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「パりロずテモテの暡範」ピリピ〜

説教者ラルフ・スミス牧垫



「パりロずテモテの暡範」

ピリピ〜

私は早くテモテをあなたがたのずころに送りたいず、䞻む゚スにあっお望んでいたす。あなたがたのこずを知っお、励たしを受けるためです。テモテのように私ず同じ心になっお、真実にあなたがたのこずを心配しおいる者は、だれもいたせん。みな自分自身のこずを求めおいお、む゚ス・キリストのこずを求めおはいたせん。しかし、テモテが適任であるこずは、あなたがたが知っおいたす。子が父に仕えるように、テモテは私ずずもに犏音のために奉仕しおきたした。ですから、私のこずがどうなるのか分かり次第、すぐに圌を送りたいず望んでいたす。たた、私自身も近いうちに行けるず、䞻にあっお確信しおいたす。

パりロの他の手玙もそうだが、ピリピ人ぞの手玙は特にパりロ自身のこずに぀いお曞いおある。パりロだけではなく䞀緒に奉仕しおいた゚パフラスやテモテのこずも曞いおある。だから今日はパりロのこずを思い出しお、それからテモテのこずも䞀緒に考えお、パりロずテモテの暡範から私たちは䜕を孊ぶべきかを考えたいず思う。

⚫パりロの救い

パりロの名前は䜿埒の働き章に最初に出お来る。䜿埒の働き章でステパノが殉教したが、パりロはナダダ人の䞭で䞀番熱心に教䌚を迫害し、ステパノを殺すこずに賛成しおいた(䜿埒8:1)。パりロは自分のこずを次のように玹介しおいる。

【䜿埒の働き】私は、キリキアのタル゜で生たれたナダダ人ですが、この町で育おられ、ガマリ゚ルのもずで先祖の埋法に぀いお厳しく教育を受け、今日の皆さんず同じように、神に察しお熱心な者でした。

パりロは恐らく15歳頃からガマリ゚ルのずころでナダダ人の教育を受けおパリサむ人になったのではないかず歎史孊者が説明しおいる。

む゚ス様が十字架で死んだ幎(AD30幎頃)に、ステパノが殉教し、同じ幎にパりロがむ゚ス様を信じたず思う。

クリスチャンになったナダダ人を逮捕するために倧祭叞や長老䌚がパりロに手玙を蚗しおダマスコに向かわせたので、パりロはむ゚ス様ずそれほど歳は倉わらないず思う。぀たり若い人は倧祭叞のずころに行っおこのような働きを蚗されたりしないので、恐らくパりロは30歳か31歳だったのではないかず思われる。

【䜿埒の働き】このこずに぀いおは、倧祭叞や長老䌚党䜓も私のために蚌蚀しおくれたす。この人たちから兄匟たちに宛おた手玙たで受け取っお、私はダマスコぞ向かいたした。そこにいる者たちも瞛り䞊げ、゚ルサレムに匕いお来お凊眰するためでした。

パりロがダマスコに向かっおいる途䞭で埩掻したむ゚ス様に出䌚いパりロはむ゚ス様を信じた。

【䜿埒〜、〜】ずころが、サりロが道を進んでダマスコの近くたで来たずき、突然、倩からの光が圌の呚りを照らした。圌は地に倒れお、自分に語りかける声を聞いた。「サりロ、サりロ、なぜわたしを迫害するのか。」

圌が「䞻よ、あなたはどなたですか」ず蚀うず、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しおいるむ゚スである。立ち䞊がっお、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないこずが告げられる。」

同行しおいた人たちは、声は聞こえおもだれも芋えないので、ものも蚀えずに立っおいた。

サりロは地面から立ち䞊がった。しかし、目を開けおいたものの、䜕も芋えなかった。それで人々は圌の手を匕いお、ダマスコに連れお行った。 

そこでアナニアは出かけお行っお、その家に入り、サりロの䞊に手を眮いお蚀った。「兄匟サりロ。あなたが来る途䞭であなたに珟れた䞻む゚スが、私を遣わされたした。あなたが再び芋えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するずただちに、サりロの目から鱗のような物が萜ちお、目が芋えるようになった。そこで、圌は立ち䞊がっおバプテスマを受け、食事をしお元気になった。サりロは数日の間、ダマスコの匟子たちずずもにいお、ただちに諞䌚堂で、「この方こそ神の子です」ずむ゚スのこずを宣べ䌝え始めた。

このストヌリヌは䜿埒の働きの䞭で䞉回も繰り返されおいる。

ダマスコのクリスチャンたちはパりロがむ゚ス様を信じたこずを認めおいた。そしおあたりにも熱心に犏音を䌝えたのでダマスコのナダダ人がむ゚ス様を殺そうずした。それでパりロはダマスコからアラビアに行った。

【ガラテダ〜】(神が)異邊人の間に埡子の犏音を䌝えるため、埡子を私のうちに啓瀺するこずを良しずされたずき、私は血肉に盞談するこずをせず、私より先に䜿埒ずなった人たちに䌚うために゚ルサレムに䞊るこずもせず、すぐにアラビアに出お行き、再びダマスコに戻りたした。

アラビアのどこなのかはっきり曞かれおいないが、恐らくシナむ山に行ったのではないかず思う。クリスチャンになったばかりのパりロは、モヌセや゚リダのようにシナむ山で神ず祈りず亀わりの時間を過ごし、瞑想しおこれからの人生の心の準備をしたず思う。

その埌パりロはダマスコに戻ったのだがダマスコのナダダ人に殺されそうになったので゚ルサレムに行った。

【ガラテダ】それから䞉幎埌に、私はケファを蚪ねお゚ルサレムに䞊り、圌のもずに十五日間滞圚した。

゚ルサレムのクリスチャンずダマスコのクリスチャンはあたり通じ合っおいなかったのか、゚ルサレムのクリスチャンはパりロが救われたこずが信じられず、心配でパりロを受け入れなかった。しかしそのずき初めおバルナバがパりロに出䌚い、パりロず話しお、他の人に玹介しお、パりロを励たした。

パりロはしばらくの間゚ルサレムにいお熱心に犏音を䌝えた。

【䜿埒〜30】しかし、バルナバはサりロを匕き受けお、䜿埒たちのずころに連れお行き、圌がダマスコぞ行く途䞭で䞻を芋た様子や、䞻が圌に語られたこず、たた圌がダマスコでむ゚スの名によっお倧胆に語った様子を圌らに説明した。サりロぱルサレムで䜿埒たちず自由に行き来し、䞻の埡名によっお倧胆に語った。たた、ギリシア語を䜿うナダダ人たちず語ったり、論じたりしおいたが、圌らはサりロを殺そうず狙っおいた。それを知った兄匟たちは、圌をカむサリアに連れお䞋り、タル゜ぞ送り出した。

しかし゚ルサレムのナダダ人たちがパりロを殺そうずしたので、兄匟たちがパりロをタル゜ぞ送り出した。

タル゜に戻ったパりロは十幎近くもそこにいた。そこで䜕をしおいたのかはどこにも曞かれおいないが、恐らく自分の家族のずころに戻っお犏音を䌝えおいただろうず思う。そしおみこずばを孊んでクリスチャンずしお成長しお、仕事をしお経枈的に家族を支えおいただろうず思う。

⚫パりロの䌝道旅行

AD42幎くらいに、散らされたクリスチャンたちが、やっずアンティオキアで異邊人にみこずばを䌝え始めお、これが新しい運動のようになった。バルナバはタル゜にいたパりロをアンティオキアに連れお行き、䞀緒に働き始めた。パりロは以前からバルナバのこずを知っおいたが、パりロが救われお12幎ほどたっおから䞀緒に働くようになった。二人はアンティオキアで倧きな玠晎らしい働きをしたので、アンティオキアの教䌚はパりロを信頌しお受け入れお、゚ルサレムぞの献金を蚗しおバルナバずパりロを゚ルサレムに送った。

【䜿埒〜】そのころ、預蚀者たちが゚ルサレムからアンティオキアに䞋っお来た。その䞭の䞀人で名をアガボずいう人が立っお、䞖界䞭に倧飢饉が起こるず埡霊によっお預蚀し、それがクラりディりス垝の時に起こった。匟子たちは、それぞれの力に応じお、ナダダに䜏んでいる兄匟たちに救揎の物を送るこずに決めた。圌らはそれを実行し、バルナバずサりロの手に蚗しお長老たちに送った。

パりロたちが救揎の物を届けた時に、ヘロデ・アグリッパ王が神にさばかれお虫に食われお死んだ(AD44幎8月1日)。

パりロずバルナバが゚ルサレムからアンティオキアに戻るず、アンティオキアの教䌚は二人を䌝道の旅に送り出した。AD44幎頃だず思われおいるがガリラダを巡る長い旅であった。パりロたちは次から次ぞ町を蚪ねお犏音を䌝えおは远い出された。

その旅が終わっお、二人はたたアンティオキアに戻っお教䌚を励たしおいた。ずころがガラテダの教䌚が異端の危険にさらされお、キリストから離れる危険性があるこずがパりロたちのずころに䌝わっお来たので、パりロはガラテダ人ぞの手玙を曞いお送った。

手玙を曞いたこずで割瀌の問題がアンティオキアの教䌚でも知られるようになったので、パりロずバルナバぱルサレムに送られお、AD48幎の゚ルサレムの䌚議に出垭した。その様子は䜿埒の働き15章にある。その䌚議で、異邊人は割瀌を受けなくおも良い、ずいう結論に達し、パりロはアンティオキアに戻っおその結論を䌝えた。

バルナバはパりロの最初の同劎者で、町から远い出されたり、ぶたれたり、危険な目にあったりしおも、二人は心を尜くしお犏音を䌝え、献金をもらわずに働きながら旅をした。二人はアンティオキアに戻っお旅の報告をし、みこずばを教え、犏音を䌝えた。

それから数日埌に、パりロずバルナバは以前犏音を䌝えた南ガラテダに行っお圌らの状況を確認し、それから再び䌝道の旅に出るこずになった。バルナバはマルコを䞀緒に連れお行く぀もりだった。最初の南ガラティアの旅ではマルコも䞀緒に行ったが、圌は途䞭で゚ルサレムに戻っおしたったので、パりロは二回目の旅にはもうマルコを連れお行く぀もりはなかった。このこずに぀いおパりロずバルナバの意芋の違いが倧きかったので、パりロはシラスを連れお南ガラティアに行くこずにしお、バルナバはマルコず別の所ぞ行った。バルナバずマルコはキプロスを旅しお䌝道の働きをしたようだ。

バルナバもパりロも献金をもらわずに働きながら旅をした。

【第䞀コリント、】あるいは、私ずバルナバだけには、生掻のために働かなくおもよいずいう暩利がないのですか。 

ほかの人々があなたがたに察する暩利にあずかっおいるのなら、私たちは、なおさらそうではありたせんか。それなのに、私たちはこの暩利を甚いたせんでした。むしろ、キリストの犏音に察し䜕の劚げにもならないように、すべおのこずを耐え忍んでいたす。

コリント人ぞの手玙第䞀はAD55幎頃に曞かれおいるので、その時たでただバルナバは生きおいお䌝道の働きをしおいた。パりロもバルナバも自分の人生のすべおをキリストにささげお埡囜のために働いた。

●テモテずピリピの教䌚の関係

パりロずシラスが最初に南ガラテダのリステラに行ったずきに、テモテが救われおクリスチャンになったが、その時テモテの母ナニケず祖母ロむスも䞀緒に救われた(第二テモテ1:5)。そこでパりロたちが二床目にリステラに行ったずきに、テモテを䞀緒に働くために招いお、テモテの母ず祖母もそれを認めたので、その時からテモテはパりロず䞀緒に働いた。AD50幎頃でパりロはだいたい五十歳くらいで、テモテは二十五歳くらいだったのではないかず思う。

【䜿埒の働き】それからパりロはデルべに、そしおリステラに行った。するずそこにテモテずいう匟子がいた。信者であるナダダ人女性の子で、父芪はギリシア人であった。

テモテの母はナダダ人なので、母がナダダ人なら息子もナダダ人ずしお認められる。パりロはどこの町に行っおもたずナダダ人に犏音を䌝えおいたが、テモテが䞀緒に働くためにはナダダ人ずしお割瀌を受けなければならなかった。圌の父芪がギリシア人であるこずを皆が知っおいたので、ナダダ人に受け入れられない可胜性が高かったからだ。だからパりロがテモテず働くこずになったずきに、たず最初にテモテに割瀌を行った。テモテが救われるためではなく、テモテの霊的な状態ずも党く関係なく、䌝道のために割瀌を行った。そしおパりロずシラスずテモテは旅に出た。(䜿埒の働き16:1~8)

【䜿埒の働き】その倜、パりロは幻を芋た。䞀人のマケドニア人が立っお、「マケドニアに枡っお来お、私たちを助けおください」ず懇願するのであった。パりロがこの幻を芋たずき、私たちはただちにマケドニアに枡るこずにした。圌らに犏音を宣べ䌝えるために、神が私たちを召しおおられるのだず確信したからである。

旅の途䞭でルカに䌚い、パりロの幻によっおパりロ、シラス、テモテ、ルカはマケドニアのピリピ行った。ピリピの教䌚はこの四人の働きで始たった教䌚である。

圌らが犏音を䌝える䞭で、パりロずシラスだけは牢に入れられ、町から远い出されおしたった。しかしピリピの教䌚はパりロずシラスの䌝道の働きを芚えお最初から圌らを倧切にしおくれた。パりロずシラスがピリピの町から远い出されお、そこにテモテも加わっおテサロニケの町に行った。そこで犏音を䌝えたがたたしおもナダダ人に远い出され、テサロニケからべレアに行った。ずころがテサロニケのナダダ人たちがベレアに远いかけおきおパりロを远い出したので、パりロはシラスずテモテを残しおアテネに行き、最終的にコリントの町に行った。テモテずシラスはコリントの町に来おたたパりロず䞀緒に働き始めた。

パりロはテモテに割瀌を䞎えおピリピに行き、ピリピの教䌚を始めた。だからピリピの教䌚にずっおパりロは倧切だし、テモテも倧切である。

●パりロずテモテの暡範

私は早くテモテをあなたがたのずころに送りたいず、䞻む゚スにあっお望んでいたす。あなたがたのこずを知っお、励たしを受けるためです。(テモテ2:19)

ピリピ人ぞの手玙は、゚ペ゜人ぞの手玙、コロサむ人ぞの手玙、ピレモンぞの手玙ず同じようにロヌマの牢の䞭で曞かれた手玙である。パりロはAD60幎62幎にロヌマで軟犁されおいたが、ピリピ人ぞの手玙を送った時には、裁刀の刀決がそろそろ出る頃だった。自分は堎合によっおは死ぬかもしれないず曞いおいる。コロサむ人ぞの手玙はロヌマで軟犁が始たったばかりの頃に曞いたもので、ピリピ人ぞの手玙はその軟犁時代の最埌の方に曞かれたものである。自分がどうなるかわかり次第、テモテを送るず蚀っおいるが、裁刀の刀決を埅っパりロはピリピの教䌚を心配しおいる。だから励たしたいしテモテを送りたいず思っおいる。

【ピリピ】テモテのように私ず同じ心になっお、真実にあなたがたのこずを心配しおいる者は、だれもいたせん。

パりロはこのように曞いおいるが、パりロの呚りにいる人がたるでテモテのような心を持っおいないかのように聞こえる。

このずきルカやマルコや他の人もほずんど䞀緒にいない。コロサむ人ぞの手玙を曞いたころにはパりロの呚りに垞に十人くらいの人たちがいたが、圓時はむンタヌネットがないのでコミニケヌションを取るために人を送るしかなかった。マルコを送り、他の人たちもいろいろなずころに送られお、ピリピ人ぞの手玙を曞いた時にはテモテしかパりロのそばにいなかった。぀たりだれもいないず蚀うのはその時にテモテしか䞀緒にいないずいう意味である。盎蚳するず、「だれもいたせん」は「だれも持っおいない」ずいう意味である。

【ピリピ】䜕事ずも利己的な思いや虚栄からするのではなく、ぞりくだっお、互いに人を自分よりすぐれた者ず思いなさい。 それぞれ、自分のこずだけでなく、ほかの人のこずも顧みなさい。

これがむ゚ス様の思いである。む゚ス様が私たちのこずをご自分よりも倧切だず思っおくださっお、十字架䞊で死んでくださった。テモテはそのような心を持っおいる。テモテはパりロず同じ心を持っお䞻に仕えた。だからパりロはテモテを信頌しおピリピの教䌚に送るこずができる。パりロはむ゚ス様のような心を持っお、他の人が自分よりも倧切だず思っお、む゚ス様を信じたずきから旅をしお犏音を䌝えお、䜕回も殺されそうになっお、䜕回も牢に入れられお、䜕回もぶたれた。しかしどんなに苊しめられおもパりロは立ち䞊がっお犏音を䌝えおきた。たずえ殺されおも、む゚ス様ず同じ心を持っお犏音を䌝え続けた。犏音を䌝えるこずにおいお殺されおもよい。テモテも同じ心を持っおいた。今日の犏音曞の朗読の箇所は、私たちにも同じ心を持぀ように求めおいる。

【マルコ〜】それからむ゚スは、人の子は倚くの苊しみを受け、長老たち、祭叞長たち、埋法孊者たちに捚おられ、殺され、䞉日埌によみがえらなければならないず、匟子たちに教え始められた。む゚スはこのこずをはっきりず話された。するずペテロは、む゚スをわきにお連れしお、いさめ始めた。しかし、む゚スは振り向いお匟子たちを芋ながら、ペテロを叱っお蚀われた。「䞋がれ、サタン。あなたは神のこずを思わないで、人のこずを思っおいる。」

それから、矀衆を匟子たちず䞀緒に呌び寄せお、圌らに蚀われた。「だれでもわたしに埓っお来たければ、自分を捚お、自分の十字架を負っお、わたしに埓っお来なさい。自分のいのちを救おうず思う者はそれを倱い、わたしず犏音のためにいのちを倱う者は、それを救うのです。人は、たずえ党䞖界を手に入れおも、自分のいのちを倱ったら、䜕の益があるでしょうか。自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい䜕を差し出せばよいのでしょうか。だれでも、このような姊淫ず眪の時代にあっお、わたしずわたしのこずばを恥じるなら、人の子も、父の栄光を垯びお聖なる埡䜿いたちずずもに来るずき、その人を恥じたす。」

ペテロはむ゚ス様が殺されるず聞いお、匟子たちを代衚しお、あなたにはそんなこずがあっおはいけないず蚀った。ペテロたちはむ゚ス様を愛しおいたし、メシアは殺されるはずはないず思っおいたからだ。匟子たちはただ十字架のこずがわかっおいなかった。このずき匟子たちに初めお十字架の話をしたのでペテロたちは驚いたのだが、む゚ス様はみんなを呌び寄せお、「「だれでもわたしに埓っお来たければ、自分を捚お、自分の十字架を負っお、わたしに埓っお来なさい。自分のいのちを救おうず思う者はそれを倱い、わたしず犏音のためにいのちを倱う者は、それを救うのです。(8:34b~35)」ず蚀われた。

む゚ス様の匟子になりたい人はだれでもそのような心を持たなければならない。パりロやテモテのように旅をしなさいずいう意味ではない。すべおを神様にゆだねお、互いに人を自分より倧切だず思っお、䞻む゚ス・キリストに埓っお十字架を負っお歩む。これはすべおのクリスチャンに芁求される歩み方である。パりロもテモテもその暡範を瀺しおいる。

聖逐匏のずきに、䞻む゚ス・キリストが私たちの眪のために死んでくださったこずを蚘念する。そしお聖逐匏が終わっおから私たちは自分を生けるいけにえずしお䞻にささげ、自分の十字架を負っおキリストに埓っお歩むこずを玄束しおいる。む゚ス様、パりロ、テモテの暡範を芚えお、䞀緒に聖逐を頂きたいず思う。

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すべお衚瀺

「眪の告癜」四旬節第䞀䞻日

説教者ベンれデク・スミス牧垫 「眪の告癜」 先週の氎曜日は灰の氎曜日でした。この日から四旬節が始たりたす。 私たちの䌚堂で聖オヌガスティン教䌚が灰の氎曜日の瀌拝を行い、叞祭が瀌拝者の額に灰で十字架を曞いお「あなたは灰であり、灰に戻るこずを芚えおいなさい」ず宣蚀したした。自分が偉倧なる神の前でどれだけ小さい者なのか、匱い者なのかを芚えるために、そしお自分の眪ず自分が死ぬこずを芚えるために行われたす

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