「申命記の位置付け」
- churchmitaka
- 3月23日
- 読了時間: 15分
説教者:ラルフ・スミス牧師
「申命記の位置付け」
今週から何週間か、ラルフ・スミス牧師が説教を担当する時には、申命記について一緒に学ぶことになった。
今日は申命記の位置付けについて一緒に考えたい。
・モーセの五書における申命記の位置付け
・旧約聖書全体の中の申命記の位置付け
・福音書の中の申命記の位置付け
⚫️モーセの五書における申命記の位置付け
モーセの五書はモーセが書いたものだが、モーセ自身の人生を考えることと同じである。モーセの人生について、一番明白に簡単にわかる箇所は使徒の働き7章のステパノの証である。それによって私たちは、モーセが最初の四十年間をエジプトで過ごし、次の四十年間をミデヤンの地で過ごし、最後の四十年間を荒野で過ごしたことがわかる。このようにモーセの人生は簡単に四十、四十、四十に分けることができる。モーセの人生は百二十年であった。
モーセが書いた五書の中で、まず出エジプト記から考えてみようと思う。
【出エジプト1:8】やがて、ヨセフのことを知らないたらしい王がエジプトに起こった。
ヨセフを知らない王とは、ヨセフを認めず、尊敬しない王という意味である。この王はイスラエルをいじめるようになった。生まれてくる子が男の子だったら殺せと助産婦たちに命じたのである。しかし助産婦たちが神を恐れて赤ちゃんを生かしておいたので、今度は男の子が生まれたらナイル川に投げ込むようにと命じた。このように王が命じたのは、イスラエルの人数が増えてしまって、エジプトがそれを怖がったからなのだが、じつはそれ以上に深い意味がある。王が認識していたかどうかはわからないが、創世記3:15の約束の子孫が生まれないようにするのがサタンの策略であったのだ。
【創世記3:15】わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。
このような時にモーセが生まれたのである。両親は三ヶ月間赤ちゃんのモーセを隠しておいたのだがが、やがて隠しきれなくなり、母ヨケベテはモーセをパピルスのかごに入れてナイル川の岸の葦の茂みの中においた。この「かご」という言葉とノアの「箱舟」という言葉は同じアークという特別なことばで、しかも聖書の中でこの二回しか出てこないので、モーセの母には「箱舟を作ってモーセを入れれば神様がこの子を救ってくださるにちがいない」という祈りのような意味が込められていたと思う。そしてモーセはファラオの娘に見つけられた。
ナイル川に捨てられたモーセがどうなるか心配で見ていたモーセの姉のミリアムは、モーセがエジプトの王女に助けられるのを見て、モーセの母を乳母として紹介した。このように、神の不思議な導きでモーセはじつの母の元へ戻り、しかも母親は王女からお金をもらって育てることができるようになった。そして母親からヘブライ語を学び、三歳上の兄アロンや七歳上の姉ミリアムと遊びながら育ち、宮殿にいながらも、続けて自分の家族を訪ねることができた。
モーセは宮殿では貴族のような生活をしていた。エジプトの宮殿貴族の生活はかなり厳しいもので、軍や政治などのリーダーになるし、社会的にもリーダーになるので、国際関係を知らなければならない。歴史や軍について学び、料理や天文学も学び、その内容は非常にレベルの高いものであった。このようにエジプトの貴族の子どもの教育はレベルが高かった。この時代(紀元前1500年から1600年にかけて)、エジプトは全世界の中で一番力のある国だった。
モーセは高いレベルの教育を受けて育ったが、モーセが四十歳のある時、イスラエル人の苦役を見て、さらにあるイスラエル人を一人のエジプト人が打っているのを見て、周りにだれもいないのを見てモーセはその人を殺した。ところがそのことが王の耳に入ってしまい、殺されそうになったために、モーセはミデヤンの地(アラビア)に逃げた。なぜミデヤンかというと、一つはエジプトからかなり離れていたということ、もう一つはミデヤンはアブラハムと二番目の妻ケトラの息子から始まった民で本当の神を知っていたからである。彼らはモーセにとって親戚でもあった。モーセがミデヤンに逃げて井戸のそばに座っていると、神の不思議な導きで、ミデヤンの祭司イテロの娘たちが羊に水を飲ませにやって来た。ところが他の羊飼いたちが彼女たちをいじめて追い払ったので、モーセが立ち上がり、娘たちを助けて羊に水を飲ませることができた。
娘たちは父に「エジプト人が助けてくれた」と伝えた。彼女たちにはモーセがエジプト人だとすぐにわかった。なぜならエジプト人の服を着ていたし、エジプト人はすべての毛を完全に剃っていたからである。
父イテロはモーセを食事に招待し、モーセは家族と一緒に食べて、そのまま羊飼いとなり、イテロの家で一緒に住むことになった。
モーセはイテロの娘ツィポラと結婚し、子どもが二人与えられて、そこで羊飼いとなって四十年過ごした。最初の四十年は宮殿で暮らし、次の四十年は田舎の羊飼いの生活をした。田舎の羊飼いといっても、いてろはお金持ちで多くの羊を飼っていたし、しもべもたくさんいたが、それでも宮殿の生活とは全然違う。(出エジプト2章)
イテロの羊飼いになって四十年たった頃、モーセはシナイ山で羊に草を食べさせていたが、そこで燃えている柴を見た。すると主の御使いが柴の中の燃える炎の中で彼に現れて、イスラエル人たちがエジプトで苦しんでいるので、彼らをエジプトから導き出すようにと命じた。モーセは、自分は口が重く、舌が重く、ことばの人ではない、といったのだが、神様は雄弁な兄アロンを送り、二人でエジプトに行くように命じた。(出エジプト記3~4章)
神がエジプトと王をさばき、最終的にモーセとアロンはイスラエルをエジプトから救い出した。(出エジプト記5~12章)
モーセとアロンとイスラエルの民はシナイ山に着き、神様はイスラエルにご自分の祭司の民となることを宣言した。(出エジプト記19章)
【出エジプト記19:4~6】『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』
十戒が与えられた。(出エジプト記20章)
神様はモーセを通して十戒の社会的な適用をイスラエルに教える。(出エジプト記21~23章)
モーセと七十人の長老たちとアロンとヨシュアが神の御前で契約を結ぶ食事をする。これで神とイスラエルの契約は成立した。(出エジプト記24章)
それから、モーセとヨシュアはシナイ山に上り、そこで四十日間過ごして、神様から天幕を作ることと祭司の服についての教えが与えられた。(出エジプト記25~31章)
モーセが山からなかなか下りてこないので、アロンとイスラエルの民は偶像礼拝をしてしまう。そしてレビ族が神の側につき、神のことば通りにその日に三千人を殺した。
モーセは契約を全てあらたにしなければならなくなった。神の怒りの前でモーセはとりなしの祈りをする。良い羊飼いであったモーセはイスラエルの羊飼いとして羊のために自分のいのちをささげる祈りをして神にとりなした。
【出エジプト記32:31~32】そこでモーセは主のところに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯しました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」
モーセのとりなしにより、神様はイスラエルを赦してくださった。(出エジプト記32章)
神様は再び天幕を作るように教えられ、祭司たちの服を作るように教えられた。出エジプト記の終わりには天幕と祭司たちの服が作られている。そして神の栄光の雲がシナイ山から下りて天幕の上にくだる。(出エジプト記40章)
出エジプト記では祭司の任命もいけにえ制度もはっきり教えられていなかったが、次のレビ記で与えられる。
まずいけにえ制度が与えられた。(レビ記1~7章)
モーセが自分の兄アロンとアロンの息子たちを任命して祭司とした。(レビ記8~10章)
神様がイスラエルに祭司の民として清い生活と正しい生活を送ることを教えた。(レビ記11~27章)
イスラエルは出エジプト記19章からレビ記27章までの二年間をシナイ山で過ごした。
こうしてイスラエルはやっと旅に出ることができた。シナイ山からカデシュ・バルネアまで十一日間の旅をした。(民数記10~36章、申命記1章)
十一日間旅をして、モーセはイスラエルの中からスパイを派遣して、神が与えようとしている約束の地を調べさせた。
偵察してきたスパイのうち十人は、自分たちはカナンに住んでいる人たちにはとても勝てないと言った。
【民数記13:31~33】「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」
彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」
しかし残りの二人、ヨシュアとカレブは、カナンの地は素晴らしかったと訴えた。
【民数記14:7~9】「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
ところが民衆はヨシュアとカレブを石で打ち殺してエジプトに戻ると言い出した。
民は神のしるしを見てもそれを信じないで神を侮ったので、神は怒り、民を疫病で打って約束の地を取り上げようとした。しかしここでもモーセは神と民の間に入ってとりなそうとした。
【民数記14:18~25】『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」
モーセが神の御前に立ち、とりなしたので、神は赦してくださったが、最初の世代は荒野で死ななければならなかった。(民数記13~14章)
モーセは最初の二年はシナイ山にいて、後の三十八年は神に逆らうイスラエルと一緒に荒野を旅しなければならなかった。ちょうど四十年目の1月にミリアムが亡くなった。ミリアムはモーセより7歳上であった。
それから民数記20章のところで、イスラエルはまた水がないと言って神に文句を言い始めた。これは最初に旅に出た頃の出エジプト記17章と同じような状況だが、それから三十八年たってそろそろ約束の地に入る段階になっても、まだイスラエルは神に逆らって文句を言っていた。それで神様はモーセに岩に命じれば水が出ると言われた。
【民数記20:7~8】主はモーセに告げられた。「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」
神様は、出エジプト記17章では水のために杖で岩を打てと命じられたのだが、ここでは水のために岩に命じなさい、と言われた。ところが、モーセは杖で岩を打ってしまった。
【民数記20:9~11】そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、主の前から杖を取った。モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
聖なることにおいて、モーセとアロンは罪を犯してしまった。
【民数記20:12】しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
言い方として、ちょうどアロンの二人の息子ナダブとアビフが異なった火をささげて罪を犯した時と同じような言い方である。
【レビ記10:1~3】さて、アロンの子ナダブとアビフはそれぞれ自分の火皿を取り、中に火を入れ、上に香を盛って、主が彼らに命じたものではない異なる火を主の前に献げた。
すると火が主の前から出て来て、彼らを焼き尽くした。それで彼らは主の前で死んだ。
モーセはアロンに言った。「主がお告げになったことはこうだ。『わたしに近くある者たちによって、わたしは自分が聖であることを示し、民全体に向けてわたしは自分の栄光を現す。』」アロンは黙っていた。
ナダブとアビフのようにモーセとアロンも死ななければならなかった。アロンは5月に死んだ。(民数記20章)
モーセは四十年目の11月1日に自分の最後のことばとして申命記を語り始めた。ちょうどヤコブが死ぬ前に、創世記49章で息子たちを集めて祝福した時と同じである。(申命記33~34章)
このようにモーセの人生において申命記は大きな意味を持つ。
⚫️旧約聖書全体の中の申命記の位置付け
ヨシュア記の最初のことばは「そして」。
士師記の最初のことばも「そして」。
ルツ記の最初のことばも「そして」。
第一サムエル、第二サムエルの最初のことばも「そして」。
第一列王記、第二列王記の最初のことばも「そして」である。
つまり、申命記から第二列王記までの書物は「そして」でつながっている。
第一歴代史の最初のことばは「アダム」。つまり文学的にはっきりと違う書物が始まっている。
申命記から第二列王記までは申命記的書物という言い方があるが、それはこのような罪を犯したら神に呪われてさばかれて、神に従ったらこのように祝福される、という同じテーマで語られているからだ。そして申命記の最後の警告の中で、神に逆らったらあなたはこの国から追い出されると書いてある。それが第二列王記で成就して、ユダはバビロンの王ネブカドネツァルによってバビロンに捕囚されてしまった。紀元前586年のことである。申命記の預言通りにイスラエルの歴史はずっと動いていたことを、ヨシュア記から第二列王記までで見ることができるようになっている。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルのような預言者たちもモーセが書いた申命記の中の呪いと祝福を考えてユダを考えたり叱ったり取り扱ったりする。このように申命記は旧約聖書の中で大切な役割を果たしている。
⚫️福音書の中の申命記の位置付け
三つのことがある。
1、イエス様が洗礼を受けた後、サタンに荒野で誘惑された時に、イエス様は申命記を引用してサタンに答えている。イエス様はご自分がイスラエルの意味を成就する方であることを認識して、イスラエルの荒野でのことを瞑想しながらサタンに答えている。
2、オリーブ山の説教もマタイ、マルコ、ルカの三福音書に書いてあるが、エルサレムがさばかれて破壊されて、神の民がさばかれることをイエス様が預言している。これも申命記の呪いのことばと同じである。ネブカドネツァルが神殿とエルサレムを破壊したのと同じようなことがこの世代が消えるまでに起きる。これが実際にAD70年に実現してしまった。モーセが申命記で語ったように、神の民が神に逆らったらこのようなさばきを受ける。
3、イエス様が弟子たちと共に過ごした最後の晩のことである。ヨハネ13~16章で、イエス様は繰り返し申命記のことばや表現をかりて語っている。イエス様が死ぬ前に弟子たちに与える最後の教えである。モーセが死ぬ前にイスラエルに語ったように、イエス様も十字架へ行く前に弟子たちに最後の教えを語る。イエス様はモーセ、ヤコブのことを考えている。ダビデも死ぬ前にソロモンに最後のことばを語るが、そのことも思い出していると思う。
申命記はイエス様の人生において大きな意味を持っているし、旧約聖書全体の中でも一番影響を与えている書物かもしれない。
【詩篇119:1】幸いなことよ 全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。
ダビデは、神様の律法、神の教えを思い、瞑想することを繰り返して、神の教えを愛している。申命記のみとは限らないが、申命記は特に大切だと思う。ダビデが神様の教えを愛して毎日瞑想するのは申命記17章で命令されているからだ。
【申命記17:18~20】(王が)その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。
それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。
イスラエルに王が与えられたら、その王は祭司の前に座って自分の手で申命記を書き出して、それを毎日読むように命じられている。
1450年頃にグーテンベルグが印刷機を開発して、1600年頃、シェイクスピアの時代になるとかなり本が広まっていた。しかしモーセやダビデの時代には、一般の人は本を持っていない。会堂で朗読を聞いたり、神殿で朗読を聞いたりするしかなかった。エズラの時代には、朗読する時にはみんな何時間も外に立って聞いていた。
今では私たちは聖書を五分も読まない。
王は自分の手で書かなければならないので、書くことも読むこともできなければならなかった。そして一般のユダヤ人も王に対するこの命令を聞くときに、自分たちとは関係ないとは思わなかった。彼らは、たとえ書物を持つことができなくても、書くことができなくても、みことばを心に刻んで、神様の御教えやモーセの律法を覚えて、毎日それを行うべきだと思っていた。
旧約聖書の中でも、新約聖書の中でも、申命記がどんなに大切な書物であるかを今日は考えた。私たちは、申命記も聖書全体も真剣に求めて、みことばを心に刻み、みことばを喜ぶものとして成長しなければならないと思う。
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