「主はまことによみがえられた!」
- 4月5日
- 読了時間: 7分
説教者:ベンゼデク・スミス牧師
イースターの挨拶をしましょう。
牧師「ハレルヤ!キリストはよみがえられた!」
会衆「主はまことによみがえられた!ハレルヤ! 」
キリスト教の一年間の暦の中で、一番喜ばしい日、うれしい日はいつですか?
もちろんクリスマスは救いの始まり、救いの第一歩ですが、救い主が現れた瞬間にすぎません。その勝利はまだ先にあります。そして、勝利までの道のりにはたくさんの苦しみが待っています。
イエスが生まれた時に、シメオンはマリアに次のように預言しました。
【ルカ2:34】シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
これは聖金曜日、イエスが十字架にかけられた日のことを預言しています。聖金曜日は教会暦の中で一番悲しい日です。十字架は確かにまことの栄光であり、勝利の時なのですが、それと同時に血まみれで苦しみの時なのです。
しかし、三日目に復活したイエスを目の前にして、やっと十字架の意味がわかります。この瞬間に、三日前のあの出来事を悟ることができるのです。
復活祭になって、やっと私たちは、御子イエス・キリストが神に従う忠実なしもべとして死んだことがわかったのです。だから神様はイエスをよみがえらせて、義と認められました。そして、イエスが私たちのアダム、私たちのかしらとして死んだのは、私たちもイエスとともに死に、そしてイエスとともに復活して高く上げられるためなのです。
イースターがあるからこそ、クリスマスは私たちの王であり救い主であるイエスの誕生を祝うのです。イースターがあるからこそ、聖金曜日は死と罪に対する勝利となります。そしてイースターがあるからこそ、私たちの人生も、徐々死に向かいながら、その先にある復活に向かっています。だから、教会暦の中で一番喜ばしい日は、クリスマスではなくてイースター、復活祭なのです。
そのため、今日の礼拝では、賛美が一つ増えています。特別賛美もあります。特別賛美はすべての歴史そのものであるイエスの存在と神の働きを踊りとして見る曲です。聞いていると踊りたくなります。
礼拝の後は愛餐会が用意されています。美味しいものがたくさんあって乾杯もあります。私たちはこの日を喜ぶのです。
でも今日は、それ以外にもう一つ喜ぶ理由があります。赤ちゃんの洗礼式があるからです。復活祭は洗礼を行うのにとてもふさわしい日です。なぜなら今日、私たちの目の前で赤ちゃんはイエス・キリストとともに死に、そしてイエス・キリストとともに復活するからです。パウロがコロサイ人への手紙で次のように話しています。
【コロサイ2:12】バプテスマにおいて、 あなたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。
今日はなごみちゃんが生まれて約1か月たちますが、今日、もう一度新しく生まれます。そして私たちはイエスの名によって、彼女が罪の赦しを受けることの証人となります。洗礼式の終わりに彼女は主の食卓につき、新しく生まれた神の子として初めて、私たちとともにイエス・キリストをいただきます。彼女は私たちの姉妹となって永遠の家族に加わり、その食卓につくのです。
過越しの祭りは、本来、家族が集まって食べる祭りでした。家族ごとに集まって子羊を食べます。子どもたちも含めて、その家にいる人全員がみんな集まって食べるのです。それなのに、イエスは最後の晩餐を自分の家族ではなく、弟子たちとともに過ごし、食事を食べました。それ以来ずっと、教会はこの家族の食事を教会で一緒に食べるのです。なぜなら、イエス・キリストの永遠の家族の境界線は、このイエス・キリストの食卓だからです。この食卓に集まる者はイエスの兄弟、家族であり、私たちの家族です。今日、私たちはこの家族に新しいメンバーを迎え入れます。
彼女を私たちの姉妹として迎え入れ、愛することを約束します。神様は彼女を娘として迎え入れてくださるからです。
この洗礼を授けるのはイエス・キリストご自身ですが、私たちもじつはやることがあります。
第一に、私たちは自分たちが誓った誓いを思い出します。そして、新たにその誓いを守ることを決心します。聖い人生を送ることを決心します。
第二に、なごみちゃんが今日誓ったことばを守ることができるようにサポートし、支えることを約束します。彼女のために祈り、ともに歩み、彼女がからだにおいても、心においても、たましいにおいても祝福を受けるように求めることを約束します。
第三に、私たちの周りの洗礼を受けた人たちすべてが、その誓いを生涯守ることができるように助け合う責任があります。洗礼を受けた民として忠実に生きることができるように助け合うのです。
第四に、まだ洗礼を受けていないなら、洗礼について考えて祈ってください。自分もこの祝福にあずかるかどうかを考えてください。
私たちは洗礼を受けた者としてどのように生きるべきなのでしょうか。パウロはコロサイの手紙で次のように話しています。
【コロサイ3:1~2】こういうわけで、あなたがたは、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
上にはイエスがいて、神の右に座しています。そして聖餐式の時に、私たちもみんなキリストとともに引き上げられ、主の食卓に連なって座り、イエス・キリストをいただきます。そのことを覚えて私たちも変えられましょう。
今日はじつに喜ばしい日です。それは、イエス・キリストの十字架と復活にある勝利が、なごみちゃんのものになるからです。そして、それはすでに私たちのものだからです。
イエスを信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しを受けることができます。ペテロの言葉を読みましょう。
【使徒の働き10:34~35】そこで、ペテロは口を開いてこう言った。「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、
どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。
それはユダヤ人だけでなくローマ人も、西洋人だけでなく東洋人も、もちろん日本人も受け入れられます。
なごみちゃんはその証しです。漢字で書くと平和の『和』。大和の人たちもこの救いに招かれています。すべての人は私たちの父なる神に、そしてイエス・キリスト自身に招かれているのです。さらに私たちは、この救いについて、すべての人に宣べ伝えることを命じられています。
【使徒の働き10:42】そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。
クリスマスにイエスが生まれたことは、多くの人が知っています。また、イエスが十字架で殺されたということも、だれでもそう思っています。しかし、イエスが復活の日、イースターに復活したと信じているのはクリスチャンだけです。それを信じていればクリスチャンになれます。だから、この日を喜びと思えるのは、信じている者たちだけなのです。
ですから、私たちはこの日をよりいっそう喜びとして、公に喜ぶべきです。本来、復活祭はお祭りです。伝統的には、道に出て、踊りながら行進します。これはユダヤ人の時代から続いている祭りの祝い方ですが、日本人もお祭りは見慣れていると思います。本来はそれだけ公に、私たちの喜びを表したいのです。つまり、私たちはこの日にイエス・キリストは復活したと本当に信じている、それを証ししたいのです。
私たちがそれを信じているのならば、抑えきれない喜び、感謝、賛美に溢れているはずです。だから、イースターは一年の中で一番喜ばしい幸いな日なのです。
これは主が設けられた日。この日を楽しみ、喜ぼう。
ハレルヤ!キリストはよみがえられた!
まことにキリストはよみがえられた!ハレルヤ!
父と、子と、聖霊の名によって、アーメン。
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