「王が増やしてはならない三つのもの」申命記17:14~20
- 2025年8月24日
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説教者:ラルフ・スミス牧師
申命記17:14~20
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが「周りのすべての国々と同じように私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、必ず、あなたの神、主が選ばれる者をあなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない異国人をあなたの上に立てることはできない。ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。主は「二度とこの道を戻ってはならない」とあなたがたに言われた。また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。
その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。
モーセは申命記の6章から26章で順番に十戒の適用を教えている。特に6章から12章までは第一戒について強調している。
第五戒についてはその命令を守った人に与えられる約束を繰り返し語っている。それは父と母を敬うというよりも、神を信じて神を恐れて神の命令に従うこと、そしてそれによって祝福されて長く生きるとモーセは教えている。
私たちは最近第五戒を学んでいるが、その中の17:14~20は王についての教えである。
⚫️あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが「周りのすべての国々と同じように私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、必ず、あなたの神、主が選ばれる者をあなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない異国人をあなたの上に立てることはできない。(17:14~15)
王の条件について二つ書いてある。
・王は神が選ぶ者でなければならない。
・王はアブラハムの子孫でなければならない。
アブラハム契約の中に、王たちがアブラハムから出ると書かれている。
【創世記17:4~6】「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。
イスラエルに与えられる王は、アブラハムの契約の約束と祝福を成就する王でなければならない。
⚫️ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。主は「二度とこの道を戻ってはならない」とあなたがたに言われた。また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。(17:16~17)
王が増やしてはいけないものが三つある。
馬と妻と金である。
⚫️その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。(17:18~20)
ここが一番大切なところである。
王は、祭司の前で、自分の手で申命記を書き写し、それを隣に置いて、毎日読まなければならない。王の心が高ぶらないため、王の心が右にも左にもそれないためである。
そして王が神を恐れて神に従い、長くその王国を治めることができるためである。
これが王についての一番大切な律法である。
サウルが王になったのは紀元前1094年で40年間王であったが、彼はみことばを書いて毎日読んだりしていなかったと思う。サウルのストーリーを読めばそれがわかる。
ダビデは紀元前1054年から40年間王であった。ダビデは自分の手で申命記を書いて、それをそばに置いて毎日読んでいただけではなくて、イスラエル全体がみことばを心に刻むことができるようにたくさんの詩篇を書いて、それを歌うことを教えた。ダビデの時代の前にはそのような歌はほとんどなかった。ダビデは一番熱心にみことばを求め、そしてイスラエルもみことばを求めるように教えてくれた王だった。
ソロモンは紀元前1014年から40年間王であった。ソロモンもダビデのように神を恐れていた。神様は、ソロモンが願うなら何でも与えるという約束をしてくださったので、彼は金や銀や敵のいのちや自分の栄光などではなく知恵を求めた。ソロモンはその知恵によって箴言を書いた。つまり自分のために知恵を求めるだけではなくて、イスラエルに知恵を教え、知恵を与える王となったのである。列王記にソロモンが三千もの箴言を書いたと書かれている。そのほかに雅歌や伝道者の書も書いて、ダビデのようにみことばを教える王だった。
【第一列王記4:32】ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五首もあった。
ダビデは申命記の王の教えの一番大切なところを守ったが、ソロモンは年を取ったときに、その心が神様から離れてしまったことが同じ第一列王記に書いてある。
【第一列王記11:3~4】彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つになっていなかった。
じつは、サウル、ダビデ、ソロモンの三人だけがイスラエルの王だった。厳密に言えばその通りなのだが、士師記の中にも王のようなさばきつかさのストーリーがある。その中にモーセやソロモンに似ている人がいる。それはギデオンである。モーセのように目立つものではないが、ギデオンがモーセのようなリーダーであることは士師記の中で非常い強調されている。
モーセが神に仕えるように召された時に燃えている柴から神の御使いに呼ばれたが、ギデオンの場合はヤハウェの御使いが木の下に座ってギデオンに話しかけている(士師記6:11~12)。ヤハウェの御使いがモーセに直接話すように、ギデオンにも直接話す。士師記の中で他のさばきつかさにヤハウェの御使いが直接話しかけることはほとんどない。
モーセは燃えてる柴で神様がいることがわかったが、ギデオンの場合もヤハウェの御使いが肉を焼き尽くしたことがしるしとなった。
【士師記6:17、20~21】「もし私がみこころにかなうのでしたら、私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。」…神の使いは彼に言った。「肉と種なしパンをとって、この岩の上に置き、その肉汁を注げ。」そこでギデオンはそのようにした。主の御使いは、手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種なしパンに触れた。すると、火が岩から燃え上がって、肉と種なしパンを焼き尽くしてしまった。主の使いは去って、見えなくなった。
ヤハウェに、あなたを遣わしますと言われたとき、モーセもギデオンも、私はふさわしくない、私にはできません、と答えている。それに対して、神様はモーセにもギデオンにも、わたしがともにいると約束してくれている。
【士師記6:14~16】すると、主は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。ギデオンは言った。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存知のように、私の氏族はマナセのなかで最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに言われた。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」
主がともにおられるというのは創世記の中で繰り返される表現である。ヤコブが神様に守られて、最後に成功するのは、ヤハウェがともにいてくださるからである。この背景がモーセにもギデオンにもある。それでヤハウェがモーセにもギデオンに約束する。モーセとギデオンは神がともにいてくださったので、ミディアン人と戦って勝った。ギデオンは三百人でミディアン人とその他の敵十三万五千人に勝利した。とんでもない奇跡的な勝利を神様はギデオンを通してイスラエルに与えてくださった。このようにギデオンはモーセに似ている人物である。
しかしイスラエルはギデオンが自分たちにどんなに良くしてくれたかを忘れてしまった。神様はイスラエルのために働いたギデオンを評価している。ギデオンがミディアン人に勝利した時、イスラエル人はギデオンに、私たちを治める王になってください、と頼んだが、ギデオンは次のように答えた。
【士師記8:23】私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。」
ギデオンは「私ではなくヤハウェがあなたを治めます」という正しい答えをした。本当はヤハウェが勝利を与えてくださったので、それは当然なのだが、ギデオンはこの答えに続けて彼らにあるお願いをした。
【士師記8:24、27】「あなたがたに一つお願いしたい。各自の分捕り物の耳輪を私に下さい。」殺された者たちはイシュマエル人で、金の耳輪をつけていた。…ギデオンはそれでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。イスラエルはみなそれを慕って、そこで、淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって罠となった。
ギデオンには七十人の息子がいた(士師記8:30)。創世記のヤコブを思い出す。エジプトに下った時にヤコブの家族は七十人だった。この中には男性も女性も含まれていたが、ギデオンは息子だけで七十人だった。一人の妻が七十人を産むのは無理なので、当然たくさんの妻がいたのだが、申命記で王が増やしてはいけないと命じられている三つのもの、馬、妻、金のうち、ギデオンは妻と金を増やして命令を破ってしまった。ギデオンはもらった金でエポでを作り、それが罠となってイスラエルの中で偶像礼拝の対象になってしまった。イスラエルにとってそれは大変な罪の問題になってしまった。ギデオンが年をとって死んだところで、ギデオンのストーリーは一応終わるが、イスラエルはギデオンの死後、周りの敵から救い出してくださった神を心に留めず、バアルを慕って淫行を行い、ギデオンがイスラエルのために尽くした善意にふさわしい誠意を彼の家族に尽くさなかった。
そしてギデオンの息子アビメレクのストーリーが士師記9章から続く。アビメレクの「アビ」は「私の父」、「メレク」は「王」という意味である。「私の父は王」という名前を子どもにつけるのはどうかと思うが、ギデオンの死後、アビメレクは自分の兄弟七十人のうち、一番下の弟ヨタム以外をすべて殺した。ヨタムは隠れていたので生き残ることができた(士師記9:5)。
アビメレクはシェケムの側女の息子である。そしてシェケムは異国人の町である。つまりギデオンはクリスチャンではない女性と結婚して、生まれた子はひどい息子で自分の兄弟をほとんど全員殺した。アビメレクは三年間イスラエルを支配したが、シェケムの住民はアビメレクを裏切り、最終的には女がひき臼の上石を投げてアビメレクを殺した(士師記9:53)。ギデオンのストーリーはモーセに似ていると言ったが、ソロモンにも似ている。たくさんの妻がいて、その妻たちはギデオンの心を神様から離れるように影響を与えた。
ソロモンのストーリーはイスラエルの三人の王たちの中で一番悲しい。ダビデは大きな罪を犯したが、明らかに悔い改めて神様に戻って神様に従った。ソロモンも多分神様に戻って悔い改めて、伝道者の書を書いたと思う。
ソロモンは666タラントの金を集めた。タラントの重さは学者によって意見が違うのだが、だいたい13,000キロから30,000キロである。そのタラントの重さを、重いものとしてみるのか、軽いものとしてみるのか。どっちにしても一万キロ以上の金が毎年入ってくる。私は一回だけ 30,000キロの金が入れば十分である。ソロモンは金を増やしすぎた。そこまで増やす必要はなかった。ソロモンのぶどう酒のカップは大きくて純金だった。あまりにも金が多かったので、銀の価値が見劣りするほどだった。
【第一列王記10:21】ソロモン王が飲み物に用いる器はすべて金出会った。「レバノンの森の宮殿」にあった器もすべて純金で、銀のものはなかった。銀は、ソロモンの時代には価値あるものとは見なされていなかった。
今日の箇所に、王はエジプトに戻って馬を集めてはいけないと書いてある。
【申命記17:16】王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。主は「二度とこの道を戻ってはならない」とあなたがたに言われた。
しかしソロモンはパロの娘と結婚していて、エジプトと親しかったのでエジプトに戻って馬と馬車を買ってしまった。皮肉なことに、それを買った人たちがのちにソロモンたちの敵になってしまった。
妻を増やしてはならないという命令もソロモンは破った。妻は700人、側女は300人。合わせて1000人。創世記1章で、神様はアダムのために妻を創造してアダムに与えてくださった。
【創世記1:24】それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
「妻と結ばれ」は原語では「妻にすがる」という言葉である。つまり妻は一人である。申命記で妻を増やしてはならないという時に、創世記のストーリーを指して、妻は一人と言っていると思う。とにかく妻700人、側女300人がすべて真剣で熱心なクリスチャンで素晴らしい良い女性であったら、もちろんこんなに増やしてはいけないが、ソロモンのような問題にはならなかったと思う。ソロモンは神様が禁じている異邦人の女性とたくさん結婚した。モアブ人、アモン人、エドム人など、神様が~人と結婚してはいけないという時、人種差別の話をしているのではない。宗教の話である。異国人の妻たちが王の心を神様から離れるように影響を与えてしまうのでそのような女性と結婚してはだめなのである。それがポイントである。
【第一列王記11:4】ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。
ソロモンは、神様を信じない妻の影響を受けるだけではなくて、妻たちが礼拝するために妻の神々のための神殿をあちこちに作ったりした。
それで、モーセのように偉大なさばきつかさ、旧約聖書でだれよりも知恵のある王ソロモンが、クリスチャンではない妻から影響を受けて、神様から心が離れてしまった。それがギデオンについてもソロモンについても書かれている。ギデオンはソロモンの一番悲しいところが似てしまった。私たちがそのストーリーを読むときに、自分たちが本当に神様にすがっているかどうかよく考える必要がある。神を恐れて神の命令を守って神にすがりなさいと繰り返し申命記に書かれているのに、ソロモンはそれをしなかった。神を信じない妻たちにすがってしまった。
そして私たちの日本語の訳になるが、ソロモンが「彼の心は…彼の神、主と一つになっていなかった。」という訳は問題ないが、ヘブル語では「シャロームではない」と書いてある。言葉の遊びのようである。ソロモンの名前の由来はシャロームである。ソロモンは自分の名前に対して忠実ではなく、自分を失っている。女性たち、妻たちの影響を受けて、神様から離れて、シャロームがシャロームではなくなってしまったという意味になる。私たちが本当の神様を信じて、神様にすがって、神様に従って、心から神を愛し、神様を求めるのでなければ、本当の正しい自分にもなれない。そして神様から離れてしまう。罪人の心は自然に簡単に神様から離れてしまうので、私たちはどういう影響をどこからだれに受けているかを気をつけなければならない。アモン人やエドム人は私たちの周りにはいないが、ダーウィン、マルクス、フロイドは私たちの社会に対して一番大きな思想的な影響を与えている。教育の中に出てくるし、映画やテレビなどのエンターテインメントの中にも出てきて、神様から離れるように人々に影響を与えている。計画的に神様から離れるように影響を与えるものはたくさんあるし、自然に教育システムやエンターテインメントの中に、神様から離れるように影響を与えるものがたくさんある。
ソロモンでさえ影響を受けて神様から心が離れることがありうるのなら、私たちは、自分は大丈夫だと思ってはいけない。戦わなければならない。心の戦いは本当に神を信じて神を愛して、毎日の生活の中で主イエス・キリストを心から求めて歩むようにしなければ、自然に簡単に罪人は神様から離れてしまう。サウルのように、ギデオンのように、アダムのように。
私たちは毎週の礼拝に来るときに、自分の罪を告白して、罪の赦しを求める時にダビデの言葉を借りている。ダビデは自分の罪は軽いものだと思っていない。私たちの罪の心は危ない。私たちは本当に罪を悔い改めて神様を求めなければならない。
私たちに毎週聖餐が与えられている。神様が私たちに恵みなるイエス様の象徴を与えてくださる。イエス様のからだであるパン、イエス様の血を意味する杯を私たちに与えてくださって、私たちは愛されて、私たちの罪は赦される。私たちは神様に愛されているという認識を持って、神様の愛に答えて、神様の愛を感謝して、毎日の生活において、主にすがり、主を求めて、主を愛して、主の命令を喜んで守って生きる。特に私たちに与えられている使命の一つは福音を伝えることである。
私たちが周りの主イエス・キリストを知らない人たちに福音を伝える義務は非常にはっきりしている。その義務を果たすことができるように、心から求めて、私たちは主にすがって、主をほめ讃える。証しする機会が与えられて、御国のために働くように励まされる。積極的に神の御国を求めていなければ、結局は反対側のほうに引っ張られて離れてしまう。そのことを覚えて一緒に聖餐式を受ける。
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