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「献金の心」ピリピ4:15〜23

説教者:ラルフ・スミス牧師


ピリピ4:15〜23

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。 私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。 私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。 また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。 キリスト・イエスにある聖徒の一人ひとりに、よろしく伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。 すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。

●私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。(4:18)

エパフロディトはピリピ2章にも出て来る人物である。彼はピリピからパウロのところにやってきてパウロに仕えた。ピリピからローマまでは1200キロ以上あり、かなり長い旅で何週間もかかる。馬を使えばもう少し早く着けるが、多分徒歩だったと思う。約七週間ほどの旅だったと思う。ところがエパフロディトは旅の途中で病気にかかり、ローマに着いた頃にはもう死にそうになっていた。旅の途中で、エパフロディトは自分の病気のことをだれかに頼んでピリピの教会に伝えていたと思う。そして彼はパウロのところに着いた時に良く休むことができて、やがて元気になったので、パウロはエパフロディトをなるべく早くピリピの教会に送り返そうとした。パウロはこのストーリーをピリピ人への手紙2章で説明している。

【ピリピ2:29~30】ですから、大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。

エパフロディトはキリストのために自分のいのちをささげて死にそうになった。だから彼のような働き人を尊敬しなさいとパウロはピリピの教会に言って励ます。ピリピの教会のメンバーであり代表であるエパフロディトは、熱心でパウロに仕えることを喜んで、1200キロ以上も歩いて贈り物を持って来た。パウロはこの手紙の終わりのとろこで、エパフロディトについてもう一度書いている。彼から贈り物を受け取ったパウロは満ちあふれている。パウロがこの手紙を書いた目的の一つは、最後に「ありがとう」と伝えることだったので、ピリピの教会に感謝の思いを伝える。パウロはピリピの教会を喜んでいる。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。(4:15)

「関わる」は「交わる」と訳されることが多いギリシャ語である。ピリピの教会はパウロと福音の交わりを一緒にしてくれた教会である。パウロがマケドニアを出たときに献金してくれたし、その前にテサロニケにいた時には二回も献金してくれた。これが福音の交わりなのである。

パウロがピリピの町に福音を伝えたのは49〜50年頃だと思う。そしてピリピの教会が設立されたあとで、ルカはピリピにとどまったが、パウロとシラスは続けて旅をしてテサロニケに行った。ところがテサロニケで暴動が起きてしまい。パウロは追い出されてべレアに行った。ピリピとテサロニケとべレアの教会はすべてマケドニアの教会である。そしてマケドニアを出てコリントに行って二年間コリント教会にいた。パウロがマケドニアを出てからずっとピリピの教会は続けて献金してくれていた。他の教会が献金しなかったのはパウロが受け付けなかったという理由もある。テサロニケではパウロは自分で働いて生活し、教会からの献金はもらわなかった。

【第二テサロニケ3:8b、10~12】あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜昼、労し苦しみながら働きました。…あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。そのような人たちに命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

パウロがテサロニケの教会にいたときには自分の手で働いて教会から献金はもらわなかった。なぜなら、テサロニケの教会の中に自分の手で働かないで、他の人からお金をもらう人が多かったからだ。当時のギリシャ文化では手で働くのは格好良くないと思われていた。反対に手で働かない人はかっこいい。それが社会的にレベルが高いことだった。だがパウロは、働きたくない者は食べるなと言う。コリントの教会にも同じような問題があった。自分で働いて自分の生活を支えなければならないとギリシャの背景がある教会に強調して言わなければならなかった。

しかし献金をもらわない理由はそれだけではないのかもしれない。パウロの人生を思い出してみると、30年にクリスチャンになって、41年にバルナバがタルソに行ってパウロを見つけ、一緒にアンティオキアに行った。アンティオキアでクリスチャンになった異邦人にみことばを教えて、そこで初めてイエス様を信じる人をキリスト者と呼んだ。

【使徒の働き11:26】彼ら(バルナバとパウロ)は、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

パウロとバルナバが一緒にアンティオキアで働いているときに、大きな飢饉がエルサレムに来るという預言があった。それでアンティオキアの教会で献金を集めてエルサレムに送ることになった。

【使徒の働き11:28~29】その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。

アンティオキアの教会から献金を託されたパウロとバルナバはそれをエルサレムに届けるために旅に出た。なぜエルサレムの教会は貧しいのか。そして特別に他の教会から助けを受ける必要があったのだろうか。

それはイエス様のオリーブ山の説教で、エルサレムはこの世代が終わるまでにさばかれると預言されていたからである。ローマ軍が来て全てを破壊するなら、エルサレムに土地を持っていても仕方がない。それで弟子たちはみんな自分の家や土地を売って教会に献金していた。すべての弟子たちがそうしたのではなかった。マルコと呼ばれているヨハネの母マリアは家を売らなかったので、そこに弟子たちが集まって教会のようだった。

【使徒の働き12:12】ペテロはマルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。

多くの弟子たちが自分の家を売って教会に献金したのがAD30年頃である。もうそれから10年以上たっていて、教会のお金は少なくなっている。ここに飢饉が来るなら大変なことになる。飢饉で食べ物は手に入らない。だからパウロとバルナバがエルサレムに献金を届けて、またアンティオキアに戻った。それが使徒の働き12章の終わりの話である。

その後もパウロは続けて異邦人の教会から貧しいエルサレムの教会への献金を集めていた。その働きはAD44年から57年まで熱心に続けられていた。パウロは献金をたくさん集めてそれを届ける責任を負っている。だからだれかと一緒にお金を数えたり、一緒に管理したりしていた。もしかしたらパウロは献金からお金を取っているのだと言う人がいたかもしれない。それにコリントの教会の中でパウロに強く反対する人が出て来たりしたので、コリントからも他の教会からも一切献金をもらわないで、パウロが自分の手で働いて自分の生活を支えていることをはっきり見えるようにして、お金を盗んでいないことを示していた。パウロとバルナバがエルサレムに献金を届けたAD44年に、ちょうどヘロデ王が演説をして、人々はへつらって、これは人ではなく神の声だと言ったりした。ヘロデ王はそれを聞き、神に栄光を帰さないで自分の栄光にしたので、神様がヘロデ王(ヘロデアグリッパ)をさばいた。新約聖書の中で何人かヘロデ王が出て来るが、同一人物ではない。しかしヘロデ大王とのつながりを連想できる。ヘロデ大王はイエス様が生まれた時に赤ちゃんたちを殺して神に逆らった王なので、新約聖書に出て来るヘロデ王たちはみんな神様に逆らっていて、キリストを憎んでいる。そのヘロデ王が死んでパウロたちがアンティオキアに戻ると、アンティオキアの教会はパウロとバルナバを伝道の旅に送り出した。彼らはガラテヤに行って、他の町々を回って伝道して、再びアンティオキアに戻ったら、アンティオキアやガラテヤの教会で「異邦人も割礼を受けなければ救われない」という教えをする人がいて、問題になっていた。それでパウロはガラテヤに手紙を書かなければならなかった。パウロが最初にガラテヤを尋ねたときに、エルサレムの教会から、特に貧しい人に心を留めるようにと言われていた。

【ガラテヤ9~10】そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し出しました。それは、私たちが異邦人のところに行き、彼らが割礼を受けている人々のところに行くためでした。ただ、私たちが貧しい人たちのことを心に留めるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに務めてきました。

パウロにとって、貧しい人を助けることはパウロの使徒としての人生の大きな大切な働きだったことがわかる。

【第二コリント8:1〜2】さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。 彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。

パウロが試練の中にあったことは、パウロにのマケドニアの旅を思い出すと、特にテサロニケのユダヤ人たちが熱心に異邦人クリスチャンを迫害していたが、ピリピの教会も迫害されていた。べレアにもテサロニケのユダヤ人が来て問題を起こしていたので、非常に苦しんでいる。そして非常に貧しい。この貧しい兄弟たちが喜んで熱心に献金している。パウロはコリントの教会にそのことを話している。

【第二コリント8:3~4】私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。

マケドニアの教会、特にピリピの教会のことを証しする。彼らは聖徒たちを支える奉仕の恵みの交わりに加わりたいとパウロに熱心に頼んだ。どうしてもこの働きに加わりたかった。

【第二コリント8:5】そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。

本当の意味での献金の意味を、マケドニアの教会もピリピの教会も良く知っている。ただ単に十分の一を神様にささげて、残りは全部自分のものだ、という思いでお金を払って終わり、ということではない。什一献金は自分の働きのすべての代表である。正しい意味で献金をささげるとは、神様に自分をささげることである。パウロにも自分たちを委ねた。だからパウロたちに従って、パウロたちを祝福する。だからパウロたちと一緒に交わりをして神様に仕える。これがマケドニアの教会、ピリピの教会の思いである。パウロはこのようなマケドニアの教会のことをコリントの教会に証ししている。マケドニアの教会、特にピリピの教会はそれほど熱心な素晴らしい教会である。

【第二コリント8:8】私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。 

あなたたちも、同じように自分を神にささげて、その意味で貧しいエルサレムの教会がローマ軍によって迫害されるので、あなたたちも熱心に交わりをもって一緒に献金しましょう、というのが使徒としての働きなのである。

【第二コリント8:9】あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

イエス様が私たちのために貧しくなってくださった。それは私たちが主イエス・キリストにあって富む者となるためである。永遠のいのち、永遠の富、永遠の栄光の祝福を私たちが与えられるためである。

献金の心はイエス様の心と同じである。その献金の心をもっているマケドニアの教会であった。

パウロがマケドニアを出たときに献金をささげてくれた教会はピリピだけだった。でもパウロがそのように書いたのは、ピリピの教会をほめているのではなく、貧しく試練にあっている教会に、神様があなたがたのすべての必要を満たしてくださると励ましのことばを与えるためだった。そしてエパフロディトを通してピリピの教会に感謝している。

私たちは毎週献金をささげているが、献金には自分をささげるという意味がある。だから礼拝の終わりに毎週祈る祈りは非常に大切である。私たちは自分を神様にささげる。礼拝の意味はそこにある。なぜなら神様は私たちを愛して、私たちにすべてを与えて下さったからである。

御子が私たちに与えらえたことを毎週の聖餐式で記念する。聖餐をいただくとき、御父が御子を私たちに与えて下さって、御子がそのからだを私たちのために十字架上でささげて、私たちを洗い清めるために血を流して、キリストが私たちのために貧しくなって、私たちにキリストを信じることによって永遠のいのちが与えられた。そのことを毎週記念するときに、最後の祈りは非常に大切。

「天の父よ、私たちは御子によって、心も、体も、生きた供え物として献げます。」

このことを覚えて一緒に聖餐をいただく。



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