「陰口と真実を語ること」
- 2月1日
- 読了時間: 11分
説教者:ベンゼデク・スミス牧師
二週間後に四旬節が始まります。四旬節とは復活祭までの四十日を指します。この四十日間は、私たちが自分の罪を悔い改めて、イエスの十字架を思う時になります。
私は三年前に、説教で七つの大罪に関するシリーズを取り上げました。これからは四旬節のたびに似たようなことをしたいと思っています。
今回は七つの大罪に戻るのではなく、コミュニティの中でも社会の中でもよくある罪を認めて、そこから私たちが求めるべき善に向かわせるように話したいと思います。
今日話すトピックは「陰口と真実を語ること」についてです。
二年半ぶりのトピックについての主題説教です。
初めて陰口に話すことになりますが、最後にはならないと思います。どの教会でも頻繁に話す必要があると思いますし、私が牧師として務める最後まで話す必要のあることだと思います。
まず最初に大切なことを言いますが、私が何かの罪について話すと、後でいろいろな人が私のところにきて、「あの説教は私のことですか」と聞いてくるのですが、「はい、そうです。あなたについてです。」というのはつまり、私たちみんな、私も含めて一人一人に対する話しなので、ある特定の人のことについて考えてほしいわけではありません。そうではなくて、御霊が一人一人の心のうちに働いて、みんなが自分の罪を認めて、キリストの義を見つめて、その義に近づくことを求めています。
隣人の罪を悔い改めることはできません。隣人の罪に注目すると自分の罪を見落とします。ですから、私たち一人一人が「自分の目の中の梁(はり)」に集中すべきであり、兄弟の「目の中の塵(ちり)」を気にしてはいけません。
私たちが重い罪を考えた時に、口で犯す罪のことを考えないかもしれません。他人に怪我をさせることはすごく悪いことだとみんな分かっていますが、じつは人の名誉や評判やその人との関係性に害を与えることも大変な罪なのです。
聖書では、しばしばこの陰口について語っています。神様はこのような罪を憎んでいると書いてあります。
【箴言6:16】主の憎むものが六つある。いや、主ご自身が忌み嫌うものが七つある。
このように書かれている時、最後の六つ目と七つ目に強調が置かれています。この箴言6章では、六つ目が「まやかしを吹聴する偽りの証人」、七つ目が「兄弟の間に争いを引き起こす者」、となっています。
律法でもよく言及されています。
【レビ記19:16】あなたは民の中で人を中傷して回り、隣人のいのちを危険にさらすことがあってはならない。わたしは主である。
新約聖書を見てみますと、パウロの書いた手紙の中に、人間が犯す最も悪い罪の中に中傷や陰口が含まれていると言います。
【ローマ1:28~31】また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。
ローマ1章の後半は、パウロがローマの人々に罪の深さについて話しているところです。
旧約聖書を見ると、特に詩篇、箴言、律法に口で犯す罪のことがよく出てきます。ダビデもその王国も陰口や中傷によって滅びるものだったのです。
新約聖書では、福音書も使徒たちの手紙でもよく言及されます。イエスも偽証によって十字架にかけられました。使徒たちが書いた手紙を見ると、新約時代の教会は、うわさ話、ささやき、陰口、中傷、悪口、ののしりといった罪に満ちていました。これらはどれも、家族、コミュニティ、教会を破壊する力のある危険な罪です。
ニュースを見ると、生放送で中傷によって国々を滅ぼしていることがわかります。
日本ではまもなく選挙が行われます。主が日本を偽りから守って下さるように祈りましょう。
たくさんある中で八時間もここで説教するのはよくないので、今日は「陰口」に絞りたいと思います。
他の似たような罪もありますが、今日は陰口に集中しようと思います。
陰口とは何でしょうか。
これはあまりにも日常的なことなので、私たちはその実態を十分に認識できていないという問題があります。よく耳にしたり自分でもやっていると、それが陰口だと気づかない場合もあります。
だから陰口の特徴を考えてみたいと思います。
陰口は人について嘘をつくことだけではありません。場合によっては嘘をつかずに、いわゆる事実しか言わずに陰口を言うこともできてしまいます。また、陰口とは人について単に否定的、批判的なことを言うだけではありません。(もちろん批判も否定も必要な場合もあります。)
陰口にはいくつかの特徴があります。
一つ目は、真実を曲げることです。
・ だれかの過ちを大げさに言う。
・ 肝心な情報をあえて省く。
・聞いている相手を怒らせるように仕向けて惑わす。
二つ目は、話す相手を間違えることです。
・話すべき相手に話さないで、必要のない第三者に話す。
・解決する責任のない人に話す。
・聞く必要のない相手に話す。
三つ目は、話している相手の視点をコントロールすることです。
・事実を伝えて相手が自分で判断できるように話さないで、特定の結論に至るようにコントロールし、操ろうとする。
・英語では「control the narrative」と言って、事実を提示するのではなく、解釈・結論を支配しようとします。
・その人はまだ関わっていないから、こちらからまず話す。
【箴言18:17】最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。
これを利用したいのです。
・事情があまりよく分からない人、自分を正当化するほど知識がない人と、公の場を避けて反対者のいない場で話す。
四つ目は、中傷の相手に怒りやねたみがある。
・心のどこかでその人の評判や人間関係を破壊したいという気持ちがある。
・動機についてまず自分に嘘をつく。
【詩篇15:1~2】主よ だれが あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが あなたの聖なる山に住むのでしょうか。全き者として歩み 義を行い 心の中の真実を語る人。
ヤコブにもこのようにあります。
【ヤコブ1:26】自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
自分を欺いて舌を制御していないなら、その人の宗教はむなしいのです。私たちは「ただ心配だから一緒に祈りましょう」とか「相談に乗ってください」と言いながら、自分の心を欺いて陰口を言ってしまうことがあります。
では私たちはどうすれば陰口を言わずに自分の舌を制御できるのでしょうか。五つあります。
一つ目に大切なのは、自分の心の中で真実を語り、自分を欺かないことです。自分が善意でやっているからと言って、それが良いことだと思い込まないことです。神様は偽りを憎んでいます。偽りは悪魔の手段だからです。
【詩篇101:5】陰で自分の隣人をそしる者を 私は滅ぼします。高ぶる目とおごる心に 耐えることはできません。
神様は私たちの心の中を、私たち以上によく見ておられます。神様を欺くことはできません。そして私たちをさばくのはその神なのです、
【ヘブル4:13】神の前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。
ですから、私たちが祈る時も、自分に対しても、人に対しても、神を恐れて真実を語ります。
二つ目に大切なのは、自分の罪を神に正直に告白することです。必要があるなら、自分の兄弟にも告白して許しを求めることです。そこまでするのはものすごい勇気と謙遜が必要です。
三つ目に大切なのは、関係ない第三者ではなく、話すべき人に面と向かって話すことです。これも勇気が必要です。
陰口とは臆病者の手段なのです。自分が的(まと)にならない状態で相手を攻撃する手段なのです。だから正しい相手と話すことがとても大切です。
もし自分に問題があるなら、その問題を解決する責任や力がある人と話すことが大切です。
自分にはどうすることもできなくて心の中が荒れているのでどうすればいいかわからない時には、霊的に成長している人、自分を霊的に導いている人と直接話すことが肝心です。そのような人は他の人を見下したり、うわさ話を広めたりしないからです。
四つ目に大切なことは、自分がだれかについて偽りを語ってしまったり、怒りをもって語ったことがあるなら、自分が話した相手のところに戻って、自分の言葉を正す必要があります。そうは言っても不可能なことかもしれません。その人に自分の秘密をバラしてしまったら、その秘密をその人が忘れるということはないし、だれに話したかを知ることもできないし、与えた印象や感情はある程度は残ります。だからこそ、最初から陰口を言わない方がいいのです。
五つ目に大切なことは、陰口を言った相手を祝福することです。愛するとはその人の祝福を求めることです。自分が兄弟を憎んでいる限り、必ず害を与える言葉を言ってしまうので、相手を祝福し、愛し、許していないなら、その人を心の中で許して祈るところから始めなければなりません。そして自分の言葉を、その人の評判や人間関係を守るために使うべきです。
【箴言16:28】ねじれものは争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。
私たちの言葉は、兄弟同士の愛を支え、評判や関係を守るためのものであるべきです。
私たちの言葉は一致と平和を作るものでなければなりません。これが兄弟を愛することなのです。
【マタイ5:9】平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
真理を語るのは、ただ事実を語ることだと思わないでください。神の真理を語るのです。神の真理は愛と祝福です。神の真理は兄弟愛から引き離すことはできません。
【エペソ4:29】悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
ここでパウロは二つのことを言います。
一つは悪いことばをいっさい口から出さないこと。
二つ目に、恵みに満ちたことばを語りなさい、と言います。このエペソの箇所には続きがあって、このパターンを繰り返します。
【エペソ4:31~32】無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で許し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを許してくださったのです。
無慈悲や憤りをすて、優しい心で許し合いなさい、とパウロは言います。
私たちには気づかないことが一つあります。というのは、自分は陰口を言わないと決めていても、陰口を聞いてしまうことがあります。それも問題を大きくすることになります。
【箴言26:20】薪がなければ火が消えるように、陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。
同じように、陰口を聞く人がいなければ、陰口は止みます。だから陰口を言わないだけではなくて聞かないことも大切です。私は関係ないのにどうしてこの話をするのかと思うなら、「この話を聞く必要はありません」、と言ったり、話題を変えたり、その場から離れてください。
霊的に成長しているコミュニティなら、陰口によって人に害を与える力を失います。なぜならだれも聞かないし、繰り返さないし、広めないからです。そもそも陰口を聞いても信じません。成長したクリスチャンは自分が耳にした言葉をそのまま信じることはしません。たとえ自分が嫌いな人についての陰口だとしても信じません。
私たちが批判的に見ていて対立している人の陰口を聞いたら、根拠がなくても飲み込んでしまう傾向があります。しかしそうではなくて、自分の敵についての陰口だとしてもその人の評判を守り、偽りからも守るように努めるなら、敵を愛することにつながります。このように振る舞う教会も、家庭も、学校も、会社も、国家も祝福されます。
「サタン」という言葉の意味は「告発者」です。サタンは私たちの兄弟を昼も夜も神の前で訴える者です。しかし私たちはサタンのようではなく、キリストのようになる必要があります。イエス・キリストは私たちを弁護するお方です。
【第一ヨハネ2:1】もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。
罪を犯した者に対するとりなしをするのはサタンの真反対です。イエス様こそが、詩篇15章に出てくる全き者、神の聖なる山に住む権利があるお方です。イエスこそが心の中の真実のみを語るお方です。なぜならイエス・キリストご自身が真理であり、真実だからです。
そしてイエスは勇敢に直接悪者と話しました。パリサイ人たち、祭司長たち、ピラト、ヘロデに面と向かって話しました。そしてイエスは咎なき者を中傷しないどころか、私たち罪人のためにとりなしをしてくださいました。そして十字架上で、彼らをお赦しください、と祈ります。イエスこそ、損になたときに、誓った言葉を変えませんでした。ご自分の契約を守るために十字架にかけられました。それは私たちが契約を破ったからです。つまり私たちは詩篇15篇の全き者ではありません。しかし私たちがキリストにあるなら決して揺るがされません。それどころか、主の聖なる山に住み、永遠にその食卓に着けるようにしてくださるのです。
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