説教者:ラルフ・スミス牧師
ピリピ2:25〜30
私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。
今日はエパフロディトについての興味深い箇所を学ぶことにする。
最初に目立つのは、テモテとエパフロディトについて使われることばの違いである。
【ピリピ2:19】私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。
パウロはピリピの教会にテモテをできるだけ早く送りたいと言っている。送るという約束ではなくパウロの願いを伝えている。
【ピリピ2:25b】私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。
しかしエパフロディトのことはできるだけ早く送る必要があると言っている。
テモテとエパフロディトは対比的である。この二人はとても似ているが、この部分だけは違っている。
そして今日の箇所にはストーリー性があると思う。細かいストーリーは書かれていないが、細かい事実が色々(少なくても七つある)書かれている。
ピリピの教会はエパフロディトをパウロのところに送った。ピリピ4章によればエパフロディトにお金を託してパウロのところに送ったようだ。伝道旅行をしているときにパウロは自分で働きながら福音を伝えていたが、この時はローマで軟禁状態だったのでお金を必要としていたからである。これはエパフロディトにとって大きな責任である。そしてエパフロディトは信頼できる人物だった。
パウロがピリピの教会を設立したのは51年頃である。そして今この手紙を書いているのが62年なので、パウロはこの教会と10年以上付き合っている。その間にピリピの教会は何回もパウロに贈り物を送り、パウロも何回かこの教会を訪ねている。
ピリピの教会はなぜエパフロディトを選んだのだろうか。このことを軽く考えてはいけないと思う。ピリピとローマは1290kmも離れている。行き方はいくつかあって、徒歩-船-徒歩で行く方法もあるし、徒歩だけで行く方法もある。お金が十分にあれば馬を使うことができるしその方がずっと楽なのだが、それでも1290キロも馬に乗って移動するのは大変なことである。徒歩なら6週間以上かかる道のりで、途中に山もあり危険もあった。ピリピの教会はこのように大変で重い責任の伴う働きをエパフロディトに与えた。
そのエパフロディトが病気になった。だれかがそれをピリピの教会に知らせたのではないかと思う。もしかしたらローマに着く前に病気になったので、だれかに頼んでピリピの教会にそのメッセージを伝えたのかもしれない。パウロのところに着く頃には死にかけていたが、渡すべき物を渡して療養しているうちに癒されたのかもしれない。すべて仮定の話であるが、可能性は十分にある。
ここで不思議に感じることがる。パウロが3回目の伝道旅行で3年間エペソで過ごした時のことだが(55年頃)、神様はパウロを通して大変な奇跡を行った。それはみんな知っていることである。
【使徒の働き19:11~12】神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった。
しかしパウロがピリピ人への手紙を書いている62年には、奇跡の話は出て来なくなっている。今回もパウロが神の権威をもってエパフロディトを癒したのではなく、パウロが祈ることによって神様があわれんでくださって癒してくださった。新約聖書が書かれている時代から奇跡はだんだん消えていく。
【第一テモテ5:23】これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。
パウロはテモテにもぶどう酒を飲みなさいと言っている。これもパウロならテモテを癒せるはずなのにと思ってしまう。
これらのことを不思議に感じてしまうが、しかし神はエパフロディトを癒してくださって、エパフロディトは元気になってからパウロのところにしばらくいてパウロに仕える働きをした。
エパフロディトがピリピに戻るまでに時間が必要である。天気が安定している必要があるし、旅ができる季節も限られているので、旅ができる時まで何カ月間かパウロのところにいた。エパフロディトはピリピの教会のことを心配しているし、ピリピの教会も彼を心配していたので、パウロはエパフロディトが癒されたことを喜んでこの手紙の中に書き、そしてこの手紙を届けたのがエパフロディト自身なのであった。
エパフロディトのストーリーを見る時に、パウロの文章は非常に興味深い。日本語に直訳するのは難しいので意訳的に訳すと、この文章は「必要」から始まる。そして「私は考えました」と続く。つまり、エパフロディトをピリピの教会に送り返したのはパウロであるということだ。パウロが彼をピリピに遣わしたのである。エパフロディトが途中で仕事を辞めて帰るとか、もっと長くパウロに仕えてほしかったとか、そのような心配は必要ない。パウロの決断であり、エパフロディトの決断ではない。
そして続けて文章は定冠詞から始まり、「兄弟」、「同労者」、「戦友」、最後に「私の」という文型である。パウロはエパフロディトを「私の兄弟、私の同労者、私の戦友」と呼んでいる。一つ一つのことばはとても大切だと思う。
・私の兄弟
親しい関係であることを表している。すべてのクリスチャンは兄弟である。すべてのクリスチャンが私の親しい兄弟と言えるレベルではないと思うが、パウロは非常に心の深い人でエパフロディトについて心を込めて話している。
・同労者
いろいろな手紙でパウロが使うことばであるが(22回位)、エパフロディトはお金をパウロに渡すだけではなく、ローマでパウロの福音の働きを手伝っていた。もしかしたらパウロがピリピにいた十一年前もパウロとともに働いていたかもしれない。ピリピの教会は十年以上前から熱心に福音のために働いていた、パウロの友人であり、愛する兄弟であり、同労者であるエパフロディトを選んで、献金を届ける働きを頼んだと思う。
ピリピの教会は献金に熱心な教会である。パウロがピリピの教会を設立した当時、パウロとシラスはむちで打たれたり牢に入れられたりしたが、パウロがローマ人であることがわかるとピリピの町の長官たちがパウロとシラスをなだめて町から出て行ってくれるように頼んだ。それで二人はその町を出てテサロニケの町に行った。テサロニケにいた時もすぐにピリピの教会がパウロに献金を送ってパウロの宣教を支えた。エパフラディト自身もピリピの教会も福音を伝えることに熱心であった。同労者とは福音の働きの同労者という意味である。
・戦友
戦友ということばは三つの言葉の中心で一番重いことばだと思う。パウロの手紙の中では、この箇所とピレモンへの手紙の二箇所にしか使われていない。
【ピレモンへの手紙2】姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
アルキポもエパフラディトも有名なクリスチャンではないが、パウロの手紙の中で戦友として出て来て、福音の戦いにおいてパウロと一緒に苦しんだ。だから戦友と呼んでいると思う。
これら三つのことばは特別なことばで、重さもある。エパフラディトは聖書の中で有名ではないが私たちはこのような人を尊敬すべきだと思う。
エパフラディトについて、パウロはあと二つのことを言う。
・あなたがたの使者
ピリピの教会が送った人であるが、「送った人」はギリシャ語で「アポストロ」日本語で「使徒」である。使徒とは「遣わす」とか「遣わされた者」という意味であり、エパフラディトはピリピの教会のアポストロで、使命をもって遣わされて、それを果たさなければならなかった。パウロがエパフロディトのことをアポストロと言ったのは、「彼は遣わされて、その使命をしっかりと果たしましたよ」と伝える意味も含まれていると思う。
・私の必要に仕えてくれた
この「仕える」ということばは祭司の働きについて使われることばである。だからエパフロディトがパウロと一緒に福音の働きに加わって、祭司として働いていたという意味が含まれていると思う。
エパフロディトのことを私たちはよく知らなかったが、兄弟、同労者、戦友、使者、仕える者、という五つの表現によって非常に素晴らしいクリスチャンであったことがわかる。彼はダビデやパウロのように有名ではないが、ある意味で普通のクリスチャンがこのように熱心に福音のために心から働いているときに、私たちはその人を尊敬すべきである。そしてその模範から学ぶべきだと思う。
エパフロディトのことを考えるとき、私たちの教会のことも考えさせられる。
すべてのクリスチャンは兄弟である。私たちの教会は四十三年前から始まった。皆さんの中で四十三年間一緒に歩いている人もいるし、四十年の人もいれば二十年の付き合いの人もいるが、地域教会として非常に恵まれている。私たちは兄弟であるという認識を深くもって礼拝を二千二百回以上一緒に守ってこれたことを神に感謝する。このように小さなグループであるが、毎週一緒に食べて互いを親しく思ってこれたことを神に感謝する。
同労者ということばはパウロの手紙の中で広い意味もにもなり得るが、狭い意味では福音の働きに直接加わっていることである。広い意味では昨日の結婚式のことも思うし、先月の葬儀もそうだったが、私たちは地域教会として一緒に働くチームである。これからも同労者として一緒に働けることを神様に感謝する。
私たちはパウロとエパフロディトのように一緒に戦って苦しんでいるわけではないが、苦しい時も一緒に祈って神の恵みを求める戦友である。
私たちは遣わされたものである。東京で生まれ育ったので遣わされたという認識は薄いかもしれないが、それでも私たち一人一人は神によってここに遣わされたのである。神が全世界の中で、この国の、この地域の、この家族に皆さんを与えるように計画してくださった。遣わされた者としてそこに使命がある。その使命は一つでみんなまったく同じというわけではない。父親の使命、母親の使命、子どもたちの使命、社会人の使命など様々である。しかしパウロの福音の働きを考えるとき、私たちの周りのキリストを知らない99%以上の人のことを思う。なぜ私たちがこの地域に遣わされたのか、なぜ日本なのか、なぜ東京なのか、このことを考えながら福音を伝える機会を祈り求めるべきである。そのためにきっかけを祈り求めるべきである。子どもたちも道を歩く時に出会ったおばあさんにあいさつすることも福音を伝えるきっかけになると思う。主のために熱心に働くようにここに遣わされた。それはエパフロディトと同じである。
仕える者、つまり祭司の仕事はある意味でつまらない仕事である。朝から晩まで祈るだけではなく、いけにえのために動物を殺してその皮をとっていけにえの準備をしている。まるで料理をしているような感じである。毎朝毎晩昇天のいけにえをささげる。そして聖所で色々な器具を洗う。香の祭壇をきれいにして、油の準備をして、掃除もする。祭司の働きはつまらない。しかし神様に仕えている。私たちは愛餐会の昼食を作ったり、教会で使う物を洗ったり、朝から礼拝の準備をしたり、あと片付けをしたりして祭司として仕える働きをしている。
私たちがその心をもって働くなら、神の御国のために働く同労者である。遣わされて熱心に福音を伝えて、神様に与えられた小さな働きでも喜んでささげる祭司として働くなら、神様は私たちの働きを喜んでくださる。
そのことを覚えて聖餐を受ける。
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