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「預言者と福音の勝利」申命記18:9~14

  • 2025年10月5日
  • 読了時間: 13分

説教者:ラルフ・スミス牧師


申命記18:9~14

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。

あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない。

確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。しかし、あなたの神、主はあなたがそうすることを許さない。

私たちはしばらく前から申命記を学んでいるが、その中で、さばきつかさ、祭司、王について学んできた。今日は預言者について学ぶ。イエス様は、祭司であり、王であり、預言者である。申命記18:9からは、主イエス・キリストを預言者として預言する箇所である。

【申命記18:9】あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。

異教の神を礼拝してはならないというところから預言者についての教えが始まるのは興味深い。

創世記3章から神の民とサタンとの戦いが始まった。それは歴史が終わるまでずっと続いていく。代々、色々とちがう戦いがある。私たちの時代の戦い、ここに住んでいる私たちの責任について、今日は一緒に考えようと思う。


⚫️アダム

創世記3章で、サタンは一方的にアダムを攻撃して死に至るように導いたので、サタンが勝利したかのように見えたが、そこに神が現れてサタンにさばきを宣言した。

【創世記3:15】わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえと女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。

そのことばの中で、祝福と救いの約束が与えられた。アダムはその約束を信じたので、妻にエバという名前をつけた。

【創世記3:20】人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が生きるものすべての母だからであった。

アダムは神に、この実を食べたらあなたは必ず死ぬ、と言われたが、神様はアダムとエバ、そして私たちにいのちの道を与えてくださった。

アダムとエバがエデンの園から追い出されて、神様との関係が崩れてしまったので、霊的に死んだとも言える。

アダムとエバの関係もその日におかしくなってしまった。

【創世記3:12】人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木からとって私にくれたので、私は食べたのです。」

アダムがエバのせいにしたので、アダムとエバの関係も崩れてしまった。

アダムはエデンの園から追い出されたので、額に汗を流して働かなければならなくなった。

【創世記3:17~19】また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地はあなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」

アダムと被造物の関係も崩れてしまった。


このように、様々な祝福された関係が崩れてしまったので、霊的にはその日に死んだと言えるのだが、からだが死ぬのは何百年も先のことである。

創世記3章の時点では、サタンが一方的に攻撃して、だまして、だめにしようとしている。


⚫️カイン

創世記4章で、サタンの側に立つカインが神に逆らって積極的にアベルを殺す。そしてカインがアベルを殺してから洪水までの間に、カインのような人間がどんどん増えていき、人類は罪に満ちて、洪水の前の人類は暴力的で神様に逆らって積極的に間違った道を走ったので、神様が洪水によってさばきを行わなければならなかった。


⚫️洪水からバベルの塔まで

神に逆らった人類の中から、ノアとその家族だけが救い出されて、新しい人類のスタートとなった。しかしノアの洪水からバベルの塔までを見るとまるでサタンの勝利に見える。全人類がだめになった時点でサタンが勝ったかのように見える。サタンはバベルの塔に至るまで人々をだまして、人々はニムロデに従って神に逆らう道を走った。

それで神様はことばをバラバラにして人類は神のさばきを受けた。

【創世記11:6~7】主は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」


⚫️アブラハム

このように神のさばきを受けた人類がアブラハムからまたスタートする。この時からサタンとの戦いは変わる。創世記のバベルの塔の話の中で、特にサタンがどうのこうのという話は出ないが、サタンは裏で動いていた。

ヤコブの息子たちは罪を犯して、カインと同じように弟のヨセフを殺そうとしたので、サタンが裏で動いているのもわからなくもないのだが、それよりもアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰、勝利が強調される。アブラハムの子孫であるヨセフが王座にすわって世界を支配してメシアの王国のような状態になっているところで創世記が終わる。いずれ神が約束してくれた王国が来る、という雛形的な約束で創世記が終わる。


⚫️モーセ

出エジプト記になると、イスラエルの民はエジプトでサタン的なファラオの奴隷になっている。イスラエルの民がエジプトの影響を受けて偶像礼拝をしてしまったからだ。

ヨセフの時代にカナンにいたイスラエルは、エジプトに下ってその王国の美しさに感動してしまった。エジプトは建物も何もかもが非常に優れていた。当時の世界の中でエジプトは一番だったかもしれない。イスラエルの民はそれに誘惑されて、エジプトがここまで素晴らしくなったのはエジプトの偶像のお陰だろうと間違った考えをしていたかもしれない。それでイスラエルはエジプトの神々を礼拝してしまった。しかしそのような偶像礼拝をしても、エジプトで奴隷にされて苦しんでいた。

イスラエルの民が苦しみの中で神に助けを求めたら、神はモーセを送ってくださった。モーセはファラオと戦ったが、じつはこれは神とサタンの戦いだった。出エジプト記の最初に出てくるナイル川のさばきなどは、結局神がモーセを通してエジプトの神々をさばいたことになる。エジプトの神々には何の力もないし、これらは悪霊にすぎない。本当の意味での神々ではない。

神様はイスラエルをエジプトから救い出して、シナイ山に連れて行って新しい律法を与えてくださった。民はもはや奴隷ではなく、新しい歩みができるようになった。

【出エジプト19:4~6】あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。


イスラエルの民はエジプトから脱出することができたが、荒野でまた偶像礼拝の誘惑に落ちて、だまされて、また罪を犯してしまった。民はエジプトに対する神のさばきを実際に見たのに、そしてカナンはエジプトほど大きくないのに、神様はカナンからイスラエルを救い出すことはできないという不信仰に陥ってしまった。それで民は四十年間荒野の中を旅しなければならくなった。その中でも民は神様に罪を犯して逆らったりする。


四十年の荒野の旅が終わって、モーセは申命記という新しい律法の書物を新しい世代の民に与えてくれた。その中で、カナンに入ったら、カナン人の占いやまじないの習慣を真似てはいけないと教えている。

【申命記18:10~12a】あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。

この一つ一つの占いのやり方はヘブル語でも日本語でも難しいことばであるが、一言で言うとシャーマニズムである。ただし私は比較宗教の意味で言っているのではなく、霊的な意味で言っている。

『the Spirit of Rainforest』という本の中で、南アメリカの森の中に住んでいるシャーマンが証している。この本は彼がクリスチャンになった後で書いたものである。この本によると、悪霊にとりつかれて悪霊と一つになると、悪霊が力、知識、知恵を与えるので、それを借りてシャーマンは偉くなる。モーセの時代の色々な種類の占いは、よく東京で見るような詐欺のような単なる占いではなく、完全に悪霊の力を借りて、悪霊を崇拝することによって行われるものであった。

申命記18章に書かれている神が忌み嫌うことの中には、息子や娘を供え物としてモレクにささげることも含まれる。これはレビ記20:1~5にも出てくるが、モレクに自分の子どもをいけにえとしてささげると特別な力が得られると信じられていた。

【レビ20:2】あなたはイスラエルの子らに言え。イスラエルの子ら、あるいはイスラエルに寄留している者のうちで、自分の子どもを取ってモレクに与える者はだれであれ必ず殺されなければならない。民衆がその者を石で打ち殺さなければならない。

子どもをモレクにいけにえとしてささげることは紛れもなく殺人であり、しかも考えられないほどのひどい殺人である。イスラエルに与えられる子どもたちはヤハウェにとって尊いご自分の子どもたちであるのに、その子を偶像にささげて、殺して焼いたりする罪は本格的に神様に逆らっている。

士師記の歴史の中で、イスラエル人は偶像礼拝と悪霊を礼拝する罪を犯し、苦しんで、神に助けを求めた。その時神様は恵みをもってイスラエルを助けてくださった。

イスラエルがカナンに入ってからは、サタンとの戦いは偶像礼拝を積極的に求めて学ぼうとするものだった。しかしそれはモーセが、カナンに入ったらそれをするなと禁じていたものである。この占いをカナン人から学んではいけないと言われていた。

そして逆に、イスラエルに知恵と知識を教える方法が与えられた。それが預言者である。神様がモーセのような預言者をイスラエルに与えてくださるという約束が申命記18章にある。しかしイスラエルは神が与えた預言者のことばを求めないで、悪霊である周りの国の神々の力や知恵を求めてしまうという歴史になってしまった。

後になって神様がイスラエルに王を与えてくださったときに、最初の王サウルは悪霊の助けを求めることになってしまうし、非常に悲しいことだがソロモンでさえもモレクのための神殿を作ってしまった。モレクの神殿は子どもたちを悪霊にささげるための神殿である。

【第一列王記11:7~8】当時ソロモンは、モアブの忌むべきケモシュのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。アンモン人の、忌むべきモレクのためにも、そうした。彼は異国人であるすべての妻のためにも同じようにしたので、彼女たちは自分の神々に香をたき、いけにえを献げた。

ソロモンの後で、ヤロブアムは最初から北イスラエルに偶像礼拝の道を作って、民が神様から離れるように影響を与えてしまった。そしてそれがずっと続いた。

南ユダはレハブアムが王になった。彼は特別素晴らしい王ではなかったが、南ユダはよくなったり悪くなったりする。この中で非常に悲しいのは、良い王ヒゼキヤ王の息子マナセが、激しく、極端に偶像礼拝をして、神殿を汚して、五十年以上に渡ってイスラエルの王として治めたことだ。その息子ヨシヤ王は良い王で、南ユダが神に戻るようにサタンと戦って一生懸命治めようとしたが、それは結局成功しない。イスラエルは偶像礼拝の道を続けて走ってしまった。マナセの影響で、最終的に南ユダはバビロンに捕囚された。エレミヤにもモレクの礼拝について書かれている。

【エレミヤ32:34~36】彼らは、わたしの名がつけられている宮に忌まわしいものを置いて、これを汚し、ベン・ヒノムの谷にバアルの高き所を築き、自分の息子、娘たちに火の中を通らせてモレクに渡した。しかしわたしは、この忌み嫌うべきことを行わせてユダを罪に陥らせようなどと、命じたことも、心に思い浮かべたこともない。」それゆえ今、イスラエルの神、主は、あなたがたが、「剣と飢饉と疫病により、バビロンの王の手に渡される」

モーセが警告した千年後の話である。このようにモーセの時代からずっとサタンとの戦いが続いていた。イスラエルの中にモレクの礼拝が続いていたのは非常に悲しい歴史である。

北イスラエルは紀元前720年頃にアッシリア帝国に奴隷にされた。南ユダは紀元前586年にネブカドネツァルが来て、民を捕囚してバビロンに連れて行った。エズラの時代にペルシャの王キュロスがバビロンをさばいて紀元前539年に南ユダが戻れるように宣言した。そして紀元前516年に神殿を建て直した。その七十年間は偶像礼拝はなかった。これまでのようなサタンとの戦いは終わった。偶像礼拝の誘惑にはもう負けなかった。


イエス様の時代のサタンとの戦いは偽善との戦いだった。イエス様は当時のユダヤ人たちのことを偽善者と呼んでいる。彼らは偶像礼拝を行なっているわけではないが、本当の神を心から礼拝しなかった。これがサタンとの新しい戦いである。この偽善が新しいイスラエルとユダの罪になってしまった。


イエス様はモーセが預言した預言者である。そのイエス様がサタンと戦って、十字架上で罪のために死んで、サタンに対して勝利を得た。

しかし戦いは終わったわけではない。黙示録の中で、サタンと教会の戦いは特にエルサレムでクリスチャンではないユダヤ人と教会との戦いが中心である。それがAD30年からAD70年まで続いて、クリスチャンではないユダヤ人が教会を迫害している。それがサタンの誘惑である。使徒の働きなどでその話が出る。黙示録を読むと、サタンが天から追い出されて、獄に入れられて、縛られて、もう国民(くにたみ)をだますことができないようにされている。サタンは国民を騙して支配していた。以前、サタンがイエス様を誘惑した時に、ひれ伏して私を拝めばこの世界をあなたにあげると言ったが、今はそのようにすることはできない。福音の力をサタンは取り消すことができなくなった。

旧約の時代に、みことばの力やノアの証をサタンは取り消すことができた。しかしイエスが十字架で勝利して、エルサレムをさばいて、古い契約を終わらせて、教会に御霊を与えてくださって、私たちの時代は福音の勝利の時代である。もはやサタンにはみことばを取り消す力はない。もちろん私たちが何もしなくても御国が来るという話ではなくて、証をして、正しく生きて、正しく礼拝して、祈りによって神の御国が来るようにと真剣に毎日の生活において求めなければ、サタンに対する勝利の実現を見ることはできない。私たちが神に忠実に従って、証をして実を結ぶ生活をするなら、サタンは勝てない。私たちに福音の勝利が与えられている。私たちの時代はサタンが成功する時代ではない。私たちの地域教会は福音の勝利が一番必要とされる国にある。クリスチャンの割合は非常に少なく、教会は非常に弱い。この国に置かれて、サタンに対して戦って、福音を伝えて忠実に歩むように、私たちは導かれている。子どもたちをモレクにささげるのではなくて、子どもたちを本当の神様にささげて、代々祝福されるように祈る機会が与えられている。私たちの時代は福音の勝利の時代である。それが実際に日本で、この地域教会で見えるかどうか。道であり、真理であり、いのちであるイエス様に忠実に従って実を結ぶようにと書かれている。

毎日の生活において、子どもたちを育てることによって、御国の生活をするなら福音の勝利を見ることができる。

じつは私たちには少し見えてきている。私たちの教会は1981年にわずか七人で始まった。そして今日までたくさんの恵みが与えられた。地域教会としてキリストにあって成長するように、モーセは私たちを励ましていると思う。



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