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「イエスの弟子マタイ」

説教者:ラルフ・スミス牧師


「イエスの弟子マタイ」

先週は復活祭が一日だけのお祭りではなく季節であることを話したが、今日朗読したルカの福音書24章はそれを表している。


これは使徒の働きの中にしか書いていないのだが、イエス様は四十日の間、繰り返し弟子たちの前に現れて、旧約聖書をどのように理解するべきか、そして律法と預言者たちのことばをイエス様がすべて成就しなければならないことを教えてくださった。旧約聖書全体はイエス様ご自身について書いてあるということを、弟子たちに教えてくださったのである。


先週、私たちはペテロについて一緒に考えた。ペテロのペンテコステの日の説教は全く新しい理解だった。イエス様が復活する以前にはだれもこのような理解はできなかった。イエス様が現れた四十日の間に、弟子たちがどれほど深く聖書を学んだかがよくわかる。


今日はペテロとはちがう弟子について一緒に考えたいと思う。

福音書の中で有名なのは、ペテロとヨハネとヨハネの兄弟ヤコブである。この三人はイエス様と親しかった。ピリポ・アンデレ・トマスもみんなよく知っている。イスカリオテのユダも別の意味で有名である。しかしマタイについてはそれほど知られていない。マタイについては、マタイ、マルコ、ルカの福音書に一つだけ同じストーリーが書かれている。不思議なことに、マタイは最初の福音書を書いた。そして古代教会の中でマタイの福音書が一番広く読まれている。礼拝の中でもよく使われていて、写本も他の福音書や他の書物よりも多い。なぜマタイの福音書がこれほど広く伝えられてきたのか、そしてマタイ自身について、一緒に考えようと思う。

【マタイ9:9〜10】イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。

【マルコ2:13〜15】イエスはまた湖のほとりへ出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。それからイエスは、レビの家で食卓に着かれた。取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。

この二つの箇所は同じストーリーであるが、マルコの福音書にはレビと呼ばれる取税人が出てくる。イエス様に従った取税人はマタイしかいないので、マタイには名前が二つあったことがわかる。よくあるパターンは一つはギリシャ語の名前でもう一つはユダヤ人の名前であるが、マタイの場合は両方ともヘブル語に基づいた名前である。

「レビ」はレビ族のレビで、「マタイ」はヤハウェからの賜物、つまり神の子どもという意味である。そして「マタイ」は「弟子」ということばに音的に似ていることばでもある。

もう一つ目立つのは、人々がレビの家に集まっていることである(マルコ2:15)。マタイの福音書では家に集まっているとだけ書いてあり、それがマタイの家であることをはっきりさせていなかった。マタイは自分の家に集まっていることを控えめに書いているのである。大勢の人がマタイの家に来た。マタイが罪人と取税人をたくさん招いたのである。

【ルカ5:27〜29】その後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留められた。そして「わたしについて来なさい」と言われた。するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。それからレビは、自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした。取税人たちやほかの人たちが大勢、ともに食卓に着いていた。

ルカの福音書で強調されているのは、マタイがすべてを捨ててイエス様に従ったことである。マタイはガリラヤの取税人なのでヘロデ王のために働いていたと思うが、仕事を捨てて、すべてを捨てて、すぐにイエス様に従った。ここでマタイの信仰を見ることができる。大勢の人を自分の家に招いたのは食事をするのが目的ではなく、イエス様の話を聞くためであった。一緒に食事をしているときにイエス様が教えたり話したりしていた。

【ルカ5:30〜32】すると、パリサイ人たちや彼らのうちの律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって小声で文句を言った。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」そこでイエスは彼らに答えられた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」

パリサイ人や律法学者たちがマタイの家の宴会を見て、イエス様と弟子たちを批判して、なぜ罪人や取税人と一緒に食事をするのかと文句を言った。イエス様は罪人に悔い改めさせるためだと答える。このやり取りはマタイとマルコにも書いてある。

福音書にはマタイ(レビ)について、このストーリーしかない。その意味はわかると思う。マタイは罪人や取税人を招くイエス様の心がよくわかった。だからすべてを捨ててすぐにイエス様に従って、罪人や取税人を招いてイエス様が求めるような宴会を開いた。イエス様が福音を伝える機会をマタイはすぐに自分の家で作った。お金を使って多くの人を招いて、盛大に宴会を開いた。マタイはそのような熱心な心を持っている弟子だった。


2世紀〜3世紀からずっとあった考え方であるが、最初に書かれた新約聖書はマタイである。そのことは18世紀までだれも疑うことのなかった伝統である。今でも信じるべきだと思う。

マタイは四十日間イエス様と一緒にいてイエス様の教えを聞いていた。ペンテコステの時に御霊が与えられて、速やかに福音書を書いたと思われる。マタイは取税人なので教育を受けていて記録を取るのが早い。レビ族はイスラエルの中でも教育のレベルが高いので、イエス様の弟子になる前から毎日記録を取る仕事をしていた。イエス様の弟子になってからも速記で書いて後で家に戻って書き直す。当時はiPadはないが、薄い板にワックスを塗ってその上に書いた。当時の偉いラビの弟子たちはそのようにノートをとっていたので、マタイはイエス様の話を聞いて、同じようにノートをとっていただろうと思われる。

マタイがすでに書いていたいろいろなものをもう一度集めて福音書として書き直したのではないかと思う。

昔の伝統ではマタイは福音書をヘブル語で書いたと言われている。そして当時はヘブル語とアラム語の区別はなかった。当時のクリスチャンはすべてユダヤ人だったので、ヘブル語(アラム語)で書いて、後でギリシャ語にしたと推測できる。マタイがすぐに福音書を書いたので、ユダヤ人がイエス様のことばを読むことができた。マタイがイエス様に召されたときにすぐに行動したように、ペンテコステの後でもすぐに福音書を書いてイエス様のことを多くの人に伝えた。だからマタイは福音書の中で一番最初に書かれて非常に広がった。


マタイの福音書は他の福音書よりもイエス様の教えをたくさん残している。マタイには五つの長い説教を書いている。

山上の説教(マタイ5〜7章)、イエスに遣わされる者への説教(マタイ10章)、たとえ話の説教(マタイ13章)、罪の赦しの説教(マタイ18章)、オリーブ山の説教(マタイ23〜25章)。

マタイの福音書にはこれら五つの説教が書かれていて、これらがマタイの福音書の中心的な教えである。

マタイの福音書の特徴の一つは、マルコやルカやヨハネの福音書よりも預言者ということばをたくさん使っていることにある。マタイはユダヤ人のために福音書を書いたので、旧約聖書に書かれた預言をイエス様が成就したことを書いた。四十日の間マタイが繰り返し聞いていたイエス様の教えを福音書に書いた。イエス様は旧約聖書に書かれた通りの働きをしたことを強調している。

マタイは預言者たちのことを特に強調しているが、イザヤ書53章を他の福音書よりも多く指している。

【マタイ8:14〜17】それからイエスはペテロの家に入り、彼の姑が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった。イエスは彼女の手に触れられた。すると熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。

これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」

このストーリーはマルコの福音書にもあるストーリーだが、マタイの福音書だけにイザヤ書53章の引用がある。イエス様の癒しの働きも罪人の罪を負う働きの中に含まれている。イザヤの苦しみについても書いてある。癒しは罪を負うイエス様とつながる。新約聖書で旧約聖書を引用しているときは、大体の場合、その引用の部分だけではなくてその前後も含まれていると考えて良い。イザヤ52章15節から53章の終わりまでは一つの詩で、神のしもべについての詩である。本当は40章からずっと神のしもべの話であるし、42章もマタイは別の箇所でイエス様が神のしもべであると言う。それもマタイの頭の中にあったと思う。

【マタイ20:17〜24】さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。わたしの父によって備えられた人たちに与えられるのです。」ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。

これは有名な話で、マタイとマルコの福音書にある。ヨハネとヤコブが母とともにやってきて、イエス様の御国で自分たちをイエス様の右と左に座らせてほしいと言う。他の弟子たちがそのことを聞いて二人に対して怒ってしまう。

【マタイ20:25〜27】そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」

マタイはイザヤ53章を指している。イエス様は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来た。仕えるのは何よりも十字架において表される。イエス様は偉くなるための道を教えるのではなく、キリストにあって偉い人はだれかを教えている。イエス様こそ人々に仕える者である。マタイは53章のイエス様の贖いの働きが本当の意味で弟子の心を表すと言う。あなた方も同じ様にしなさいと弟子たちに言う。マタイもそれを受け止めて、人々に仕える者になって、私たちにそのことを教えてくれた。マタイは四十日間イエス様の教えを聞いて、イエス様がどのように旧約聖書を成就したのかを心に留めて、他の人より先に福音書を書いた。マタイは私たちに十字架を負ってキリストに従うように励ましている。

マタイ28章には大宣教命令がある。宣教熱心なマタイはマルコよりもルカよりもその命令を深く長く書いてくれた。私たちもマタイのように心を込めて罪人を憐れみ、罪人に福音を伝える機会を作る。マタイは私たちにその模範を示してくれた。

日本は全世界の中でクリスチャンの割合が少ない国である。熱心な伝道者を必要とする。私たちはマタイの模範から学ぶ必要がある。




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