「神のプラン」創世記3:1~24
- 2025年8月17日
- 読了時間: 15分
説教者:ギャレット・クロウ牧師(Garret Craw, アメリカ テキサス州 キングスクロス改革派教会 主任牧師)
創世記3:1~24
さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」
神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。
今日の説教箇所は創世記の3章です。
私のテキサスの家の草を刈るために、プランによれば53cmの草刈機がちょうど良いサイズでした。しかし40cmのものがセールになっていたので私はそれを買ってしまいました。つまり、私はプランを信頼しないで安い方を買ってしまったわけです。そのおかげでこの暑いテキサスの太陽の下で、草刈りに何ヶ月も余分な時間をかけることになってしまいました。それで結局53cmの草刈機を買い直すことになってしまったのです。私は大変な思いをしてプランが正しかったことを学ぶことになり、草刈機がもう13cm必要だったことを知りました。
アダムとエバの上にも神のプランがありました。彼らは神を信頼して、命令に従う必要がありました。
今日、私たちも創世記3章から神の知恵を見て、神のプランを信頼すべきだということを一緒に学びましょう。同時に神への信頼を破ることとその結果も見ます。
まず神への信頼を破ることから見てみましょう。
⚫️さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」(創世記3:1~15)
ここに出てくる蛇は、他のどれよりも悪賢い動物でした。このあと、蛇への呪いのことばが出てきますが、蛇は腹這いで動き回り、一生ちりを食べることになります。この蛇は小さい爬虫類のイメージではなく、大きな蛇に足がついたドラゴンのようでした。
蛇はエバに本当のことをいくつか言いますが、それを少しひねって伝えます。
【創世記3:1b、4~5】「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。…あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
ここに出てくる神は「エロヒーム・ヤハウェ」つまり主なる神です。ここではただ神として呼んでいます。
【創世記3:2~3】女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
エバは神の命令に一言付け足します。神様は「それに触れてはいけない」とは言っていませんでした。ストーリーが続いていくとこれが大切なポイントになります。
⚫️そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。(創世記3:6~7)
エバは自分の欲に引かれて、のちに出てくる十戒の命令を破り、自分に与えられていないものを取ろうとしてしまいました。
その木は見るからに良さそうで、賢くしてくれそうで、好ましい木でしたので、彼女は食べてしまいました。彼女が食べた時にアダムもその場にいたので、アダムも一緒に食べました。 アダムはそこで蛇を砕くはずだったのに、妻の言葉を受け入れてしまいました。この罪の報いがどれだけ小さいかに気づいていただきたいと思います。彼らは自分の目が開かれた時に、この宇宙のすべての隠されている謎を知ることができるようになると思っていました。もしかしたら体に何か新しい変化があると思ったかもしれません。
しかしその代わりに自分たちが裸であることに気づいて恥を感じました。それで罪を隠すために葉っぱを使ってみじめな服を作りました。私たちも同じように惨めな服で自分たちの罪深さを隠そうとしますが、そこにはまるで神様からも隠そうとしているような思いがあります。
⚫️そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」(創世記3:8~13)
これは園の中の通常の生活パターンに見えます。この時は園が出来てからとても短時間の出来事で、もしかしたら一週間しか経っていないかもしれません。
園の中で、アダムとエバは神様と定期的に会う時間がありました。でもこの順番に気づいてください。神様はまず男性に声をかけます。神様はアダムに「あなたが何をしたか知っていますよ」と言ってさばきを宣言することもできたはずです。しかし神様は恵み深く質問をします。
ここで代わりに何が起き得たか想像してみてください。堕落して彼らの目が開かれます。神様が彼らに声をかけた時に、もし彼らが「私たちは罪を犯しました。赦してください。私たちはあなたの命令を破りました。どうか憐れんでください。」と言ったなら、堕落はなくならないとは思いますが、神様はどんなに恵み深くアダムとエバを扱ってくださるでしょうか。
しかしこの二人は、私たちがいつもやるようなことをします。自分の立場を変えずに他の人のせいにします。男性は女性のせいにします。神様のせいにもします。アダムは「あなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれた」と言いました。
女性は蛇のせいにします。これでアダムとエバは神様の信頼を失いました。この結果を次の14節から見ていきましょう。
⚫️神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:14~15)
蛇は地面まで引きずり下ろされて、一生ちりを食べます。これは旧約聖書でよく出てくるテーマです。神様の敵は低くされてちりを食べるのです。これで人類とサタンの間に争いが続きます。毒蛇は私たちがそれを忘れないために存在しています。先週私たちは山梨のユースキャンプに行きました。そこにマムシがいました。マムシは草むらに隠れているので気をつけて歩きます。そうでないと私たちのかかとにかみつきます。
しかし15節に初めて福音の約束が出てきます。その約束はこのように訳すことができます。「彼はあなたの頭を潰して、あなたは彼のかかとを潰す。」
ポイントは、蛇がメシアのかかとを打って、メシアが蛇の頭を打つということです。
メシアはかかとを釘で刺され、その手首を釘で刺され、そして十字架で死にます。しかし三日目に永遠のからだをもって復活します。
サタンは頭を潰されます。
子を産むことは全ての女性が望むことですが、それは苦しみになります。堕落の前に子を産むことはなかったのでわかりませんが、これからは出産は堕落を思い出させるものになります。女性も赤ちゃんも死ぬことがあります。夫と妻の間にも争いがあったりします。どこでも見られます。結婚している人たちはみんなそれを感じるでしょう。
男性は家族を導くはずなのに、どんな妻でも夫に対して不信を感じることがあるでしょう。それは最初の夫が園の中で妻を守らなかったからです。女性たちは夫の立場を奪おうとします。男性は大きくて強くいので、女性を抑圧しながら導こうとします。自分の妻に対してDVをする夫がいますが、そのような夫のところに妻が戻って行ったりします。世界は堕落後にひね曲げられてしまいました。
⚫️また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」(創世記3:17~19)
アダムが神ではなく妻の声に耳を傾けたので、地は呪われてしまいました。アダムが神様から与えられた使命は自分の妻を守り、園を守ることでした。でも蛇がエバを誘惑した時に、アダムは何もせず、ただ立っているだけでした。エバはその木の実を見て、眺めて、触りました。それを見て、アダムはエバを実験台として使ってみようと思いました。エバはその実を取って食べましたが、すぐに死ななかったので、アダムも食べました。二人ともすぐには死にませんでした。神様は嘘をついたのでしょうか。
しかし神様の呪いの言葉は続きます。アダムが妻の声を聞いて、食べてはならないと言った木から食べたので、地は呪われてしまいました。自分の夫あるいは妻が神の言葉に反することを言ったら、それを聞き入れることをしないように気をつける必要があります。私たちは父と母を敬うように命じられていますが、だからといって、父も母も神に逆らってはならないのです。あなたの上司が神の言葉に反することをやりなさいと言っても、あなたは神の言葉に従う必要があります。あなたの周りの社会が神の言葉に反することをさせようとしても、あなたは神の御言葉に従うべきです。
園の地はいのちを与えるものだったのに、これからは死を与えるものになりました。
園で神様が与えた木の実は取って食べることができたのに、今度はいばらから汗をかいて食べ物を得ることになりました。
私たちはちりからいのちに上っていのちの木の実から食べる者だったのに、今度は逆にちりに戻るものになりました。灰から灰へ、ちりからちりへと戻るものになりました。
⚫️人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。(創世記3:20~24)
アダムは妻にエバという名前を付けました。エバは生きるものすべての母だからです。これはとても深い概念です。これを見失うと物事が混乱します。エバはアダムの脇腹から出てきました。しかしこれから全ての人間はエバの娘たちから生まれてきます。 女性はいのちを与えます。男性はいのちを奪います。
そして、人間は死を身に付ける必要がありました。つまり服が死を表すものとなります。彼らが使った葉っぱは服としては十分ではありませんでした。これからは動物の皮で作られた服を着ます。自分たちの罪のために、血が流されなければならなかったからです。彼らはもはや無邪気な子どもではなく、逆らっているティーンエイジャーのように園を追い出されて東の方に行きました。振り向くと、園の門は東に向かっていました。
でもここで話は終わりません。ここで終わったら悲劇です。
園は神の臨在を表す場所で、神の住まいです。しかし人間が二度とそこに入れないように、ケルビムが燃える剣を持って守っていました。人類は園の東にいます。
天幕と神殿が作られた時も、門は東を向いていました。
その中庭にはレビ人以外は入ることが許されていませんでした。
そして神の家の中には祭司たち以外は入ることが許されていませんでした。
天幕や神殿の中心である至聖所、つまり神の園の中心を表す場所には大祭司のみしか入ることが許されていませんでした。そして至聖所の真ん中には、神の臨在を表す契約の箱が置いてありました。壁にはザクロやなつめ椰子の木が描かれていました。つまり神殿と至聖所は象徴的な園でした。
年に一度だけ、大祭司は恐れながら、世界を代表してその至聖所に入ります。象徴的なケルビムがあちこちに描かれていて、特に聖所と至聖所を分ける幕にケルビムが描かれています。人間は堕落したのでその中に入ることはできません。しかし決定的ないけにえがささげられたことにより、その中に入ることができるようになりました。ケルビムはいのちの木を守っていますが、イエスが十字架上で死んだ時に、そのケルビムを取り除きました。
【マルコ15:37~38】しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
これでやっと人類が再び園に招かれました。福音とは、イエス・キリストが園の呪いを取り除いてくださったという知らせです。しかしイエスの再臨まではこの世は前と同じように進みます。私たちの役割は、アダムとエバとは違い、神のプランを信頼することなのです。
テキサスの私の家に大きな箱が届きました。その中に部品が入っていて、何百もありましたが、その箱の底にはマニュアルがあり、その通りに作るのがプランであると感じました。何時間も働いた後に出来上がったのは私のワークデスクでした。それを見て私はとても満足しました。自分の思い通りにやったのではなくて、プランを信頼してやったからです。
神様にはアダムとエバのためのプランがありました。しかし二人は自分たちのやり方で生きようとしてしまいました。
この神様のプランは今朝も続いています。人が成長して栄光を受けるプランです。でも今、私たちは長い遠回りの苦しみに満ちた道を歩む必要があります。私たちの役割は神のプランを信頼してそれに従って歩むことです。今朝、私たちは創世記3章で、神の信頼を破ることとその結果を見ました。みことばは私たちが神のプランを信頼するように勧めています。主にのみ栄光がありますように。
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