説教者:ラルフ・スミス牧師
ピリピ3:12〜14
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
久しぶりにピリピ人への手紙にもどるので、これまでのことを少し思い出していただきたいと思う。今日の箇所の背景の一つはイエス様のオリーブ山の説教である。ピリピ書だけではなく、新約聖書全体の背景にもなっている。
・AD30年
イエス様がAD30年にオリーブ山で共観福音書の最後の説教として弟子たちに話したのは、この世代が終わる前にローマ帝国によって神殿が破壊され、教会が迫害されて、たくさんの偽教師や悪い預言者が現れて人々をまどわすだろうということだった。荒野のイスラエルは四十年が一世代だったので、この世代とはだいたい四十年間である。オリーブ山の説教からピリピ人への手紙が書かれるまでだいたい三十年たっているので、神殿が破壊される日も近いことをみんな考えていた。それは教会に対する迫害が近いことを意味する。偽教師が現れて、選ばれた者でさえだまされる危険がある。それがピリピ人への手紙を考えるための大切な背景である。
パウロ自身のことも思い出していただきたい。パウロはAD30年にイエス様を信じた。イエス様が復活してから使徒の働き1~9章まではすべてこのAD30年に起きた出来事である。パウロはユダヤ人の大祭司に遣わされてクリスチャンを迫害するためにダマスコに向かっていたのだが、その旅の途中でイエス様ご自身が現れて、パウロは救われてダマスコでバプテスマを受けてイエス様に仕える者になった。それがAD30年の出来事である。
・AD33年
AD33年にはエルサレムでバルナバに出会い、パウロはそのあとタルソに戻っていた。
・AD30~40年
それまではユダヤ人がユダヤ人に伝道するだけだった。イエス様が昇天する前にすべての国民(くにたみ)に福音を伝えなさいと命じたのに弟子たちはその働きをしていなかった。AD30年から40年頃までに、マタイの福音書、マルコの福音書、ヤコブの手紙が書かれたが、他の新約聖書は何もなかったので、ペテロがコルネリオのところに行ってローマ人に福音を伝えるまではクリスチャンはユダヤ人のみだったのである。これがパウロが救われてから最初の10年間のことである。
・AD42年
AD42年頃に弟子たちがアンティオキアで福音を伝えた結果、異邦人が救われたので、エルサレムの教会はバルナバをアンティオキアに送った。そこでバルナバが福音を伝えたり教えたりしているうちにパウロをタルソから呼んで、一緒にみことばを教えるようになり、このようにしてパウロとバルナバは異邦人の間で働くようになった。
・AD48年
そのうちに有名な大きな問題がガラテヤの教会で起きた。異邦人も割礼を受けてユダヤ人にならなければ救われないと教える偽教師たちが現れたのである。このような福音を曲げる働きが起きたので、AD48年にエルサレムで大きな教会会議を行わなければならなかった。会議の結論は、異邦人も割礼を受けてユダヤ人のように律法を守らなければ救われないということではなく、イエス様を信じるだけで義と認められるので割礼を受ける必要はないというものだった。イエス様を信じることによってのみ救いが与えられるのである。
・AD50年
その会議が終わってから、パウロは二回目の伝道旅行に出かけた。(一回目はバルナバとともにガラテヤに行った。)
まずシラスと一緒にマケドニアに行き、途中でテモテとルカも合流して四人で最初に大きな伝道をしたのがピリピの町であった。ピリピの町に占いの霊につかれた女奴隷がいて主人たちに占いで大きな利益をもたらしていたが、パウロがこの女からその霊を追い出したので金儲けの見込みがなくなった主人たちがパウロとシラスを「町をかき乱すユダヤ人だ」と町の長官に訴えた。そのためパウロたちはむちで打たれて獄に投げ込まれた。パウロが入れられた獄は一番深い獄で、光は一切なく、トイレもなく、臭くて暗くて食べ物もなかった。そこに置かれたパウロとシラスはエリヤのような祈りはしなかった。エリヤはアハブとその妻イゼベルにいのちを狙われたときに「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。(1列王19:4)」と祈っていたのだが、パウロとシラスはイエス様のために迫害されるのは祝福だと思って神様に感謝して祈りをささげていたのである。すると真夜中に地震が起きて牢の扉が全部開いてすべての囚人の鎖が外れてしまった。看守は囚人が逃げてしまったと思って自害しようとしたが、パウロが「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだので看守は二人の前にひれ伏して「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか(使徒の働き16:30)」と言った。パウロは「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。(使徒の働き16:31)」と言い、看守と看守の家にいる者全員に主のことばを語った。看守は二人を引き取り、むちの傷を洗って、食べさせた。そしてその夜、看守とその家の者全員がすぐにバプテスマを受けた。それがピリピの教会の中心的な家族になった。ピリピの教会はそのようにしてAD50年頃に始まった。
・AD62年
パウロがこの手紙を書いているのはAD62年だろうと言われている。パウロは逮捕されてカイサリアに二年間、その後ローマで二年軟禁状態だった。その時にコロサイ人への手紙、エペソ人への手紙、ピレモンへの手紙、ピリピ人への手紙を書いた。ピリピ人への手紙は最後に書かれたのだと思う。なぜならパウロが自分はそろそろ死ぬかもしれないと言っているからだ。コロサイやエペソ人への手紙ではそのようなことは言っていない。ピリピ人への手紙を書いたころには裁判の判決は近くなっている。パウロ自身は心において死の準備をしている。
前回学んだ時、「何とかして死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:11)」というところで終わった。
パウロは堅忍のことを言っている。死者のよみがえりのときまで堅忍することを求めている。生きる目的はキリストを知ることである。最後まで堅忍する。そのことを言ったあとで今日の箇所がある。
●私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ピリピ3:12~13a
すでに得たのでもなく、完全にされたのでもなく、捕らえられたのでもない。パウロは完全に成長して完全に立派な者になったとは考えていない。続けて成長しなければならないと考えている。
「キリスト・イエスが私を捕らえてくださった」という言い方は、「メシアなるイエスが私を捕らえてくださった」と言うとピンとくると思う。キリストは苗字や名前ではなく、ギリシャ語で油を注がれた者という意味で、メシアもヘブル語で油を注がれた者という意味である。
【ピリピ3:8a】それどころか、私の主であるキリスト・イエス(メシアなるイエス、私の主)を知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。(スミス牧師がギリシャ語の原語に忠実に言い換えたところを青字にしています)
みなさんはこのみことばを覚えていると思う。他のところでは「私たちの主」と言ったりするが、「私の主」という言い方はここにしかない。なぜパウロがこのような言い方をしているのかというと、パウロ自身がイエス様に捕らえられたからだと思う。
ダマスコに行く途中で現れたイエス様にパウロは「主よ。あなたはどなたですか。(使徒9:5)」という声を聞く。偉い人であることはわかったが、だれなのかはわからなかった。するとイエス様が答えてくださった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
それで「メシアなるイエス」という言い方はパウロが使う特別な言い方になった。「メシアなるイエス」という言い方は新約聖書に69回出て来るが、そのうちの66回がパウロの手紙で使われている。ペテロが2回、ルカが使徒の働きで1回使っている。パウロはそのイエス様に出会って、イエス様に捕らえられ、イエス様が自分を召してくださったと言う。
●ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。ピリピ3:13b~14
パウロはそのことをスポーツを使った比喩で話す。パウロの時代にもオリンピックはあったので、目標に向かって力を尽くして走ることがパウロにとっての堅忍のイメージであった。
目標に向かって走っている時、後ろのものを忘れる。忘れることの一つはユダヤ人の誇りとされていることを忘れることである。ベニヤミン族であること、八日目に割礼を受けたこと、律法を完全に守っていることなど、得であると思ったものはキリストのゆえに損と思うようになった。そしてもう一つは、今まで自分が行ったことを考えないという意味も含まれる。走っているときに後ろを見てはいけない。後ろのものを忘れて目標に向かって走らなければならない。
炎のランナーという映画がある。ユダヤ人のエイブラムスと、スコットランドの宣教師の息子エリックがオリンピックで金メダルを取る話である。オリンピックに行く前に二人で100m競走をしたが、二人とも実力は同じくらいなのに、ゴール間際にエイムラムスがエリックの方を一瞬だけ見たために負けた、というストーリーが途中に入っている。レースが終わったあとでコーチにも指摘される。走っているときに目標のみに目を留めて走らなければならない。目標に向かって力を尽くして走っている。それは賞を得るためである。賞とは死者の中からのよみがえりである。つまりキリストと同じ姿になることである。キリストを本当に知ることである。それが賞である。堅忍とは目標に向かって力を尽くして走ること。そして賞はキリストとともによみがえってキリストのようなものになることである。その意味でキリストを知ることをパウロは求めている。
キリストにあって神が上に召してくださる賞について、パウロはローマ8章で話している。
【ローマ8:28~29】神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
召された人々のために御霊が私たちのうちに働いて、イエス様を信じることができるように導いてくださる。神様が私たちを救ってくださった最終的な目的は、私たち一人一人が御子と同じ姿になることである。完全に罪から解放されて、復活のからだを与えられることである。心の中で神を愛し、隣人を愛し、キリストに似たものとなったときに、初めて私たちは主イエス・キリストを深く知ることができるようになる。だからパウロはすでに自分が得たのではないと言う。まだ自分の中に罪があるし、復活のイエス様と似た者になっていないから。当時の異端者の中で、私は得た、と言う人がいたようだが、パウロはそのようには思わず、続けて求めて、続けて走っている。
後ろを見ないで、最後まで目標に目を留めて走る。賞を求めるとき、オリンピックの賞は金・銀・銅しかないが、クリスチャンが最後まで堅忍して走るなら三人だけではなくみんなが賞を受けられる。クリスチャンが最後まで堅忍して走るならみんな賞を受けることができる。キリストに似た者になって、神様から報いを与えられる。
堅忍は、ただ単に耐え忍ぶとか、ただ単にあきらめないということではなくて、積極的なものである。
走る定義は人によって違う。自分に与えられた能力、祝福、立場などで走ることの定義は違う。何歳であるか、小さい子どもか、若いか年寄りかで走る定義は変わる。しかし積極的に最後まで主イエス・キリストを求めるのは共通の目標である。
キリストに目を留めて走る中で、私たちは毎週の礼拝で集まる。そして主イエス・キリストが与えてくださるパンと杯をいただく。ヨハネ6章で、イエス様がいのちのパンであると言ってもだれも意味が分からなかった。イエス様が復活したあとで教会が聖餐を行うようになった時に、イエス様がご自分を聖餐において私たちに与えてくださる。聖餐を礼拝の中心にしているのはキリストに目を留めて、積極的にイエス様を求めて走っていることにもなると思う。
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