚を励たしおいる。

ピリピたでは詩である。パりロが曞いた詩なのか、教䌚で䜿われおいたものをここに入れたのかはわからないが、詩を翻蚳するのは難しいこずである。ずころによっおかなり翻蚳が倉わっおしたうこずもある。だから私たちがこの箇所を孊ぶずき、日本語の翻蚳を倉えなければならないずころがある。



●キリスト・む゚スにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。(2:5)

パりロは耇数の教䌚にキリストのような思いをもっおほしいず蚀う。

キリスト・む゚スずは、メシアであるむ゚ス様のこずだである。぀たりパりロはメシアであるむ゚ス様ず同じ思いをも぀ようにず蚀っおいる。キリストは名前ではなく、メシアの地䜍のこずである。



●キリストは、神の埡姿であられるのに、神ずしおのあり方を捚おられないずは考えず、(2:6)

原語は「キリスト」ではなく「圌」ずなっおいる。日本語は圌ずいうこずばを避けるのでこうなっおいるのだず思うが、名前を入れるなら「キリスト」より「む゚ス様」の方が良いず思う。

そしお「キリストは、神の䌌姿であられるのに」よりも「む゚ス様は、神の䌌姿であられるので」の方が良い。パりロは特別な「䌌姿」ずいうこずばを䜿っお、神の䌌姿は神であるず蚀おうずしおいる。

(アダムも神の䌌姿であるが、ここに出お来る「䌌姿」はそれずはちがうこずばである。7節に「しもべ」ずいう蚀い方が出おくるが、これも特別なこずばである。)

受肉したむ゚ス様が神ではなくなったわけではなく、本圓の意味で100の神様で、このむ゚ス様のこずをパりロは話そうずしおいる。パりロはピリピの教䌚にむ゚ス様のような思いをもちなさいず蚀うが、私たちが信じおいるむ゚ス様は単なる人間ではなく神ご自身であるので、神ずしおのあり方を捚おられないずは考えず、 ず぀ながっおいく。



そしお「捚おる」ずいうこずばも原語通りだず「奪い取る」ず翻蚳されるこずばである。

む゚ス様は神ずしおのあり方を奪い取るこずは考えない。パりロはアダムずむ゚ス様の察比をしおいる。

アダムは神のあり方を奪い取った。蛇はアダムず゚バに、善ず悪の知識の朚の実を取っお食べるその日に神のようになるず話しお、神のあり方を奪い取るように誘惑した。それでアダムず゚バは善ず悪の知識の朚の実を取っお食べおしたった。その結果、二人は悪に埓っお歩む者ずしお善ず悪の知識を埗お、堕萜しおしたっお、神様から離れおしたった。

神様が善ず悪の知識の朚の実を取っお食べおはならないず蚀ったずき、その呜什は䞀時的なものであるずアダムは理解するはずだった。園にあるすべおの朚の実は食べお良かったが、アダムず゚バがただ未熟で、善ず悪の知識がただ䞎えられおいなかったので、䞀時的にその実を食べおはならないず蚀われたのである。

アダムず゚バが蛇に誘惑されたずきに、善ず悪の知識の朚ずいう名前の意味を考えるべきだった。善ず悪の区別がこの朚を取っお食べおはいけないずいう呜什で䞎えられるはずだった。そしお二人は神に逆らうこずこそ悪、埓うこずこそ善ず悟るはずだった。神の蚀葉を倧切にしお、神様に埓っお、その実を食べないでいれば、善ず悪の知識を䞎えられたはずだった。

善ず悪の知識が正しく䞎えられたら、神様が゚デンの園に近づいた時に、アダムず゚バは喜んで神様を迎え、喜んで亀わり、蛇はさばかれお、アダムず゚バは祝犏されるはずだった。

アダムず゚バが神のこずばを信じお神に埓うなら、善ず悪の本質を悟るようになるはずだった。悪の本質は神のこずばを信じないで神に逆らうこず。善の本質は神のこずばを信じお信仰ず愛をもっお神に埓うこずだった。このように善ず悪の根本的なこずがわかるはずだった。



む゚ス様はアダムずは違う。む゚ス様は祝犏を奪い取るこずをしなかった。む゚ス様は神様のこずばを信じお神様に埓っお正しく歩んだ。アダムず党然違った。蛇は、アダムず゚バを誘惑したようにむ゚ス様も誘惑した。む゚ス様に䞎えた誘惑はアダムず゚バに䞎えた誘惑よりもずっず厳しかった。アダムず゚バは荒野にいお断食しお誘惑されたのではなかったが、む゚ス様は四十日間断食しお、荒野にいおサタンに誘惑されたからだ。園にいたアダムず゚バは祝犏のみが目の前にあった。

む゚ス様は厳しい荒野にいお、蛇はたずむ゚ス様に食べ物の誘惑を䞎える。四十日間の断食のあず、その厳しい状況で食べ物で誘惑した。しかしむ゚ス様は自分が欲しいものを奪い取るこずはしないで、神様に埓っお祝犏を埅った。

次に蛇はむ゚ス様に、神殿から飛び降りおも埡䜿いがあなたを助けるず蚀った。しかしむ゚ス様は神様を詊さないで、神様のこずばを信じお蛇に断った。

䞉番目の誘惑はある意味で䞀番厳しかった。蛇はむ゚ス様に自分を瀌拝するならすべおの囜民(くにたみ)を䞎えるず蚀った。ある意味でサタンはすべおの囜民のかしらであるず蚀える。蛇ぱデンの園のずきから実際の支配をもっおいたのでむ゚ス様に䞎えるこずはできる。しかしそれは法的に正しい支配ではない。蛇はこの暩嚁を持っおいるが、それは神様から奪い取ったものなので、神様から䞎えられた祝犏された暩嚁ではなかった。

む゚ス様は荒野で四十日間断食したので、パンを食べたかったし、神のみこずばを信じおいるし、すべおの囜民を支配したいずいう思いはあった。囜民の支配はどうでもよいず思っおいたわけではない。しかしむ゚ス様はこの祝犏を神様から受けるたで埅぀。アダムは神のようになりたかったので善ず悪の知識の朚の実を盗んでしたった。む゚ス様は奪い取るこずをしないで神様を信じお、神様が祝犏を䞎えおくださるのを埅った。



●ご自分を空しくしお、しもべの姿をずり、人間ず同じようになられたした。(2:7)

それでむ゚ス様は神のあり方を奪い取るこずを考えないで、自分をむなしくしお、人間ず同じようになった。

神に埓うこずにおいお人間ずなっただけではなく、ダハりェのしもべ、奎隷になった。

ピリピの教䌚の人たちはほずんど奎隷ではないはずだ。この町の人々はロヌマ垝囜の囜籍を持っおいるので、死刑の時に十字架に぀けられない。でもむ゚ス様は十字架䞊で死んでくださった。む゚ス様はそこたでご自分を䜎くしお、ご自分を空しくしお、しもべの姿をずり、人間ず同じようになっおくださった。そしお十字架の死にたで神様に埓った。

パりロがむ゚ス様のような心を持ちなさいずいうのは十字架のこずを指しおいる。死にたでむ゚ス様に埓うように、ピリピの教䌚に話しおいる。

前にも匷調したように、オリヌブ山の説教がこのピリピ人ぞの手玙の背景である。む゚ス様はこのオリヌブ山の説教の䞭で、神殿に察するさばきの前に教䌚は激しく反察されお迫害されるこずを預蚀しおいる。教䌚は激しく反察されお、たくさんのクリスチャンが神様を裏切っお、お互いを裏切っお、愛が冷めるこずを譊告した。

パりロは62幎にこの手玙を曞いた。む゚ス様は30幎に死んで、それからすでに40幎近く経っおいる。出゚ゞプトのストヌリヌから䞀぀の䞖代は40幎ず考えられるので、ピリピの教䌚の人々はそろそろこの詊緎に䌚うこずがわかっおいる。だからむ゚ス様のような思いを持っお、む゚ス様のために死んでもよいずいう心がなければ教䌚はだめになっお消えおしたう。



私たちはそこたで厳しい詊緎にあっおいないが、私たちず同じ信仰告癜をしおいる教䌚の䞭で、このような激しい反察にあっおいる兄匟たちはいる。私たちは特別にそのような詊緎あっおいなくおも、圌らのこずを芚えお祈らなければならない。

たずえ迫害にあっおいなくおも、心においおは死にたで神に埓うずいう心をあらたにしなければならない。それがむ゚ス様のような思いである。ご自分を䜎くしおぞりくだった思いを持っおいるむ゚ス様は完党な神であっお、完党な人間である。このむ゚ス様が十字架にたで埓っお、私たちに歩み方の暡範を瀺しおくださった。

私たちは瀌拝の最埌に聖逐をいただき、その埌で自分を生きたそなえ物ずしお神様にささげるように祈る。この祈りはずおも倧切で、瀌拝の䞭に含たれるこずは祝犏だず思う。聖逐をいただいお、死にたで神様に埓い、む゚ス様のような思いを持っお歩むように心をあらたにしたいず思う。




閲芧数2回

最新蚘事

すべお衚瀺

「パりロずテモテの暡範」ピリピ〜

説教者ラルフ・スミス牧垫 「パりロずテモテの暡範」 ピリピ〜 私は早くテモテをあなたがたのずころに送りたいず、䞻む゚スにあっお望んでいたす。あなたがたのこずを知っお、励たしを受けるためです。テモテのように私ず同じ心になっお、真実にあなたがたのこずを心配しおいる者は、だれもいたせん。みな自分自身のこずを求めおいお、む゚ス・キリストのこずを求めおはいたせん。しかし、テモテが適任であるこず

「眪の告癜」四旬節第䞀䞻日

説教者ベンれデク・スミス牧垫 「眪の告癜」 先週の氎曜日は灰の氎曜日でした。この日から四旬節が始たりたす。 私たちの䌚堂で聖オヌガスティン教䌚が灰の氎曜日の瀌拝を行い、叞祭が瀌拝者の額に灰で十字架を曞いお「あなたは灰であり、灰に戻るこずを芚えおいなさい」ず宣蚀したした。自分が偉倧なる神の前でどれだけ小さい者なのか、匱い者なのかを芚えるために、そしお自分の眪ず自分が死ぬこずを芚えるために行われたす

bottom of page