説教者:ラルフ・スミス牧師
ピリピ3:12〜19
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。 ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。 ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
何回か話しているが、ピリピ人への手紙を理解するために、歴史的な背景を覚えながらこの手紙を読まなければならない。パウロの手紙のすべての背景は使徒の働き(使徒行伝)にある。使徒の働き1~12章はペテロを中心に書かれ、13~28章まではパウロを中心に書かれている。だからパウロの手紙を読むときは、使徒の働きを読んで思い出しながら読むことが大切である。しかしそれ以上に大切なのが、主イエス・キリストの最後の説教である。
イエス様はAD30年の過ぎ越しの祭りで十字架にかけられて三日後によみがえったが、その五十日後がペンテコステだった。イエス様が復活して四十日間弟子たちに現れて一緒に話したり一緒に食べたりして、旧約聖書をどのように理解すべきかを教えてくれた。それから十日後に弟子たちがエルサレムで待っているとペンテコステの日に御霊が与えられて、ローマ帝国のいたるところから集まって来ていたユダヤ人三千人が救われてバプテスマを受けた。その人たちはバプテスマを受けてから自分のところに帰ったが、彼らの中にはイエス様のことを深く理解していない人もいるし、イエス様の教えをたくさん聞いている人もいないはずなので、マタイはペンテコステのすぐ後に福音書を書いてローマ帝国のあちこちに送った。私たちがもっている昔の写本の中で、マタイの福音書が他の新約聖書よりも多いし、一番古いのもマタイの福音書だったりする。マタイの福音書は最初に書かれて、昔の教会の中で人気があった。マタイは福音書の中で主イエス・キリストの教えと人生を深く教えてくれた。
パウロの手紙を読んでいる古代教会のすべての人たちは、すでにマタイの福音書を読んでいた。そのマタイの福音書のオリーブ山の説教の中で、イエス様が神殿のさばきについて預言している。旧約時代のエレミヤやエゼキエルも神殿のさばきを預言して、イスラエルの人々はそれがいつなのかとても気にしていた。
キリスト教の最初の十年間はユダヤ人のクリスチャンだけだったで、この人たちは神殿のさばきが来るというイエス様の預言をとても大切にしていたが、それと同時にオリーブ山の説教から教会に七年間の患難の時代が来てイエス様を信じる人たちが大変な試練にあって苦しむことも聞いていた。
彼らにはイエス様を信じることだけが与えられたのではなく、イエス様とともに苦しむことも与えられたのである。イエス様がオリーブ山で説教したのはAD30年で、神殿のさばきと患難はこの世代が終わるまでに来ると預言されている。パウロがピリピ人への手紙を書いたのがAD62年なので、すでに32年たっている。一つの世代はイスラエルの荒野の旅から四十年と考えられるので、イエス様の預言はそろそろ成就するはずだ。新約聖書のすべての書物の上に、イエス様の預言が黒い雲のようにかかっている。この時代を定義するのがオリーブ山の説教である。
それでパウロはピリピの教会に堅忍について話している。彼らが最後まで耐え忍ぶように励ましている。そして単に耐え忍ぶのではなく、続けてキリストを求めて成長するように話している。神の御国を第一にして熱心に走りなさいと言う。パウロは本当の意味で、堅忍してキリストを求める。成長を求める。神の御国を求める。
⚫️キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。 ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。 ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。(3:14~16)
・完全
パウロは「大人(完全)である人はみな」と言うが、前の節では「完全にされたのではない」と言う。同じ「完全」ということばが使われている。これが一つ目のキーワードである。パウロが同じことばを使って違う意味の説明をするのは、ピリピの教会の人たちに考えさせようとしているからである。パウロは完全ではないが、ピリピ教会の中には完全な人がいる、これはどういう意味か。
翻訳の問題ではないと思う。本当に成長しているかどうか、完全になっているかどうか。パウロはまだ自分が成長しなければならないという認識をもって自分は完全ではないと言ったのである。そして成長した人はピリピの教会の中にいるし、パウロも成長した者である。この両方の意味があるのではないかと思う。
このピリピ人への手紙は巻物になっていて、人々はみんな自分の聖書を持っているわけではなかった。だから彼らは日曜日の礼拝でたくさんの朗読を聞いていた。旧約聖書も福音書も手紙も朗読して、一緒に歌ったりしたので彼らの礼拝は私たちの礼拝よりも長かった。ここで朗読を聞かなければ聖書を聞く機会はない。その時に同じギリシャ語のことばが二回とか三回出てきたら気がつくし、考えさせられるし、覚えてしまったはずである。これが一つ目のキーワードである。
・考えなさい。
もう一つのキーワードは「考えなさい」である。このことばも非常におもしろい。新約聖書の中でこのことばは26回使われていて、そのうちパウロの手紙の中だけで23回も使われている。つまりこれは基本的にパウロのことばなのである。パウロの手紙を見ると、ローマ書の中で9回使われている。その他に第一、第二コリントで1回か2回しか出てこない。それなのに4章しかない短いピリピ人への手紙の中に10回も出てくる。ピリピ人への手紙はどのように考えるべきかを教えてくれる手紙である。ピリピ人への手紙の中で一番強調されるのは主イエス・キリストのように考えなさいという2章の教えである。
【ピリピ2:3~8】何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。キリストは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を低くして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
キリストは私たちのことを自分より大切だと思って、十字架の道を歩んでくださった。イエス様のように考えなさい、とパウロは私たちに教えてくれるが、イエス様のように考えることが全てのパウロの手紙の中心なのである。自分のことだけでなく、他の人のことも考えなさい。自分を犠牲にして相手を祝福するように積極的に生きなさい。
⚫️兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。(3:17)
この手紙の中で、パウロは何回も「兄弟たち」と呼びかけている。つまりピリピの教会をとても親しく考えている。
そしてパウロはピリピの教会の模範である。ピリピの教会は最初からパウロの模範をよく知っていた
AD50年頃にパウロはシラスと共に二回目の伝道旅行に出た。途中のデルベでテモテを連れて行き、トロアスでルカが合流してマケドニアに向かった。
マケドニアに着いた四人は最初にピリピの町に行き、安息日にユダヤ人の祈り場があると言われた川岸で、集まって来た女たちに福音を伝えていた。この町にはユダヤ人が少なかったので会堂がなかったからである。そこに紫布の商人でリディアという神を敬う女性がいた。主が彼女の心を開いてパウロが語ることに心を留めるようにされたので、彼女とその家族はバプテスマを受けた。彼女の家はお金持ちだったので、パウロたちを招いて彼らがピリピにいる間ずっと世話をした。
同じくピリピの町に占いの霊につかれた女奴隷がいて主人たちに占いで大きな利益をもたらしていた。この女がパウロたちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道を、あなたがたに宣べ伝えています(使徒16:17)」と何日も叫び続けるので、パウロは困り果て、この女からその霊を追い出した。すると金儲けの見込みがなくなった主人たちがパウロとシラスを「町をかき乱すユダヤ人だ」と町の長官に訴えたので、パウロたちはむちで打たれて獄に投げ込まれた。この獄は深い所にあったので光も入らず、食べ物もなく、寒くて臭くてひどい所だった。そのようなところでパウロとシラスは神を賛美して歌っていたのである。
ある夜、真夜中に地震が起きて牢の扉が全部開き、すべての囚人の鎖が外れてしまった。看守は囚人が逃げてしまったと思って自害しようとしたが、パウロが「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだので看守は二人の前にひれ伏した。看守はパウロとシラスを家に引き取ってむちで打たれた傷を洗った。そしてパウロは看守と看守の家にいる者全員に主のことばを語り、その家の者全員がすぐにバプテスマを受けた。
このようにしてリディアや看守の家族が中心になって始まったのがピリピの教会である。
ピリピの教会の人たちは、自分たちの教会の土台が、苦しみながらも喜んで神を賛美するパウロの証しであることを知っていた。パウロが「自分に倣う者になりなさい」と言うのは、ピリピの教会がこれから苦しむことになるからである。大変な目にあったら、パウロの模範を思い出して、神様に目を留めて、喜んで神様をほめたたえてほしいと思っていた。ピリピ人への手紙で一番よく出て来ることばは「主にあって喜びなさい」である。苦しまなければならない教会は、その苦しみの中で喜ぶことができる教会になる。
⚫️というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。(3:18)
多くの人がキリストの十字架の敵になるとパウロは言う。これはオリーブ山の説教の預言通りのはなしである。
【マタイ24:10~12】そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。
偽預言者の悪い教えや不法がはびこる。教えの問題もあるし、行動の問題もある。しかしパウロは偽預言者や不法を行う者たちを十字架の敵として涙を流しているのではない。ではパウロはどのような人たちを思い浮かべているのだろうか。
デマスという人物を知っているだろうか。コロサイ4:14、第二テモテ4:10、ピレモン24に出て来る人物である。この人はパウロがローマで軟禁状態だったときに一緒にいてくれたパウロの友であった。パウロとともに十字架のために苦しんだ時期があったし、パウロとともに福音を伝える時期があった。しかしデマスはパウロを見捨てて行ってしまった。
【第二テモテ4:10】デマスは今の世を愛し、私を見捨てテサロニケに行ってしまいました。
ピリピ3章ではもちろん直接デマスについて話しているのではないし、デマスがパウロを見捨てたのはもっと後のことである。デマスに似ているような人、パウロと一緒に祈り、福音を伝え、兄弟として歩んだ多くの人が信仰から離れてしまった。背教者が多く出た。その人たちのためにパウロは涙を流していたのである。彼らが何を話しているかは別として、彼らの生活は十字架の敵として歩んでいるようなものだった。
⚫️その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。(3:19)
彼らの最後は滅びである。
ことばの遊びであるが、パウロはこの手紙の中で、形容詞、名詞、動詞を使って繰り返し「最後」ということばを使う。ピリピの人たちが最後まで求めるように、最後にキリストとともにいる、などであるが、十字架の敵として歩む者の最後は滅びであると言う。最後まで堅忍して御国を求めて歩む大人になりなさいと教えながら、十字架の敵として歩む者は滅びると言う。デマスは後にこのような地上のことだけを考える人になってしまった。
イエス様のたとえ話で四つの種の話がある。
鳥に食べられた種…神のことばを聞いても悟らないと、悪者がその人の心に蒔かれたものを奪う。
土の薄い岩地に落ちた種…みことばを聞くとすぐに喜んで受け入れるが、困難や迫害が起こるとすぐにつまずいてしまう。
茨の間に落ちた種…みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐために実を結ばない。
良い地に蒔かれた種…みことばを聞いて悟る人のこと。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ。
アメリカの教会も日本の教会もこの世のことばかり考えて、この世のことを神の御国より大切にしてしまうことが一番の誘惑かもしれない。私たちは迫害にはあっていないが、この世の誘惑に負けてしまう危険がある。この世を愛し、神の御国を大切にしない歩み方は、十字架の敵の歩み方である。デマスが神様から離れてしまった時、パウロは涙を流して祈っていただろう。デマスのような他のクリスチャンについてもパウロは涙を流しただろう。兄弟だと思っていた人たちが十字架の敵になってしまったからである。
私たちはこの世を愛して、この世を求めるのではなく、主イエス・キリストに従い、神の御国を第一にして歩む。私たちはこの心を毎週の聖餐においてあらたにする。聖餐をいただく時に、私たちが十字架の敵として歩むのではなく、イエス様の弟子として歩み、十字架を何よりも大切にして歩むように心をあらたにする。そのことを覚えて一緒に聖餐をいただきたいと思う。
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