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「キリストのために苦しむ恵み」ピリピ1:27〜30

更新日:2023年9月10日

説教者:ラルフ・スミス牧師


ピリピ1:27〜30

ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。

ピリピ人への手紙のこの箇所を考える時、パウロとピリピの教会との関係を考える必要がある。なぜなら、パウロはこの手紙の中で、ピリピの教会と自分との関係について何回も話しているからだ。



パウロはエルサレムでの会議のあと、御霊の働きによってパウロとシラスはマケドニアに宣教の旅に出た。その途中のリステラでテモテを加え、トロアスでルカも加わって、パウロ、シラス、テモテ、ルカの四人がマケドニアのピリピに行った。

ピリピの町に到着して数日滞在し、安息日に川のそばで集まっているユダヤ人たちに福音を伝えた。そしてその日、主がリディアという女性にパウロのことばに心を留めるようにされて、彼女と彼女の家族がバプテスマを受けた。リディアはお金持ちで大きな家に住んでいたので、パウロたちを自分の家に招いて泊めてくれた。

次に、パウロとシラスは悪霊につかれた女性から悪い霊を追い出した。すると彼女の主人たちは彼女を通して金儲けをする望みがなくなったので、パウロとシラスを捕らえて長官たちの前に連れて行き、群衆も味方につけて、このユダヤ人たちが町をかき乱してローマ人に許されていない風習を宣伝している、と訴えたので長官たちは二人の衣をはぎ取ってむちで打って牢に入れた。ところが真夜中に大きな地震が起こり、牢獄の扉が開いた。牢の看守は囚人たちが逃げてしまったと思って死のうとしたが、パウロが「自害してはいけない。私たちはみんなここにいる」と叫んで、看守とその家族に福音を語った。看守は二人を自分の家に連れて行って傷を洗い、その家の者全員がすぐにバプテスマを受けた。

このようにしてピリピの教会が始まり、リディアとこの看守とその家族がピリピの教会の土台となった。そして教会は続けて成長した。

パウロがローマ市民であることを知った長官たちは自ら出向いて来て二人をなだめ、町から立ち去るように頼んだので、パウロ、シラス、テモテはピリピの町を出て伝道の旅を続けたが、ルカだけはピリピに残った。このストーリーは使徒の働き16章に詳しく書かれている。



【ピリピ1:5】あなたがた(ピリピの教会)が最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。

ピリピの教会は設立されてからずっとパウロの働きのために献金をし続け、手紙を送りあって互いの信仰を励まし合っていた。

パウロが最初にピリピの町を訪ねたのは49年か50年頃だったが、このピリピ人への手紙を書いたのは61年か62年だと思う。パウロは60年からローマで軟禁されて裁判の判決を待っていた。その間に、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙、そして最後にピリピ人への手紙を書いた。



あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。(ピリピ1:29~30)

パウロの受けた苦難をピリピの教会も経験している。パウロはユダヤ人から苦しめられ、異邦人の偶像礼拝者からも苦しめられた。

しかしこのときはまだローマ帝国からの反対はなかった。ユダヤ人はローマ帝国に守られていた。そしてクリスチャンもユダヤ人の一部だと思っていたので同じように守られていた。ところが64年にローマに大火事が起きて、皇帝ネロがクリスチャンのせいにしたのでそのときからクリスチャンの迫害がはじまった。64年から324年頃までキリスト教はローマ帝国に激しく迫害された。

ローマ人への手紙やピリピ人への手紙を読むと、パウロは教会の迫害が近いと感じていたことがわかる。主イエス・キリストのオリーブ山の説教で、この時代に迫害が起きると預言されていて、パウロたちはそのことを福音書などでよく読んでいたので、パウロも使徒たちも迫害の試練がくることを予想していた。64年からそれが実現して、ペテロやパウロやその他のたくさんのクリスチャンが迫害されて殺された。

その中で、パウロはピリピの教会に、あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもある(1:29)、と言う。

キリストのために受けた「恵み」ということばは、今日読んだローマ人への手紙28章の次の箇所の「恵んで」と同じことばである。

【ローマ8:32】私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

信じるだけではなくて、キリストのために苦しむことも神様は恵んでくださった。

64年からずっと教会は苦しんだが、300年近くたって、とうとうローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスがクリスチャンへの迫害をやめて信仰をもつようになった。

コンスタンティヌスは325年にキリスト教のリーダーたちを二ケアに招いて、そこで信仰告白を作るように頼んだ。イエス・キリストは神ではないと主張する異端が現れたので、イエス・キリストは神であることを信じ、その信仰をすべてのクリスチャンが理解して告白できる形を作る必要があったからだ。

皇帝コンスタンティヌスの跡継ぎはアリウス主義者だったので三位一体を否定して教会を迫害した。それで381年にコンスタンティノープルで開かれた会議で、皇帝テオドシウスによって三位一体説が正統とされ、完成された。私たちが毎週使っている二ケア信条はこのコンスタンティノープルで宣言されたものである。迫害されて血を流して殺された何千ものクリスチャンのお陰で、私たちは毎週二ケア信条を告白することができる。彼らの苦しみによって私たちに与えられた信仰告白は、感謝と喜びをもって使うことができる。

【使徒の働き16:14b】主は彼女(リディア)の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。

恵みによる信仰、恵みによる救いがリディアの救いを通して表れている。



教会史を思い出してほしい。381年に二ケア信条が完成し、その30年後にイギリスのリーダーであるペラギウスが教会に問題を起こした。アウグスティヌスは著書の中でペラギウスに反論して恵みによる救い強調し、救いは恵みのみと訴えたが、ラテン語で書いていた。皇帝テオドシウスが395年に死んだが、その二人の息子たちは少し弱くて、ローマ帝国は東ローマ帝国(コンスタンティノープル)と西ローマ帝国(ローマ)の二つに分かれてしまった。町が二つに分かれただけのように聞こえるかもしれないが、言語も二つに分かれてしまった。東ローマ帝国の教会はギリシャ語、西ローマ帝国はラテン語に分かれてしまった。そしてアウグスティヌスのような者は東の教会にはいなかった。西ローマ帝国ではアウグスティヌスが永遠の昔から救いは恵みによって与えらるとはっきり教えられたのに対し、ペラギウスは私たちは全く罪のない者として生まれると教えていた。

【エペソ2:1、3】あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、…私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、他の人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

私たちは罪の中に死んだ者としてこの世に生まれた。だからまず神様が私たちを先に求めなければならなかった。その神様の恵みによって私たちは信じる者になるのである。

【ヨハネ6:65b】父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない。

天国は人がいっぱいだが門が閉まっていて、御父は時々門を開けて何人かを中に入れ、またすぐに閉めてしまう。人々は「中に入れてください」と外で叫んでいる。このようにまちがったイメージをもっている人がいる。

しかし門が閉まっているのではなく、そして大勢が中に入ろうとしているのでもない。人々は逆の方向に向かっていて、だれも天国の門に向かっている人はいない。イエス様が、だれでもどうぞ来てください、だれでも渇いているなら来てください、と言っても神を求める人はいない。

このような神を求めない人を神様が先に求めてくださったのである。私たちに信仰があるのは神様が先に信仰を与えてくださったからである。アウグスティヌスの解釈と理解は正しかった。私たちの教会では、ハイデルベルク信仰問答、ベルギー信条、ドルト信条を採択している。恵みによる救いが私たちの教会の信仰の土台である。



毎週の礼拝で行われる聖餐式で、私たちの救いは恵みのみであると告白している。聖餐式はユカレスト、つまり感謝のお祝いである。

神様がイエス様の死と復活を通して与えてくださった救いの恵みに感謝することが、私たちの礼拝の中心的なところである。イエス様は苦しんで私たちに救いを与えてくださり、古代教会は苦しんで私たちに信仰の教えを与えてくださった。信仰告白と聖餐式は私たちの礼拝の中心的なところである。



あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。(1:27b~28)

礼拝の最後にシャロームの歌を歌う。私たちがシャロームの祈りをささげる時、私たちが気楽に生きることができるように助けてくださいと歌っているのではない。私たちは福音の勝利のために祈っている。福音の勝利は広がっている。信仰のために立って,

信仰のために戦っていることは、反対者たちにとって滅びのしるし、あなたたちにとっては救いのしるしである。ローマ帝国が倒れたのは、ローマ帝国には喜びも平安も感謝もなかったからである。ストア派の信仰がそのようなものであった。ストア派は今まであったものを失わないために戦ったが、未来のために望みをもって戦うことはしなかった。

信仰に立って戦うとき、それが福音の勝利の信仰である。



ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。(1:27a)

この生活ということばは非常に珍しいギリシャ語である。自分の国籍がどこなのかを認識して、それにふさわしい生活を送るようにとパウロは話している。「生活」と関係のあることばがピリピの3章にある。「私たちの国籍は天にあります。(ピリピ3:20)

私たちは主イエス・キリストの御国の国民なので、福音にふさわしく生活する。それは福音を進めること、福音が成長すること、福音が勝利するためのことである。

私たちは毎週聖餐式をいただいたあと、自分を生きたそなえものとして神様にささげる。福音の勝利のためにシャロームの歌を歌う。

私たちの礼拝がパウロがピリピの教会に教えたその教えに従っていることを望む。





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