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「イエス様の復活」ルカ24:1〜12・使徒の働き10:34〜43

更新日:2023年2月18日

説教者:ラルフ・スミス牧師


ルカ24:1〜12

週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からわきに転がされていた。そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」彼女たちはイエスの言葉を思い出した。

そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。



使徒の働き10:34〜43

そこで、ペテロは口を開いてこう言った。「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事柄をご存じです。

それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒されました。それは神がイエスとともにおられたからです。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。預言者たちもみなイエスについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」

今日は、実に驚くべきイエス様の復活を記念する礼拝である。それで四つの観点からイエス様の復活を考えていきたいと思う。

・福音書におけるイエス様の復活のストーリー

・復活の話の真実

・復活の世界観

・復活を信じる者の使命

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書は、イエス様の復活のストーリーを少し違うように話している。その違いがキリスト教に反対する無神論者に攻撃されているところなのだが、反対されるような変な話は何もない。例えば私たちの中の四人が今日の出来事を簡単に1ページに書いたとしたら、それぞれの話はいろいろ違っているはずだ。それぞれが真実を話していても、強調する部分や、自分にとって大切なことや、目的が違うなら、矛盾するように見えるのは普通のことである。裁判などでよくみられる。福音書は一人が証言していて、その証言について質問したりしないので、矛盾に見えることもある。私たちが聖書を読んでそれを考えるのである。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書はこの順番に書かれている。

マタイはAD30年、マルコはAD40年、ルカはAD50年、ヨハネはAD60年、大雑把に言えばこのような年代に書かれている。


マタイはユダヤ人に向けて福音書を書いたので、聖書が成就されるために「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」から始まっている。マタイがユダヤ人に向けて福音書を書いたのは、AD30年にはユダヤ人しかいなかったからである。マタイは当然ユダヤ人にイエス様がメシアであると話している。


マルコの福音書にはイエス様がどのように生まれたかは書かれていない。伝統ではペテロの証をマルコが書いたと言われている。今日読んだ使徒の働きでは、ペテロがローマ人に証をした箇所を読んだ。福音を最初にローマ人に伝えたのはペテロである。マルコの福音書はローマ人向きの福音書である。ペテロとマルコはその目的で書いた。


ルカの福音書はテオフィロにあてて福音書を書いた。テオフィロはギリシア人である。ルカはパウロと一緒にマケドニア、ギリシア、小アジアの西側で福音の働きをしていたので、ギリシア人に向けて福音書を書いた。

マタイ、マルコ、ルカの福音書は共観福音書と言う。主にイエス様のガリラヤでの働きを中心に書いている。


ヨハネは三十年間歩んだ教会のために福音書を書いた。そしてイエス様のエルサレム辺りの働きを中心に書いている。ヨハネの福音書がなければイエス様の働きが何年間だったかわからなかった。イエス様がエルサレムの過越の祭りに何回上ったか、仮庵の祭り、冬の祭りの話をヨハネだけが教えてくれる。それでイエス様の働きがだいたい三年半だとわかる。ヨハネはマタイ、マルコ、ルカの福音書に書かれていないことを説明している福音書。だから四福音書はそれぞれ目的は違う。特に相手として考えている人が違うので、細かく強調するところや書いていることが違うが、全て真実である。


⚫️福音書の復活のストーリー

週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からわきに転がされていた。(ルカ24:1~2)

なぜ女性たちが日曜日の朝早く墓に行ったのかと思う人もいるだろう。イエス様は金曜日の午後に十字架にかかり、その日の夕方から安息日が始まるので、その前にイエス様を十字架から下ろさなければならなかった。金持ちのアリマタヤのヨセフがピラトに申し出てその許しを得て、まだだれも葬られていないヨセフ自身の墓に葬った。しかしすぐに安息日が始まるので、遺体に香油や香料を塗る時間がなかった。それでイエス様の遺体をひとまず墓に納めて、少しだけ亜麻布を巻いておいた。

金曜日の夕方から土曜日の夕方までが安息日なのでしっかり休んでから、日曜日の朝早く、女性たちが墓に向かい、ユダヤ人の埋葬のしきたりにしたがって香油と香料を塗るつもりだった。

墓に来ると、大きな石が動かされていた。女性たちにはその理由はわからなかったが、マグダラのマリヤは走ってペテロとヤコブの所に行って、だれかが遺体を盗んだと伝えた。



⚫️そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」彼女たちはイエスの言葉を思い出した。(24:3~8)

イエス様の遺体がなくなり、女性たちはわけがわからず恐れていると、御使いが現れて「生きている方を死人の中に探すのか」と言う。そして、「イエス様はここにはいない。よみがえった。」と宣言する。女性たちはイエス様とガリラヤにいた時に、ご自分が十字架にかけられて三日目によみがえると言われたことを思い出した。思い出したというのは、ただ単に「あ、そうだった」ということではなく、イエス様の復活を「信じた」ということである。



⚫️そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。(24:9~11)

イエス様が復活したことを見て、女性たちは使徒たちに伝えた。弟子たちと言わなかったのは、使徒たちがイエス様の復活の証人であり、イエス様の福音を人々に伝える役割をもっているからである。しかし彼らにはばかげた話に思えてしまい、イエス様の復活を信じなかったし興味もなかった。



⚫️しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。(24:12)

ペテロだけは行って見たが、また戻ってきてしまって、信じることにはなっていなかった。ここは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に共通している。つまり、弟子たちは逃げてしまったが、女性たちは勇敢だったということである。女性たちはイエス様が十字架にかかったときそこに来ていたが、弟子たちは来なかった。女性たちはイエス様が葬られる場所まで来ていたし、日曜日の朝早く香料を持って墓にも行った。そして女性たちは御使いの話を聞いて信じた。

イエス様が最初にご自分を表されたのはマグダラのマリアとほかの女性たちである。弟子たちは話を聞いても信じなかった。女性たちは信じてイエス様を礼拝した。このことが福音書に書かれているのは不思議である。この時代は、女性たちの証言は基本的に認められていなかったからだ。その時代に、イエス様は女性たちにご自分を現して、女性たちが最初の証人になった。その文化の流れ、文化の常識に逆らっている証言である。

弟子たちの不信仰がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に出てくることも不思議である。ペテロは復活の証人であるが、その出発は不信仰であった。イエス様は四十日間繰り返し弟子たちにご自分を表して、本当に復活したことを証明してくださって、この人たちが信仰をもつようにしてくださった。それでペテロたちが証人になったのである。



⚫️復活の真実

イエス様の復活の真実をよく表すいくつかのことがある。

イエス様が復活した時、教会はユダヤ人のみだった。当時のユダヤ教の中には、復活についての考え方は複数あったが、イエス様が復活した時に、ユダヤ人の昔からの考え方とは違う新しい考え方が復活の唯一の考え方になった。それが一つ目。


旧約聖書には復活について書かれているところは非常に少ないが、新約聖書になると復活がいたるところに書かれていて、復活が完全に中心になっている。イエス様の復活によってクリスチャンの信仰が復活の信仰になった。それが二つ目。それまではユダヤ人にとって復活は歴史の終わりにあることになっていた。だからイエス様が弟子たちにご自分の復活の話をした時、弟子たちは何かの比喩だと思ったのではないかと思う。イエス様の血を飲む話もピンとこない。

【ヨハネ6:66】こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。


しかしペテロは「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。(ヨハネ6:68~69)」と言った。ペテロは理解できなくても信じている。それでも復活の話はピンと来なかった。


復活は歴史の真ん中にある。そして歴史の終わりにもある。これは全く新しい考え方だが、新約聖書の至るところで明白である。旧約聖書を信じているユダヤ人の世界観に、大きな変化が与えられた。イエス様が復活したので、復活についての教理が変わった。これが三つ目。


そして終末論に大きな変化があった。

【第一コリント15:25】すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。

イエス様は昇天して、勝利を得るまで神の右の座にすわっている。敵に対して勝利を得たときにイエス様は再臨する、という新しい終末論が与えられた。これが四つ目。


復活の比喩的な使い方が新約聖書に出てくる。それによるとバプテスマも復活である。私たちが自分をあらたにすることも復活のいのちにあずかることである。このような比喩的な使い方で、復活が生活の中心であることをよく表す。これが五つ目。


復活とメシアのつながりは旧約聖書にはどこにもない。当時のユダヤ人はイエス様をメシアと考える時、前提としてメシアは死なないし、たたかって勝利を得ると思っていた。だからイエス様が十字架上で死んだ時、弟子たちは、イエス様がメシアではなかったという結論を出してしまった。これはエマオへ向かう弟子たちの話の中にも出てくる。この弟子たちはイエス様がメシアだと思っていたのに、殺されてしまったので、信仰を失ってしまった。

しかし、その後イエス様の復活を理解した弟子たちは、新しいメシアの福音を伝える者になった。これが六つ目。


私たちは今日ここに集まっている。旧約のユダヤ人の安息日は土曜日だし、最初の時代のクリスチャンたちは、神殿がまだあったので、土曜日を安息日として守っていたと思うが、日曜日に礼拝するようになったのはイエス様の復活を中心に考えるようになったからである。これが七つ目。


これらのことをみると、イエス様の復活の真実があったので、世界観が変わって、生活が変わって、聖書全体の理解が変わった。

しかし、このストーリーの中に出てくる二つの事実はそれ以上に大きい。

一つは墓にイエス様の遺体がないこと。もう一つはイエス様が現れたことである。

遺体がないことは、マリアが思ったようにだれかが盗んだり動かしたと考えることはできる。

もしイエス様の遺体がそこにあって、イエス様が現れても、幽霊か幻と思ってしまい、本当の復活とはだれも思わない。遺体がないのは大切である。

そしてイエス様が現れなかったら、それも大変なことである。

遺体もなく、イエス様が何回も繰り返し弟子たちの前に現れて、一緒に食べたり飲んだりして、繰り返しご自分の復活の真実を証明してくださったから、弟子たちがその証人になることができた。

遺体がないことと、イエス様が実際に繰り返しご自分を表して、一緒に食べ、飲んだりしたという復活の真実を聖書の中で見ることができる。


⚫️復活の世界観

人類の歴史全体の革命的な変化は二千年前にあった。一般の歴史学者の中で、歴史の大きな変化は啓蒙運動だと答える人が多い。産業革命や科学の革命など、新しい世界観が科学によって与えられ、私たちは科学人となっている。クリスチャンではない人は、イエス様の死と復活が歴史全体の革命だとは思っていない。しかし主イエス・キリストが十字架で死んでよみがえったことは、歴史を変えた。だから音楽が変わり、世界観が変わった。他のものは歴史が変わった結果なのである。神の子である主イエス・キリストが受肉してこの世に生まれたことは、歴史の大きな変化の始まりである。イエス様はバプテスマを受けて三年間巡り歩いて善を行い、人を癒し、悪霊を追い出し、みことばを教えて、そして十字架上で死んだ。メシアが残酷で恥ずかしい死刑を受けた。そのことを弟子たちは信じられなかったが、後になってパウロは十字架を誇ると言う。

イエス様が復活して、復活を弟子たちに証明しても、昇天したイエス様がペンテコステで教会に御霊を与えてくださらなければ未完成。それにまだ問題が一つ残っている。古い契約の象徴である神殿がまだ建っていることだ。イエス様は、この世代が消える前に神殿がさばかれると預言した。イエス様が生まれた時からAD70年までは歴史全体が変わった革命的な時代であった。

古い契約が完全に終わり、新しい契約が紹介されて、ペテロは平和の福音と言い、イエス様を主と呼んだ。

ローマ帝国の誇りの一つはローマによる平和である。そしてローマ帝国はカエサルを主と呼ぶ。

ペテロはローマ人に福音(良い知らせ)を伝える。ローマ人にとって良い知らせとはカエサルによって平和がもたらされたことなのに、ペテロは、カエサルではなく、ローマが犯罪者として十字架にかけたイエス様が本当の平和を与える主であると言うのだ。そしてローマ人はそれを信じた。イースターの話は大きな世界観の違いで、イエスは主であるという短い文章が世界観全体を表している。



⚫️復活を信じる者の使命

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書にイエス様の復活が書かれているが、福音書には、イエス様の復活は私たちの将来の復活の保証であるとか、慰めであるというような話はない。イエス様はマルタに「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」と言ってくださった。イエス様を信じる者は死んでも生きると励ましている。これを大切な約束として覚えるべきであるが、福音書の復活のストーリーの中では、慰めや励ましではなく、使命が与えられている。全世界に行って福音を伝える使命である。ペテロが平和の福音の良い知らせを全世界に伝えなければならなかったように、私たちもそのために救われて、いのちを与えられた。私たちはイエス様の復活を直接見た証人ではないが、イエス様の復活を見た証人たちの証言を受けて、勝利したイエス様を全世界に伝える使命が与えられている。

イースターの日に、まだイエス様を知らない人たちに熱心に福音を伝える使命が与えられていることを確認する。それが復活を正しく祝うことである。毎週の聖餐式で復活を記念する食事をして、礼拝の最後に、聖霊によってこの世に遣わされて、みこころを行う者とならせてくださいと祈る。

栄光は代々限りなく父と子と聖霊にあるように。




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