「ペテロに与えられた命令と受け継いだパウロの模範」使徒の働き11:1〜18
- churchmitaka
- 5月18日
- 読了時間: 13分
説教者:ラルフ・スミス牧師
使徒の働き11:1〜18
さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のことばを受け入れたことを耳にした。
そこで、ペテロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちが、彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした」と言った。そこで、ペテロは彼らに事の次第を順序立てて説明した。
「私はヤッファの町で祈っていました。すると、夢心地になり、幻を見ました。大きな敷布のような入れ物が、四隅をつり下げられ、天から降りて来て、私のところに届いたのです。
その中をよく見ると、地の四つ足の動物、獣、這うもの、空の鳥が見えました。そして、『ペテロよ、さあ、屠って食べなさい』と言う声を聞きました。
しかし私は、『主よ、そんなことはできません。私は、きよくない物や汚れた物を、まだ一度も口に入れたことがありません』と言いました。すると、もう一度天から声が返って来ました。『神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。』このようなことが三回あって、すべての物が再び天に引き上げられました。
すると、なんとちょうどそのとき、三人の人が私たちがいた家の前に立っていたのです。カイサリアから私のところに遣わされた人たちでした。そして御霊は私に、ためらわずにその人たちと一緒に行くように言われました。そこで、ここにいる六人の兄弟たちも同行して、私たちはその人の家に入りました。
すると、その人は、御使いが自分の家の中に立っているのを見たこと、そして次のように語ったことを私たちに話してくれました。『ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人が、あなたとあなたの家の者たち全員を救うことばを、あなたに話してくれます。』
そこで、私が話し始めると、聖霊が初めに私たちの上に下ったのと同じように、彼らの上に下ったのです。
私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました。
ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」
人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
イースターは一日のお祝いではなくて、季節であることは皆さんは知っていると思う。この季節はイースターの日からペンテコステまで続く。そしてこの季節は礼拝の聖書朗読も、旧約聖書からではなくて使徒の働きから読むことになっている。使徒の働きは旧約聖書ではないが、イースターは特にイエス様の復活の福音を強調しているからだ。イエス様の復活は旧約聖書を成就するものである。
イースターの日に読んだのは使徒の働き10章、二週目は使徒の働き5:27~32、三週目は使徒の働き9:1~20、四週目は9:36~43、五週目の今日は使徒の働き11:1~18を読んだ。
・使徒の働き10章
ペテロがコルネリウスにバプテスマを授けた話。
・使徒の働き5:27~32
イスラエルのリーダーたちがペテロとヨハネに、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない(使徒4:18)、と伝えてあったのに、牢に捕えられていたペテロたちに主の使いが現れて牢の鍵をあけ「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい。(使徒5:20)」と命じたので、使徒たちはそのことばに従って宮で教えた。大祭司がそれを咎めると、ペテロと使徒たちは「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)」と答えた。
・使徒の働き9:1~20
パウロが救われた話。
・使徒の働き9:36~43
ペテロが神様に遣わされてドルカスのところに行き、彼女を癒した話。(36~43節)
・使徒の働き11:1~18
ペテロがコルネリウスにバプテスマを授けた時のことを、エルサレムでユダヤ人の兄弟に説明した話。
このように使徒の働きから、ペテロ、ペテロ、パウロ、ペテロ、ペテロの順番に読んできたことになる。一回だけパウロが出てきて、あとはすべてペテロが中心になっている。
そして来週からペンテコステまではパウロを中心に朗読する。このようにペテロとパウロがイースターの季節の中心人物になっている。
イースターの季節にペテロがここまで強調されていることは、私たちにマタイ16章を思い出させる。
【マタイ16:13b~19】さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。
彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
イエス様はこのようにしてペテロに特別な祝福を与えてくださった。
それで使徒の働きの最初のところで、イエス様がまず弟子たちにこのように言われた。
【使徒の働き1:8】しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
ここに伝道の計画がある。まずエルサレム、それからユダヤとサマリア全土、それから地の果てまで。私たちはこの三段階が使徒の働きの中で成就されたことを見ることができる。
使徒の働き2章:ペテロがエルサレムでペンテコステの日に説教をした。この日に御霊が与えられて、教会が新しい神の民となった。その特徴は御霊が与えられることである。それが神の御国の中心的な祝福である。
使徒の働き8章:ピリポがサマリヤに下って人々に福音を宣べ伝えたので、サマリヤ人がたくさん救われた。それを聞いてエルサレムにいる使徒たちがペテロとヨハネを遣わし、サマリヤの人々が聖霊を受けるように祈ると御霊は与えられた。ペテロとヨハネが手を置いて祈るまでは聖霊が与えられていなかった。
使徒の働き11章は10章のコルネリウスの話の繰り返しである。ペテロが、コルネリウスの家に行って福音を伝え始めた時に彼らに聖霊が下ったことを、エルサレムのユダヤ人の兄弟たちに話した。御霊が勝手に来てくださったのである。つまりバプテスマを授けたりペテロが祈ったりすることなく、御霊が先に与えられた。その時のことをペテロはこのように言う。
【使徒の働き11:16~17】私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました。
ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」
ペテロとパウロの話は並行しているところがいくつかある。
例えば使徒の働き10章で、ペテロがコルネリウスのところに行く前に、まずコルネリウスが幻を見て、ペテロが幻を見て、それからペテロがカイサリアに行く。
使徒の働き9章で、パウロがイエス様に出会って、アナニヤが幻を見てパウロがアナニヤのところに行く。パウロとアナニヤ、ペテロとコルネリウスの話は並行している。
使徒の働き12章では、ヘロデ・アグリッパ王がペテロを捕らえて牢に入れたが、御使いが現れてペテロを牢から出して救い出してくださったので、彼はエルサレムから離れて行った。使徒の働きの中ではこのあとペテロは教会のリーダーではなくなっている。使徒の働き15章ではイエス様の兄弟ヤコブが教会のリーダーになっている。そして福音の働きは13章から終わりまでパウロが中心である。コルネリウスのところでペテロが御国の鍵をエルサレム、サマリヤ、異邦人のところで使って福音の門を開いた。それだけではなく、5章ではアナニヤとサッピラの契約のさばきをペテロが宣言する。そして8章では魔術を行なってサマリヤの人々を驚かせているシモンへのさばきもペテロが宣言する。使徒の働きの中でペテロは鍵を使って門を開き、同じ鍵を使って門を閉めるかのような働きをする。
コルネリウスの話の後で今度はパウロが中心になり、ペテロの働きを受け継ぐ存在として書かれている。この二人がどのようにつながっているかというと伝道においてである。1章に「エルサレム、サマリヤ、地の果てまで」という伝道の計画があったが、ペテロがローマ人に福音を伝えた時に地の果てまでの土台を築き、パウロは実際に旅をして地の果てまで福音を伝えていく。それがイエス様が宣言したプログラムで、使徒たち、特にペテロとパウロはそれを行う。
使徒の働き11章には不思議なところがいくつかある。 一つはペテロがコルネリウスに御霊が下ったのでバプテスマを授けたことをエルサレムで説明した時に、割礼を受けているユダヤ人の兄弟たちはこのように非難した。
【使徒の働き11:3】「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした」と言った。
ユダヤ人たちは「どうして割礼を受けていない人たちにバプテスマを授けたのか」とは質問せずに、「どうして異邦人と一緒に食べたのか。」と質問した。これは全く完全にパリサイ人的な考え方である。使徒の働き11章の中には、クリスチャンになったユダヤ人たちがまだパリサイ人たちの重荷を背負って間違った考え方をしている人たちがいた。これはガラテヤの教会の問題でもあるし、使徒の働き15章のエルサレム会議の問題でもあった。クリスチャンたちはまだパリサイ人的な考え方を教会に押し付けようとしていた。
このユダヤ人たちの質問に答えて、ペテロは10章の出来事を繰り返して答えた。
これもパウロと同じような感じである。ルカは使徒の働き9章でパウロが使徒とされたことを話すが、使徒の働き26章でもヘロデ・アグリッパ2世(使徒の働き12章のヘロデ・アグリッパの息子)にも同じ証しを繰り返し説明する。
使徒の働き10章でルカが証しをして、11章でペテロが証しをして、15章でペテロが御霊が与えられたことを思い出させた。ルカ、ペテロ、ペテロという順番で証をしている。パウロとペテロは並行していて、この二人は全世界の地の果てに福音を伝える中心的な役割を担っていた。ペンテコステの日にペテロから始まった働きは、パウロが受け継いだ。
私にとって少し妙な話がある。一つは時間のことである。10章と11章は四十年頃だと思うが、イエス様がすべての国民(くにたみ)を弟子としなさいと命じたのが三十年である。その年にペンテコステから教会が始まってすでに十年たっていることになる。使徒たちは教会の歴史の最初の十年間はほとんどユダヤ人にしか福音を伝えてこなかった。ピリポはサマリア人に福音を伝えたが、他の使徒たちは異邦人のところに行こうともしなかった。イエス様は世界の果てまで行きなさいと命じたが、使徒たちはエルサレムから離れないし、全世界に行こうとはしない。
ペテロがコルネリウスの家に行ったのは幻を見たからである。つまり神様がペテロに命令して異邦人のところに行きなさいと言ったのである。それを不思議に思う。
もう一つは、ペテロの見た幻が汚れた動物もきよい動物もみんな混ざって天から下りてきたことである。汚れた動物が天から下るのも不思議だと思う。
神様が屠って食べなさいと言うと、ペテロは「私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません(使徒10:14)と答えた。じつはこの答え方はエゼキエルから借りたものである。
【エゼキエル4:14】そこで私は言った。「ああ、神、主よ。私は身を汚したことがありません。幼い時から今まで、死んだ動物や野獣にかみ裂かれたものを食べたことも、不浄な肉を口にしたこともありません。」
すると「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない(使徒10:15)。」という声が聞こえた。私たちの聖書には「きよくないと言ってはならない」と書いてあるが、その言い方はギリシャ語の原語にはない。原語では「汚してはならない」となっている。旧約の時代には、人に汚れを移すことはできるが、きよさは移すことはできない。もしペテロが神様の命令に従わなければそれだけで汚れてしまうのである。ペテロ自身が汚れた者になって、その汚れを広める者になってしまうよ、と神様はペテロに言っているのである。それで、コルネリウスの使いが来た時に、異邦人のところに行って福音を伝えなければ汚れた者になってしまうことを、ペテロはある程度悟ったのである。ペテロはきよさを広めるのではなくて、祝福を広めるのではなくて、福音を伝えなければ、汚れを広めてしまうのである。そしてペテロはコルネリウスのところに行って、福音を伝えて、一緒に食事をして、神様の御国の門を鍵を使って異邦人に開いたのである。ペテロが地の果てまで福音を伝え始めて、パウロがそれを受け継いで働いた。
復活の季節は福音を全世界に伝えることを覚える季節である。今日はコルネリウスについて朗読したが、来週からペンテコステまではパウロが福音を全世界に伝える働きをしたことを中心に読むことになっている。イースターの季節はイエス様の復活の福音を伝えなければならない。私たちにその責任が与えられている。
主イエス・キリストは復活して、天に昇って、すべての権威が与えられて、歴史を導いてくださっている。イエス様を信じる者に永遠のいのちが与えられるという素晴らしいメッセージが私たちに与えられている。私たちは主イエス・キリストの福音のメッセージをクリスチャンではない人たちに伝える責任が与えられている。これはこのイースターの季節に一番強調されているポイントであると思う。
私たちは全世界の中で特に経済的に祝福されてリーダー的な立場になっているが、日本はクリスチャンの人口が一番少ない国である。福音を伝えなければならない相手は99%以上の日本人である。
ここに置かれている私たちは特別に復活の福音を伝える機会と責任が与えられている。だから祈って伝える機会を求める。
私たちのところに御使いが来て「どうぞ地の果てに行きなさい」ということは経験していないと思うが、聖書に書いてある。ペテロにその命令が与えられた時、パウロがその模範を示した時、この責任は祝福として与えられていると思う。永遠のいのちの御言葉をイースタの季節の時に特に覚えて、特に福音を伝える機会を祈り求めて、福音を伝える働きをしている人のために祈るべきである。地域教会として、個人一人一人として、御国の成長のために熱心に働かなければならないと、この箇所から教えられる。
今日は新しいエルサレムの箇所も黙示録から読んだ。神様ご自身が私たちを受け入れて、いのちを与えて、涙をぬぐって永遠のいのちの祝福を与えてくださる。そのことを周りのクリチャンではない人たちに話したくないですか。
ヨハネ福音書の中で、お互いを愛し合うことがイエス様の新しい命令だと書いてある。愛し合うことの一つは、お互いに励まし合って一緒に福音を伝えて、お互いのために祈って、御国を心から求める者として一緒に歩むことである。そのことを覚えて一緒に聖餐をいただきたいと思う。
Comentários