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「既婚者と独身者の人生における優先順位」家庭に関する主題説教シリーズ07
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 今日も家庭シリーズの続きです。 既婚者と独身者の人生における優先順位について一緒に考えます。 クリスチャンは「愛の秩序 」と表現されます。元々はラテン語の“ordo amoris”からきていて、英語では“the order of love”です。この表現はアウグスティヌスが最初に作って、その後も特にトマス・アクィナスやC.S.ルイスたちが使い続けてきたものです。 アウグスティヌスが伝えたのは、私たちが正しく良い人生を生きるためには、正しいものを正しく愛することが必要だということです。 ただ単に愛するものを減らすとか、そこまで愛さないとか、そういうことではなくて、すべての良いものをそれに相応しい愛し方で愛するべきだという考え方です。 私たちはまず何を第一に愛するべきでしょうか。 これについて聖書はとてもはっきりと、神様ご自身であると教えています。 【マタイ22:37~38】イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが、重要な第一の戒めです。...
7月19日


「家庭における親子関係」家庭に関する主題説教シリーズ06
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 今日も家庭に関するシリーズの続きです。 今日は親子関係について一緒に考えます。 神様は、子どもは主からの恵み、祝福だ、と教えます。しかし現代は、おそらく歴史上初めて、ほとんどの人たちは子どもが祝福であると思わなくなっています。子どもが祝福であると信じていないのです。多くの人は子どもを負担だと思っています。そして子どもが欲しいかどうかを考える時に、自分にどれぐらい負担があるのか、損得で考え始めたりします。自分にとってどのくらい益になるのかを計算した結果、多くの人は、やっぱり子どもを産むのは割に合わない、という結論に至ります。 子どもが欲しいと思う人たちもいますが、それはどこかで自己達成のためであったり、あるいは自分の幸せのためであったりします。これは自己中心的な考え方です。親は子どもに関して決して自己中心的に考えてはならないのです。 クリスチャンが子どもを求めるのは、自分の得や益のためではありません。そうではなくて、私たちがより神のような存在になれるように、御父のような存在、私たちの創造主のような存在に近づくようにな
7月12日


「結婚における夫と妻の愛」家庭に関する主題説教シリーズ05
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 今日の説教は、結婚に関するシリーズの続きです。先週は「家庭において妻はどのようにからだとして歩み、教会を示すのか」という話でした。その前の週は、「家庭において夫は妻のかしらとしてどのように歩み、キリストを示すのか」という話をしました。 これはおそらく世界共通のことなのですが、牧師が夫に、夫がかしらであることを教えると、ある問題が出てきます。というのは、未熟な夫たちが自分の妻を支配しようとするのです。その間違った支配というのは、妻たちにすべてを自分の言いなりにさせようと押し付けることです。そして、その間違った権威の使い方を周りの人たちが見た時に、これを聖書のせいにしたり、パウロのせいにしたり、あるいはキリスト教の神のせいにしたりします。つまり身近な男性に「あなたは妻のかしらであり、彼女を導く責任がある」と言うと、子どもに魔法の杖を渡したような状態になってしまうのです。夫は、これを持てば何でも思い通りになり、要求すればやってくれると思い込んでしまいます。例えば「今晩は味噌汁じゃなくてビールだ」と言ったり、あるいは機能性
7月5日


「家庭における女性の役割」家庭に関する主題説教シリーズ04
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 先週はかしらとしての男性(夫)を考えましたが、今日はからだとしての女性について考えます。からだとしての女性とは、結婚している女性のことです。(未婚の男性はかしらではないし、未婚の女性もからだではありません。) まず聖書の中で妻に関して話されている、最も大切な箇所の一つから始めます。 【エペソ5:22~23、33】妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。… それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。 ここで妻たちに言われているのは自分の夫に従うということです。つまり、女性全体が男性全体に従いなさいと言われているわけではありません。結婚の一体の関係の外には、かしらとからだという役割は存在しないということです。例えば、教育機関、ビジネス、会社、あるいは政府や行政を考えても、男性と女性の間に心理
6月29日


「家庭における男性の役割」家庭に関する主題説教シリーズ03
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 今日の説教は家庭シリーズの続きです。男性は頭(かしら)としてどのように歩むべきか、というトピックで話したいと思います。なるべく具体的に見ていきたいと思います。 私たちの時代は、あらゆる領域で権威というものを否定する時代です。私たちは王様をなくして、その代わりに公職者を選挙で選びます。彼らは理論上は民意に従う人たちで、彼らには権威はありません。 私たちは親の権威も信じなくなっています。子どもたちはどんどん生意気になっています。 宗教もただ個人の選択と思われています。まことの神がいないと思われているからです。自分がついて行きたい神がいれば、どの神にでもついていきますし、いなければどの神にもついて行く必要はありません。 結婚にも品位はありません。男性と女性は単なる平等で、どちらも相手に対して権威がないという結婚観になります。結局、私たちは「愛があるなら権威はないはずだ」と思ってしまいます。 しかし、クリスチャンは世界を創造した神を信じています。この創造主である神は私たちを造り、善と悪の区別を教え、人生における目的と存在意
6月21日


「家庭における権威」家庭に関する主題説教シリーズ02
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 今日は、先週から始まった家庭シリーズの続きです。先週は、神様は家庭をデザインしていることについて話しました。創造の時から、神様は家庭というものをデザインしていました。 今日のトピックは、私たちが常に間違えて捉えがちなこと、「家庭における権威」について話します。 まず、家庭における三つのパターンを説明します。 一つ目のパターンは、男性が「自分は妻の頭(かしら)だ」と主張して、自分が気になるところは全部一方的に自分勝手に決めてしまうことです。彼は、自分が頭だからすべてを決断する権利があると考え、自分が決断したいところは自分で決断し、決断したくないところは妻に任せます。そして妻には「キリストに従うように黙って夫に静かに従いなさい」と言います。これは決してふさわしい状態だとだれも感じないと思います。しかし同時に、なぜこれが聖書的ではないのかを言語化して説明するのは、思っているよりも難しいかもしれません。 二つ目のパターンは、これがひっくり返った状態です。つまり、男性の方が柔和で受け身的です。女性の方にエネルギーがあって、家
6月15日


「神がデザインされた家庭」家庭に関する主題説教シリーズ01
説教者:ベンゼデク・スミス牧師 三位一体節に入っています。私のストールが緑色になっていることからも、それがわかると思います。 緑というのは何を象徴する色だと思いますか。おそらく、皆さんは同じような答えを出すでしょう。つまり、いのちや成長など、生きていて育つもののことです。 実際、この三位一体節の間、私たちが読む聖書日課の焦点は、イエスの人生の中の出来事から、イエスの教えの方へと移っていきます。私たちはイエスがどのように生きたのかを学び、そこから私たちがどのように生きるべきかを学ぶことができます。この時期は、努めてイエスのように生き、イエスにあって成長することを求める時期、そこに集中する時期だと思ってください。 そうは言っても、今日は聖書日課からの説教ではありません。今日の朗読箇所は本当に大好きな箇所ばかりで、日課ではない箇所から説教するのは心苦しいのですが、私たちの成長を考えた時に、この時期に二つの説教シリーズを計画しました。 まずは家庭に関するシリーズです。なぜなら、家庭というものは神の似姿として生きるために欠かせないものであり、御国を築くため
6月7日